皆さま こんにちは。アメリカ東部在のきのこ🍄 と申します。息子2人(14歳、11歳)の成長記録書いてます。
皆様お元気でしょうか?大変ご無沙汰してました。おとといアメリカに戻りました。今夏の沖縄滞在6週間、今までとは全く違う経験となりました・・・。
父(88歳)要介護申請
去年までは母の買い物のために車の運転をし、玄関から居間まで伝い歩きできた父。しかし、今年は、車の運転を諦め(免許書は返納していないが)テレビの前に座りっぱなしの生活を送り、体力と筋力が激しく低下してました。以前から母の負担が大きかったのですが、このままだと急下降するなと思い6月22日(木)に市役所で「要介護認定」申請をしました。
調査員が来るまでの間、図書館で本を借り、
ネットでも関連団体の事をいろいろ調べ
ブロ友さんからの励ましの言葉を頂き(zuborakyoikumamaさん、ありがとうございます!)情報を得る事ができましたが・・
母(82歳)乳がんステージ2A発覚
そんな矢先、定期健診に行った82歳の母が「左胸にしこりがあるって言われたから、乳がん専門医を紹介された・・・」ということで、定期健診の翌週、乳がん専門医へ。
CTスキャンに超音波、マンモグラフィーと数時間にわたる検査後、主治医との面談。画像を見ながら「乳がんの可能性があります。今すぐ生検しましょう」と細胞を取ってもらい「結果は2週間後ですね」とのこと。
「きっと大丈夫だから。心配して暗い顔で過ごしても結果は変わらないから、楽しく過ごそうよ!」と励ましましたが・・・
7月5日検査の結果、ステージ2A(ルミナルBタイプ)
ショックを受ける間も無く、主治医から乳がんの種類やどのような治療法があるのかの説明をうけたあと、年齢を考慮すると、局所摘出ではないく左胸全摘の手術がよいと・・
気持ちの整理ができないまま、「ひとまず手術をするためにいろいろな検査をしないといけないので、その予約をしましょう」と翌週に血液検査やら造影検査の予約を入れました。
看護師さんも主治医も優しい方々で、動揺する私達をしっかりフォローしてくださいました。
要介護認定待たず、ケアマネージャー探し
検査の結果、転移はないが、広がりやすいタイプであることがわかり、早めにとった方がいいということで、手術日が9月4日と決まりました。1週間は入院ということで、乳がんが分かった翌日、父の介護認定をまたずにケアマネージャーを決めて、デイサービスあるいはデイケア(同じような施設だと思っていたら、違う機能なんですね)を決めたほうがよいと判断し
朝一で地域包括支援センターへ電話。
「認定審査待ちで、要支援か要介護等のレベルは不明だが、母が乳がんに罹ったので、サービスをうけたい」と事情を話したところ、早速翌週の月曜日に包括センターの社会福祉士さんが訪問してくれました。
私達と1時間ほど話をした後、父の健康状態と我が家の様子から「要支援1~2、要介護1専門のケアマネージャーを探しますね」とのこと。翌日、「ケアマネージャーさんが決まりました!今日中に連絡を入れますね」と嬉しい報告. 数日後にケアマネージャーさんが、訪問してくれて、「〇〇さんにあったデイサービス探しますね」と約束してくれました。
母:セカンドオピニオンどうする?
父のケアマネージャーさんが決まって、仮利用できそうなデイサービスを探しているのを待つ間、乳がんサバイバーの姉や乳がん治療中の知り合いから「全摘ですって!?それ以外にも方法はあるはず!!絶対セカンドオピニオンを聞いた方がいい!!」と強く勧められた母・・・・
沖縄県でトップと言われれる乳がん専門医を紹介してもらったのですが、病院嫌いの母。説得に時間がかかりました・・・。
父:デイサービス決定
無事、父の要望(誰かと囲碁を対戦したい)ができるデイサービスが見つかり、1日お試し体験に行ってきました。
が、ここに至る前にいろいろあり(お試し体験前夜に父が行きたくないとパニックになったり、お試し体験日と思っていた日が、実は母の聞き間違いで日付が違っていたり・・・)どうなることかと思いましたが、「楽しかった!」と笑顔で帰宅しました。子供を幼稚園に送り出すような、そんな気分でした・・・
母:セカンドオピニオンを受ける
手術のための検査を受け、手術の説明を主治医から受ける日(7月22日(土)。リゾートホテルで料理人をする弟は仕事を休み(観光地沖縄。夏は休めないのです)東京からはLine で姉が参加し、手術の説明を聞きました。
そして正直に「セカンドオピニオンを受けたいです」と主治医に相談すると「もちろんですよ」と快く返事を頂き、早速必要書類やカルテを準備してくれました。
セカンドオピニオンを受ける病院は決めていたので、即電話で予約。そして月曜日、母を連れて行ってきました。仕事帰りの姉も東京からLine 参加。心強いです。
結果、この病院では手術はせずにまずはホルモン治療からスタートすると言われてしまい・・・親子でかなり迷いましたが、転院はせずに、主治医に手術前にホルモン治療を開始てし欲しいということ伝える電話をし、早速私が帰国する26日にホルモン治療を開始することになりました。
父:私の帰国2日前に介護認定審査
そして、帰国2日前。父の介護認定審査員が訪問。1時間ほど父へのインタビューや家の中の様子などをチェックしてくれました。結果は8月中旬。
帰国:海外から親の介護
車を運転できない両親を残し、中途半端な状態で帰国するわけにはいかないと、息子達だけを先にアメリカへ帰国させて私は残ろうかと思い、ANAに連絡して子供だけで飛行機に乗れるのか、便の変更は可能か等、と準備しましたが
弟は「できるだけ仕事を休むよ」姉も「8月と9月に帰郷するから」そして母も「大丈夫!!子供達と旦那が寂しがるからアメリカ戻りなさい。」ということで、予定通りアメリカに戻りました。
2023年の夏。本当にいろいろな経験と学びがありました。淡々と日々の「やるべき事」をこなしていく毎日でしたが、改めて笑顔で過ごせて、何でもない普通の日が幸せである事を実感しました・・・。
写真:実家から車で15分のところにある海。息子達は長男の友達と一緒に数時間遊泳を楽しみました。