着信画面には女王様の名前。
こんな事は初めてだ。
僕はせっかくの休みにまで女王様の機嫌なんてとってられるものか!
と思いつつも、何か重要な仕事の電話かもしれないと思うと無視はできなかった。

「はい」
渋々電話に出ると、女王様は無言だ。
僕は心底嫌気がさしながらも
「沢田さん?」
と女王様の名前を呼ぶ。
それでも女王様は無言だ。
僕は「はぁ」とため息をついて、女王様の暇つぶしかあるいは間違い電話か
どちらでもいいが、早々に電話を切ろうとした時だった。

グスッグスッと、鼻をすする音が電話口から聞こえてきた。
「あの…うっ…どうし…」
途切れ途切れの声がやっと聞こえる。
どうやらうまく話せないようだ。
僕は何か事件に巻き込まれたのかと思い
「どうしました?トラブルですか?」
と、慌てて聞くと
「撮られちゃったぁ」
とだけ言い、途端に大きな声で女王様は泣き出した。

どうやら週刊誌に写真を撮られたようだが、一体なにを撮られたのか全く分からない。
なんだ?女王様は何をした?
クスリでもやっていたのか?
それとも単なる色恋沙汰か?
考えがまとまらないままでいると
「工藤くん。お休みなのに申し訳ない。1度事務所まで来てくれる?なるべく早く」
と、社長の声が電話から聞こえた。
僕は「はい!」とだけ言い、ボサボサ頭のまま服だけ着替えて事務所へと向かった。


事務所の入口にはすでに事務員の町田さんが待っていた。
「工藤さん、こちらです」
小走りに事務所内を進みながら
「一体なにがあったんです?沢田さんは撮られたとしか言ってなくて」
「不倫です。」
「不倫!?」
「はい。相手が悪すぎました。」
「相手は誰なんです?」
「映画監督の黒田努です」

黒田努…?僕は度肝を抜いたと同時に
心底女王様を軽蔑した。
黒田努は女王様のデビュー作の監督だ。
歳はもう56歳。
高校を卒業したばかりの18歳の少女が純粋に恋におちるにはハードルが高すぎる。
そうか。女王様は枕をしたのか…
プロ意識だけは高いものだと思っていたが、だからこそワガママにも耐えていたのに
なんとも情けない。

事情を知った僕は落胆しながら社長室のドアを叩いた。

社長室には泣きじゃくる女王様と、参った。という顔の社長がいた。


「あ、工藤くん。悪いね。事情は聞いてるね?」
「はい」
「それで、これからどうしようか。というところなんだけど」
「記事はいつ出るんですか?回収は不可能なんですか?」
「不可能だね。記事は明後日にはもう出る。週刊誌に掛け合ってみたけど、こんなうまい話逃すわけないよねぇ」
「そんなに決定的な写真なんですか?どうにか誤魔化せないですか?」
食い下がる僕に社長は明後日には全国の書店に並ぶ週刊誌を渡した。
掲載されている写真を見て、言い逃れなどできるわけもないと悟った。

指を絡めて見つめ合いながらホテルに入っていく写真と
路上でキスをしている写真。

「誤魔化しようがないでしょ。こんなの」
ため息混じりに話す姿に社長がもう諦めているのが分かった。

ふと横で泣いているだけの女王様を見る。
体を小さく丸めて、何も言葉を発しない。
全ての責任を自分で負うなんて微塵も考えていないであろうその姿は、まさに子供だ。

沢田のの花。18歳。
そうだ。女王様はただの子供だ。
大人の仲間入りと世間で言われようと
この子はまだ大人の管理が必要で
助言が必要で、叱責が必要なのだ。


あまりに小さなその姿に怒る気も失せてしまった。


「沢田さん…何やってるんですか」
僕が力無くそう聞くと
彼女はガバッと顔をあげて
「本当に好きだったの!歳の差なんて関係ない!奥さんがいても、子供がいても関係ない!ちゃんと愛し合ってたの!!」


