雨の上野公園、東京都美術館。今、ミロ展が開催されています。

 

 

美術展に行くのは久しぶりで、日頃のストレスをなんとか和らげたいということで、雨をものともせずに行ってきました。雨の上野公園はなかなか風情があっていいものです。

 

私はミロはそれほど好きではありません。家族が好きで、リビングにはミロの絵が2、3枚掛けられています。(もちろん複製です。)今日、実際に鑑賞してみても、感動するとかハッとさせられるとか、そういうことはありませんでした。

 

ミロは絵画とポエムという考え方をするようです。思わずクスッとするような作品もあります。戦争の最中も創作に取り組み、絵を描くことで外界の忌まわしいことを忘れられるというような言葉も残しています。画家も国際情勢、政治情勢の中で苦しみながらも何かを作り出すという作業をしているのですね。

 

私はGiorgio De Chiricoの展覧会に行って以来、すっかり虜になってしまい、今も自伝を読んでいるところです。彼の形而上学的絵画に強い衝撃を受け、絵画といえばキリコというくらいハマってしまっているので、他の近代絵画を見てもなんだか印象に残らず、以前見たキュビズムも今となっては???という感じです。それほどキリコの独自性は際立っていると思います。あんなの、誰も真似できないし、あんな発想はできないから、そこに強い魅力を感じるのだと思います。

 

今日のミロ展、私はどちらかというとさーっとみて、自分の感性に引っかかってくるものを見つけるという鑑賞の仕方なのですが、家族はじっくりと説明なども読みながら時間をかけて鑑賞するタイプです。だから、今日も私はさっさと見終わって椅子に座って待っていました。

 

私がいいなと思ったのは次の2枚でした。1枚目は男の頭部というような説明だったと思いますが、どこが頭なのかな?

 

 

 

いよいよ6月になりました。一年の半分に差し掛かろうとしていますが、だから何だというのでしょう?別に普通に過ごすだけの話です。

 

ただ、昨日の5月31日はとても楽しい推し活の日で、日頃の介護のストレスなどどこかに吹き飛んだ感じがしました。というのも、私の推しの歌姫しおたんが藝大の先輩のバリトン河野さんと恒例のライブを西日暮里の喫茶疎開サロンで行ったからです。

 

曲目はイタリア歌曲をはじめ、ディズニーやジブリ、みかんの花咲く丘などの唱歌や合唱曲もありました。私はイタリア歌曲に関心があるので、ヘンデルのOmbra mai fuやBelliniの優雅な月(Vaga luna, che inargenti)がいいなあと思いました。特に後者は初めて聴いたので早速歌詞を調べたほどです。春でも夏でもない今の時期にぴったりの曲を選ぶのが大変だったという話もありました。また、過去2回のライブで歌った歌とは違うものを選びたいということも、選曲を難しくしているのだそうです。

 

二人がただ歌うのではなく、それぞれの曲の思い出や背景説明などもしてくれるので、一つ上のレベルで音楽を理解することができました。特に藝大で歌わされた曲の思い出や、先生の厳しい指導のことや、練習室の雰囲気などにも話が及んで、楽しかった。

 

そしてしおたんのソプラノが河野さんのバリトンと組み合わされると、とんでもなく美しくなるというのも魅力の一つです。しおたんがデュエットした人たちの中で、河野さんがベストだなあといつも思っています。しおたんはポップスも歌うので、ポップス系の男声とデュエットすることもあるのですが、何かアンバランスなのです。しおたんの声量にマッチするポップス歌手はなかなかいないからでしょう。

 

音楽を職業とする二人の生き方が垣間見えるライブでもありました。

 

音楽に感動し、二人の人柄とプロフェッショナリズムに触れて、大満足の1日を過ごせました。今日はその余韻に浸りつつ、何か少しぼーっとして過ごしていました。良い週末でした。

 

 

今日は家族の付き添いで、東京科学大学(旧東京医科歯科大学)病院に行きました。

 

ちょっとした手術が必要で、事前の検査と入院の説明を受けるためです。検査は非常に順調に進み、待ち時間もほとんどありませんでした。

 

入院の説明は、看護士さんと事務職員さんの二人から受けました。まあ、なんというか、同じ説明を多くの人にしなくてはならないからでしょうが、看護士さんは機械的にすぎる説明で何を言っているのかわからないほどの早口でした。

 

もらった書類に後でゆっくり目を通して頭に入れれば良いのでしょう。家族はどうでもいいから早く終わらないかなという感じでしたが、私はなんだかむっとして何回か聞き直しました。質問もしました。あんな説明だったら書類だけで十分じゃないかと思うのです。

 

何を言いたいかというと、人にわかりやすい説明をするのは実はとても難しいことなのだということです。要するにこういうことが大事なポイントだから、詳しくは書類を読み返しておいてくださいというのでもいいのですよ。今日のはひどい説明だったな。おざなりもいいところだったなと思った次第です。

 

全て終わって支払いの窓口に行きました。目もくらむくらいの人が待っていました。まず番号札を受け取ってしばらく待ってから、自分の番号が電光掲示板に出たら窓口に並んで計算してもらいます。そしてまた電光掲示板に自分の番号が出たら、はじめて支払い機のところに行って支払いをするという仕組みです。全部で小一時間くらいかかりました。

 

私がかつて東大病院で診察を受けた時も、似たような感じでしたが、こんなに時間はかかりませんでした。東京科学大学はもう少し規模が大きいのかもしれません。夥しい数の事務職員が働いています。医師、看護士も含めたら何人くらいの人があそこで働いているのだろう?歯科もある大病院だからでしょうか?そういえば4年くらい前、矯正を始めるにあたって頭部のレントゲンを撮りに来たことがあります。その時、歯科ではなく医科の待合室に間違って行ってしまったことを思い出しました。

 

東京科学大学についてはその壁画が素晴らしいという話を既に書きました。(今年の4月25日のブログ)今日は家族の付き添いとはいえ、半日病院の中にいたせいか、とても疲れました。私自身は何をしたわけでもないのに、どうしてこんなに疲れるのかと思うくらい消耗しました。病院って、人を疲れさせる場所ですね。待合室で老夫婦が「病院(にきて検査を受けるに)は、体力がないとだめだな」と話していましたが、本当にその通りだと思います。