それは言ってはいけない言葉だった。
ー…
私と沙織は幼稚園から仲がよくて
家も近所だった。
気付けばいつも沙織が側にいたし
それはお互いが結婚したあとも変わらなかった。
最初に結婚したのは沙織の方だった。
優しそうな旦那さんと柔らかい雰囲気の沙織は本当によくお似合いだ。
沙織が結婚してから3年後、私も妊娠をきっかけに結婚した。
子供が産まれてから、初めての育児で自分にかまう余裕なんてなかった。
化粧もせず、髪もセットしないまま1日を終える日が何度もあった。
ふと鏡に写るボサボサの自分の姿に涙が出ることもあった。
あんなにお洒落が好きだったのに…
そう思いながらも腕に抱いた小さな我が子を見ると、そんなことは大した事ではないと思った。
沙織はよくうちに遊びに来て
「やっぱり赤ちゃん可愛いね。私も早く欲しいなぁ。」と言いながら優しく微笑んでいた。
ボサボサの私とは違う。指先までキレイなネイルが施されている沙織を私はちゃんと見られなかった。
羨ましいと思った。
私は「ごめんね。ボサボサで」
と苦笑いを浮かべながら自虐的な事を言うと
沙織はいつも笑って「そんな事ない」
と言ってくれた。
子供が2歳になりイヤイヤ期が始まると
私の心はどんどん暗くなっていった。
大人しく絵を描いていたかと思えば
突然クレヨンを投げて泣きだすし
ご飯を食べていても箸を投げご飯も床に投げてしまう。
私が怒るとより一層大きな声で泣いた。
そんな事が毎日繰り返されて、どうにかなってしまいそうだった。
『たまには息抜きしておいで』と夫に言われ
私は沙織とずっと行きたかったカフェにいた。
沙織は相変わらず綺麗な格好で、髪もツヤツヤしている。
「昨日美容室に行ったんだ」
と弾んだ声で話す沙織にどうしようもない嫌悪感を抱いてしまった。
沙織は何も悪くない。
頭では理解しているのに、心がまったく追いつかない。
沙織は昨日美容室で施されたトリートメントでツヤツヤな髪と、先週買ったお気に入りのショップの新作のワンピースを着て、華奢なネックレスとゴールドのリング。
足元は薄いピンクのハイヒールを履いていた。
私はもう何ヶ月も美容室に行けてない。
ボサボサの髪を無理矢理アイロンで伸ばして、いつ買ったかも覚えていないヘアオイルをつけ、急いで束ねただけ。
洋服も新しい服なんてしばらく買ってない。
数年前に買った水色のブラウスと、白いスキニーパンツを着て、アクセサリーは子供に取られるからといつの間にかつける癖が無くなった。
あまりの差に一緒にいるのが恥ずかしくなった。
沙織は幸せそうに笑っていて、仕事も順調で悩みなんて何もないような顔をしている。
「今日は主人がご飯作ってくれるから、ラクなんだ」と嬉しそうに言う。
私は帰りにスーパーに寄って食材を買って、慌ただしく夕飯を作らなくてはいけない。
なにもかもが違う。
沙織は私の欲しいものを全部持ってる。
自分の為にお金も時間もかけて、何不自由なく暮らしている。
私は子供の世話で朝から晩まで自分の時間なんてほとんどないのに。
ずるい。
そう思ったら最後。
沙織が一気に憎たらしくて仕方なくなった。
幸せそうに笑ってるその顔が、みすぼらしい姿の私を笑っている。
キラキラしている自分と比べて、私をバカにしている。
なんて嫌な女!
「子供いないと自由にできていいよね。羨ましい」
本心だった。
だけど、沙織が子宝に恵まれてないことを知っている私からでた最低の皮肉だった。
言葉になって口から出た本音は恐ろしく醜いものだと、自分でも分かった。
でも止められなかった。
沙織を嫌な気分にしてやりたくて、どうしようもなかった。泣かせてやりたかった。
「うちの子最近酷くてさ、夜もまともに寝れないよー!まぁ、不妊治療とかしなくて済んでよかったんだけど」
私はヘラヘラ笑っている。
沙織の顔を見ないようにして、傷付けると分かっている言葉を並べている。
最低だ。最低だ。
ほんの数秒、沈黙があったあと
「そうだね。授かれるか分からないのに、お金だけ消えてく。バカみたいに見えるよね。」
声が震えていた。
初めて聞く声だった。
「ごめん。用事あるの思い出したから帰るね」
そう言って沙織はスッと立ち上がり帰ってしまった。
当然だ。
分かってて言ったんだ。
けれど、興奮状態の私は自分が悪いだなんて思いたくなかった。
家に帰って夫に今日のことを勢い任せに話した。
「沙織はボサボサの私をいつもバカにしてたの。私、それが悔しくって。思わず『羨ましい』て言っちゃったー!」
沙織を傷付けるために吐いた言葉は隠した。
夫は優しく微笑んで
「ボサボサなんかじゃないよ。頑張ってる証拠だよ。沙織さんはまだ子供がいないから分からないだけだよ」
と私の欲しい言葉をくれた。
そう。沙織にまだ子供はいない。
その事が私を安堵させる。
私の方が勝っていると思わせてくれる。
そんな醜い本音に気付きながらも、私は自分を正当化する。
私は自分が可愛い。自分を守りたい。
仕方ないのだ。
悪いことをした自覚があるのだから、まだマシな方だと思う。
沙織に一応謝罪を入れた。
『育児のストレスでつい酷いことを言ってしまったの。本当にごめんね。あんなこと本当は思ってないから。ごめんなさい。』
私は謝った。
でも沙織からの返信は無かった。
私はやるべき事はやった。咎められることはないだろう。反省はしているのだから。
私は少しだけ沙織からの返信を待ちつつ
「子供が産まれた」という知らせが届かないことを祈る。