驚いた。まさか18歳の女の子が、純粋にあんな親父と恋におちるなんて。

彼女の目は本気だった。
涙をいっぱい溜めたその目で、真っ直ぐに僕を見ていた。


「それでもダメなものはダメなんだよ。相手に妻子がいる以上はのの花の恋人にはなれない。なってはいけないんだ。」
社長が諭すようにそう言うと
彼女は何も言えずに再び泣きじゃくるだけだった。


「それで、黒田監督はなんて?」

そう尋ねると、社長は深くため息をついて

「連絡がとれないんだよ。記事のことは向こうにももう話がいってるはずなんだけど」


女王様、改め沢田のの花は自分の携帯をギュッと握りしめて画面を凝視している。

「いつもはすぐ返信くるのに…」

ボソッとそう呟くと、力無くうなだれた。


僕は「はぁぁぁ。」と深いため息をわざと吐いた。

沢田のの花はギロリと睨みつけ「何よそれ。」と相変わらず強気な口調で言った。


「バカみたいですね。本当に。本当にくだらない。」

僕は吐き捨てるようにそう言った。

失恋で傷心中の少女にかけるにはあまりにも心無いセリフだろう。

沢田のの花は「お前が偉そうに言うな!!」と大声で叫んだ。

社長が「工藤くん」と僕を制止しようとしたが

僕は止まらなかった。


「沢田さん、分かんないですか?遊ばれたんですよ。黒田に。もう連絡なんてきませんよ。」


「違う!!そんなわけない!だって、好きだって、愛してる。て言ったもん」


「そんなの言うに決まってるでしょ。そう言っておけば、若い女が喜んで身体を差し出すんだから。」


「最低!!あんたなんかとは違う!!一緒にするな!」


「あんな奴と一緒にされるなんて僕の方が心外ですよ。いいですか、沢田さん。黒田が本当にあなたを大事に思っていたら、絶対にあなたと恋仲なんかにならない。今のあなたはこれからもっと人気になるはずだった。そんな大事な時期に不倫なんて持ちかけませんよ。」


「違う!!ひどい!」


「あなたがしたのは、ただの枕営業ですよ。」


そこまで言い切ると、沢田のの花は「違う。違うもん。」と言いながら携帯を握りしめた。


「工藤くん、ちょっと言い過ぎよ」と社長が沢田のの花に寄り添う。


「社長。会見を開きましょう。」


「会見…?」


「はい。記事が出る前にきちんと表に出て会見をしましょう!」


「絶対いや!!!」

僕をキッと睨みつけて沢田のの花が言った。

「悪いことなんてしてない!ただ普通に恋愛しただけ!!」

ガッと僕は衝動的に沢田のの花の胸ぐらを掴んだ。


「本気でそう思ってるのか。」

胸ぐらを掴まれたことに驚きつつも、沢田のの花は強気な視線を崩さない。

「悪いことをしてないと思うなら、なおさらそれを世間に分かってもらえよ。なんで嫌なんだよ。」

僕はあえて挑発的な言葉を並べた。

沢田のの花は涙をボロボロ流しながら

「なんで?だって…好きになっちゃったんだもん。芝居うまいね。て。もっともっとうまくなるよ。て言ってくれたんだもん。一緒に頑張ろう。て言ってくれたんだもん…」

そこまで言って力無くうな垂れる沢田のの花を見て、大人の僕たちの怒りの矛先は黒田に集中した。


まだ駆け出しの女優だった沢田のの花の1番欲しい言葉を、1番言ってほしい人がくれたのだ。

のぼせ上がるのも無理はない。

けれど、それは純粋な褒め言葉なんかではない。


しんと静まりかえった部屋で社長が「とりあえず1度休もう」と言いかけたが、僕はそれを遮った。

「沢田さん。しっかりしてください。お願いだから…!何のために田舎から1人で出てきたんですか。こんなことで、ダメにならないで下さいよ。」

気付けば僕もボロボロと泣いていた。

沢田のの花はそんな僕を呆然と見ていた。


「沢田さん。認めましょう。あなたは遊ばれたんです。わかりますね。」

ボロボロと泣きながらも、冷静に話す僕に沢田のの花も何かを感じ取ったのかさっきまでの強気な視線ではなく、落ち着いた眼差しでコクンと頷いた。


「今はまだ黒田のことが好きなんでしょうけど、感情は一旦捨ててください。あなたは会見を開く。そこで純粋な恋する女の子を演じてください。わかりますね?今度はこっちがあいつで遊ぶ番ですよ。」

