🟨4️⃣🟥最近、芦屋仏教会館から、昔に発行された『仏教文化研究所【1991】紀要創刊号を読む機会があり、感銘した内容があったので、皆さんに紹介させて頂きます。
🔶親鸞聖人の生命観、お釈迦様が我々に明らかにされた輪廻転生する生命観を正しく理解をすることは大切だと知らされます。
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✡️🌟親鸞聖人の生命観🌟✡️
梯 実円
🟨四、平等心
🔶経典の中では、しばしば私たちのことを「一子」と呼び、
「一子の如く情念す」というような、お言葉もあります。
🔷ことに『涅槃経』の中に「一子地は仏性である」というような言葉も使われています。
🔶親鸞聖人は、
🟨平等心をうるときを
🟨一子地となづけたり
🟨一子地は仏性なり
🟨安養にいたりてさとるべし
(註釈版聖典・五七三頁)
と、和讃されています。
🔷一子というのは、一人子ということであり、かけがえのない子どもということでございますから、
一人ひとりの人間をかけがえのない大切な子どもと見ていく境地をいうわけです。
🔶「涅槃経」では、一子地というのは、菩薩が自己中心的な想念を破って、はじめて自他一如の智慧を開き、自己 と世界の真実に目覚めていく時の位をいうわけで、いわゆる初地(初住)の境地のことです。
🔷この要職は、自他一 如の実相を悟りますから、自他平等、怨親平等の心を持つようになり、万人をかけがえのない一人子のようにみることができるようになります。
🔶そこで、その地位を一子地というわけです。しかし初地の菩薩は、まだ完全にその悟りの通りに行動することはできません。
🔷万人を完全に一子と見なし、その通りの活動ができるのは仏陀の境地ですから、親鸞聖人はその究極の立場からいって、一子地を仏陀の境地として、ここで讃詠されているわけです。
🔶「平等心」とは自他一如とさとったもののみが感得する怨親平等のこころです。
🔷では、その怨親平等の心という時の平等とは、どういうことをいうのかを、有名なシビ王のジャータカを通して味わってみたいと思います。
🟨このシビ王の話というのは色々の経論の中で語り継がれてきた物語であり、それだけに仏教徒に大きな影響を及ぼしてきたものです。
🟨ジャータカというのは、本生話と訳していますが、お釈迦さまの前生の修行中の物語ということで す。
🟨お釈迦さまの前生の物語という形で、お釈迦さまとは、どういう徳を持っておられる方なのかということを知らせ、その心の深みに触れさせていこうとするのです。
🟨シビ王という、大変、情け深い王様がおられた。
🟨その王様がある時、山歩きをしておりますと、傷ついた一羽の鳩が王様の懐へ飛び込んできた。
🟨そして「助けてくれ」という。そこで、シビ王は「よし、よし」といって、傷の手当てをしてやろうとしているところへ、一羽の鷹が飛んできた。
🟨そしてシビ王に「先程ここへ傷つい鳩が飛んできただろう」って言うんです。
🟨「その通りだ、確かに飛んできた」
🟨「その鳩は、私が見つけて餌にしようと思って飛び掛かって、傷はつけたのだが、逃げられたものだ。
🟨私の餌にするはずのやつだから私に渡せ」というわけです。
🔷そうすると、シビ王は
🟨「傷ついて、私に助けをもとめてきた鳩だ。お前に与えて見殺しにするわけにはいかん。
🟨お前は、どこかで死んだ動物の肉を探して食べなさい」と諭しました。
🔶すると鷹は「私は、死んだ動物の肉なんか食べないんだ。生きてる動物の肉と血が私の命の糧なんだ。私は実は長いこと、餌にありつけないで餓死寸前なんだ。
その鳩を食べないと私は死んでしまう。
貴方は慈悲深い心で鳩を助けようというのだろうが、鳩を助けるということは私を殺すことなんだよ。鳩を助けて私を殺していいのか」と言うのです。
🔷そう言われて、シビ王は困ったんですね。鳩を助けようと思ったら鷹を殺さなならん。鷹を死なすまいと思ったら、鳩を殺さなならん。進退きわまったわけです。
🔶その時、シビ王は決心するのです。
🟨「よしわかった、それじゃ、この鳩の肉と同じだけ私の肉を与えようじゃないか。それならいいだろう」。
🔷すると鷹は
🟨「それならいい。ただし鳩の肉と全く同じ重さでないと私は命を保てないんだから、掛け値無しにしてくれよ」という。
🔶そこで、シビ王は家来に命じて称を持って来させます。天秤ばかりです。
🔷そして一方の皿へ鳩をのせ、そしてもう一方の皿へ、鳩よりは大分、重いと思われる切りとった自分の腿の肉を乗せました。
🔶ところが鳩の方が、ぐっと重いんです。シビ王の肉の方がずっと軽いわけです。それで鷹が
🟨「これじゃ私の命は助からないよ」と言う。
🔷そこでシビ王は自分の片腕を取ってそこへ加えました。たかが鳩一羽です。
🔶自分の片腕の方が重いに決まっている。ところが載せてみると、やっぱり鳩の方が重い。
🔷その時シピ王ははっ と気がつきました。そして自分自身が天秤皿に乗ったのです。
🔶そしたら、はじめて秤のつり合いがとれたというのです。これが平等ということです。
🔷平等とは両者の重さがまったく等しいということです。平というのは秤が水平に なることです。
🔶秤が水平になったということは二つの重さが等しいということです。
🔷ここでは鳩の「いのち」の重さと、王様の「いのち」の重さが、そして、また鷹の「いのち」の重さが全く等しいということです。
🔶こうして、シビ王は自分の身体全体を鷹に与え、そのことによって鳩と鷹を助けたというのです。
🔷そのシビ王こそ、今のお釈迦さ まである、といっているわけです。
🔶ところで、ここでは、鳩も鷹もシビ王も言葉が通じ会います。
経には「人語を語る」といっていますが、これがおもしろい。
🔷私たちだって、子供の時分は虫とでも話をする。花とでも話をする。人形さんとでも話ができたのです 、年をとって知識がつくと話ができなくなった。
これは「いのち」の共感を失ってしまったからでしょう。
🔶さて、この説話を通して仏陀は「いのち」をどのようにみられていたかということを知ることができます。
🔷まず 第一に「いのち」を救いきるということは片手間でできる仕事じゃない、ということです。
一匹の虫であれ、 羽の鷹であれ、一人の人間であれ、本当に救いきるためには自分の全存在を与えるほど重い仕事であるという、救済活動の持つ厳しさを表しています。
🔶それと、もう一つは、先にいったように鳩のいのちも、鷹のいのちも、そして王様のいのちも平等の重さを持っているということです。
その重さが等しいというのは「いのち」の重さは、物理的な量として測れる重さじゃないということです。
それが「いのち」という存在の重さなんだということを、教えようとしております。
🔷久遠の昔に出現された法蔵菩薩が、一切衆生を救おうという願いを起こし、そして兆載永劫にわたって修行をされたということが『大無量寿経』に説かれています。
🔶なぜ法蔵菩薩は一切衆生を救うために兆載永劫の間、修行しなければならなかったのかといえば、一切衆生の数だけ、身を捨てなければならなかったということでしょう。
🔷そこに救済という言葉の持つ重さがある訳でしょう。更にいえば、一切衆生を救おうという心が、もし起きたとしたら、その瞬間にその人は、もう永遠に死ななくなるともいえましょう。そういう人を菩薩と言うのです 。
🔶逆にいいますと、限りなく衆生のために死に続け、限りなく身を捧げ続けるということにおいて生き続けるのです。
🔷「法華経』の中に、三千大千世界に釈尊が「いのち」を捨て給わない場所は芥子ほどもない、といわれているのは、まさにそういうことでしょう。