一瞬沈黙したあと、沢田のの花はチラリといまだに返事のこない携帯の画面を見てふぅと息を吐いた。

携帯をポケットにしまい、僕の目をジッと見て

「わかった」と真っ直ぐに言った。



つづく

女王様はテレビの中で煌びやかなドレスを纏い、にこやかに手を振っている。

僕の仕事はこの女王様のご機嫌をとることだ。


女王様は毎朝必ずスムージーを飲む。
決まったお店の決まったメニュー。
一度注文をミスして、違うものを渡したら
機嫌をそこねて車の中にぶちまけた事があるから、注意が必要だ。

女王様は車の中で仮眠する。
BGMは要らない。
けれど人の気配が無ければ落ち着かないので、僕は車の中にいなきゃいけない。


女王様は仕事場に着くとあどけない少女のような雰囲気を纏う。
テレビや雑誌では『天然』なんて書き方をされている。

女王様の芝居は見事だ。隙がない。
「おはようございまーす」
と、ほどよく語尾をのばして小さく手を振りながら挨拶をする。
お偉いさんから「今日も可愛いね」なんて
口説き文句のような事を言われても
キョトンとしたあとで「え?私の事ですか?」と、とぼけてみせる。
そして照れたように「嬉しー」とはにかむ。
僕は何度となく目にした光景だが
みんなまんまと女王様の掌で転がされる。

女王様はとにかく優しい。…ふりをする。
仕事仲間の調子が悪そうだと
とても心配そうに見つめ、寄り添う。
その姿は聖母のように完璧だ。

当然、僕にだってその瞬間は優しいのだ。

どんな時も気にかけてくれるし、差入れのお菓子をわざわざ僕のところに小走りで持ってきて

「これ、美味しいよ」とにっこり笑ってみせる。

僕は小さく「ありがとうございます」と言って受け取る。

必ず誰かがそれを見ている。

ちゃんとその瞬間を解っているのだ。


長時間の仕事をこなし、女王様は屈託ない笑顔で

「お疲れ様でしたー」と全てのスタッフに挨拶をする。

小さく手を振り、何度も会釈をして車へと乗り込む。

瞬間、電池が切れたようにドサッと音を立てて

横になる。

「あぁーーー疲れたぁーーー」

と大きな独り言を吐いて

「ねぇ、なんか食べる物ないの?お腹すいたんだけど」と言うので

女王様がくれたお菓子を差し出すと

ギロリと僕を睨みつけ

「こんなんで腹ふくれると思ってんの?」と

そのお菓子を僕に投げつけた。

僕は「すみません」とだけ言って、構わず運転すると

ガンッと座席を蹴られた。

「ねぇ!お腹空いたんだけど!!」

女王様はかなりご立腹だ。

僕は車をコンビニに停め女王様の欲しがるであろうものを手当り次第にカゴに入れていく。

10分以内に戻らないと女王様の機嫌はさらに悪くなるので、急いで車へと戻る。


「お待たせしました!」とドアを開けると

女王様は眠っていた。

両手いっぱいに買い込んだ食べ物を助手席におき

僕は黙って車を走らせる。


自宅まで送り届けると、細心の注意をはらいながら女王様を起こす。

触ってはいけない。根気強く、何度も少しだけ大きな声で名前を呼ぶ。

女王様はムクッと起き上がって、無言でドアを開ける。

僕は慌てて、さっきコンビニで買い込んだものを渡すがチラッと袋を見ただけで中身を確認することもなく「要らない」と言って月に100万もするマンションの中へと入って行った。

こんな事はしょっちゅうだ。もうなんとも思わない。

明日は久しぶりの休みだ。

女王様の機嫌を気にしないですむ。



Prrr…!