🔶こうして一切衆生のために限りなく命を捨てる決心がついた菩薩は、それゆえに、生きとし生ける全てのものと連帯し尽くし、一切衆生と共に限りなく生き続けるのです。
🔷こういうことを、自他一如の慈悲を行ずる、といいならわしています。阿弥陀仏が限りなき「いのち」のみ仏というので無量寿仏といわれるのも、その故です。
🔶万人と一体になって千変万化しながら、限りなく生き続ける。
そういう「いのち」の世界があるのです。
🔷ところで先に申しましたシビ王は、やがて釈尊となる方ですから、いいかえれば、釈尊にとって、ご自身も鳩も鷹も全く同じ重さとご覧になっているということであり、更にいえば、私どものような煩悩具足の凡夫も、ご自身と全く同じ重さでご覧になっているということでした。
🔶そこに仏教の生命観の特徴があります。天地の創造者である神と、被造物とは全く違った次元にあり、被造物の中でも、人間と他の動物、植物とは、食べるものと食べられるもの、管理するものと管理されるものという価値的な違いがあり、それが生命の秩序であると見ていくキリスト教などと全く異なる生命観に立っていることがわかりましょう。
🔷悟れる方である如来様と、私ど も凡夫と、どちらが尊いのですかと尋ねた時、本質的には少しも変わりがないんだと言い切ってくださる方を如来というのです。
🔶そう言ってくださる方だから、私どもは如来を世尊として仰がずにおれないのです。如来というの は、生きとし生ける全てのものを自分と同じ重さで御覧になり、その「いのち」の尊厳を確認し、万人を拝んでいかれた方なのです。
🔷万人を拝む方であるから、万人に拝まれるのです。このように煩悩具足の凡夫の上に如来と同じ尊厳性を認め、一切衆生を如来の子と見ていくことを、如来蔵とか仏性といわれているのです。
🔶『法華経』の中に有名な常不軽菩薩の説話が出ております。常不軽と渾名された菩薩がいたというのです。
🔷常不軽とは、常に軽んぜずと書きます。この人は、どんな人を見ても、やがて素晴らしい仏陀となられる尊い方だと信じて、全ての者を拝んでいったというのです。
🔶この人は学者でもない。経も読まず、礼拝ばかりしていたといわ れています。
🔷ただ威音王仏の残された教えを聞いて、どんな人も、全てやがては仏になられるお方であると知ら され、そう信じてしまったといわれています。
🔶万人が必ず仏になる方だと信じる人は、無限の未来を、ただ今の上に見ている人だともいえます。
必ず貴方は仏になる方だと本当に思えたならば、その瞬間に時間がギュウッと収縮しまして、そのただ今の一瞬にその人が輝いて見えるのです。
🔷無限の過去と無限の未来が、ただ今の一瞬に収縮しまして、そして万人が輝いて見える、ということがあるのです。
🔶彼はそういう世界に生きていたのです。 そうして彼は全ての人を拝む訳ですが、拝まれる方は「キザな奴だ」という訳で、彼を嫌うのです。
🔷それでも拝むものですから腹を立てて、彼をなじるばかりか、殴りかかる者もいました。
🔶すると彼は逃げて相手の手が届かないところまでくると、後ろをふりかえって、また拝む。石を投げられると石が届かんところまで逃げて、そこでまた拝んでるというふうであったといわれています。
🔷そんなことで、皆から常不軽とあだ名された訳です。 しかし、この徳によって、彼は後に釈尊となり、さとりを完成したと説いてあります。
🔶この常不軽菩薩の説話は法然聖人が非常に喜ばれた話なのです。
🟨「お念仏の教えを説く時には、常不軽菩薩の心を忘れないように」と言われたそうです。
🔷常不軽の心を忘れないようにということは「愚かなものに法を説くんじゃなくて、み仏の御子にみ仏のみ心をお伝えするのだと思え」ということでしょう。