眠りについてまだ3時間。

朝の5時に電話がしつこく鳴る。

せっかくの休みを邪魔されて、苛立ちながら着信画面を見ると相手は女王様からだった。





続く

3ヶ月前に中途採用で入ってきた田中くんは、いわゆる『エリート』らしいのだ。
有名大学をストレートで合格して、就職にも特に苦労はしなかったらしいが
最初の会社は肌に合わなかったとかで
半年ほどで辞めてしまったらしい。
そんな『エリート』らしい田中くんだが
未だにその片鱗は全く見えてこない。
そんな田中くんにかなりご立腹なのが
新卒採用で入社した相原さんだ。

相原さんはお洒落が好きな今どきの子。という感じで、仕事も一生懸命だし分からない事はきちんと聞いてメモにまとめておくような子で、上司としてはかなり好意的に彼女の成長を見ている。


ある日いつものように仕事をしていると
「田中さん!!!」
と相原さんの声が社内に響いた。
何事かと思いデスクを立つと
鬼の形相で田中くんを睨みつける相原さんと、なんだか釈然としない様子でムスッとした顔の田中くんが見えた。

相原さんは手に持っていた資料を田中くんの机に叩きつけ
「これ、なんなんですか!?」
と問いただす。
田中くんはムスッとしたまま
「何って…見ればわかるでしょ」
と特に説明もせず不貞腐れている。
相原さんが再び大声で怒鳴りそうなところをすかさずストップをかけた。
「ちょっと待って!一旦落ち着こう。どうしたの?」

相原さんはチラリと田中くんを見たあと
私に机に叩きつけた資料を手渡した。
「これは…昨年の売上データだね」
相原さんから受け取ったのは昨年の営業部の売上データだった。
「これがどうかしたの?」
相原さんは苛立ちながらはぁっとため息をついて
「これ、昨日田中さんにお願いしたものなんですけど、私は今年の売上データをまとめてください。って言ったんです。それなのに昨年のデータを提出するもんだから、数字が全然合わなくて昨日私と加藤さん遅くまで残業だったんですよ!」

話を聞くだけで目眩がしそうな事案だ。
どう考えても田中くんが悪いのだが、当の本人はなぜかずっとむくれている。

「田中くん…これは田中くんのミスだよね。」
思わずそう声をかけると
田中くんは「はぁっ」と短くため息をつき
「すみませんでしたー!これでいい?」
と挑発的な態度をとった。
「大体さこれくらいのことでいちいちあんな大声出さないでよ。結果、気付いて帰れたんだしたいしたことないでしょ」
とまで言い出した。

私も周りもあまりの身勝手さに呆気にとられていると

「あんたさぁ、いつも偉そうにしてるけどいい大学入っただけでしょ?その後は?正直全然つかえないんだけど。エリートだっていうからさぞ仕事が出来るんだと思ってたら、全っ然できないどころか無駄な業務ばっか増やして。あんた恥ずかしくないの?自覚ある?」
堪忍袋の緒が切れた相原さんがまくし立てるように田中くんに詰め寄った。

田中くんは勢いに圧されていたが
「底辺大学出が偉そうに!」
と苦し紛れの反撃をした。
相原さんはハッと笑い
「あんたさぁ、そのご立派な大学で何学んできたわけ?仕事もできねー、敬語も使えねー、礼儀もねぇ。底辺大学出よりつかえねぇじゃん。」
田中くんがまたも苦し紛れに
「下品な女だ!」
と、声だけは大きく言う。
相原さんはそんな田中くんにグイッと近付いて
「あんたさ、前の会社クビになったんじゃねーの?」
と聞くと田中くんの目は2倍に大きくなった。
その場にいた誰もが、相原さんの言っていることが真実なのだと気付いただろう。

田中くんは「気分が悪いから帰る!」と逃げるように帰って行ったが、当然無断で早退したことになるのでなにかしらの処分が下るだろう。


「相原さん!めっちゃスッキリしたよぉー!」と相原さんは様子を見ていた人達から口々に讃えられていた。
みんな田中くんには思うところがあったらしい。

その後田中くんは一度も出勤することなく
退職代行を頼んで会社を去っていった。