泳ぐのが大好きな私ですが、問題は、1日のうちで何時頃ジムに行くか、です。

 

以前は独居の義母95歳の介護のために、週3,4回通うという生活でした。とてもではありませんが、ジムに行く時間などありません。というより、時間はなんとか捻り出せても疲れ切っていて体を動かすエネルギーが残っていませんでした。

 

現在彼女は施設に入っており、面会は午後2時くらいからなので、午前中は自由な時間を確保することができます。

 

それで、朝泳ぐことにしてみました。これがとても良いのです。

 

最近、すぐに疲れて夕方になるとエネルギーが枯渇してしまう毎日だったのですが、朝に運動すると一日中元気が保てるのです。朝プールに行って、軽く泳ぐ。この軽く、というところがポイントです。以前のように全力で30分泳ぐと、それだけで疲れてしまうので、10分でも15分でもいいからゆっくり泳ぐようにしてみました。だいたい20分くらいが最近のペースです。

 

そうすると全身の血流が良くなり、脳にも酸素が行き渡り、本当に爽快な気分になるのです。驚いたことに、一日中、意欲的で幸せな気分が続くのです。もちろん、以前から泳ぐことで血流が良くなるくらいわかっていましたが、1日の最初に運動するというところがポイントなのです。

 

朝は私にとって最も大事な時間です。頭が一番冴えるので、考え事をしたり、本を読んだり、イタリア語の勉強をしたりすることで満足感が得られるため、体を動かすことに朝の大事な時間を使いたくないなあと思っていました。でも、1日の始まりに軽い運動をすることの大切さを改めて実感しています。

 

スタンフォード式疲れない体という本があるらしいですが、そこに書かれていることは実は知っていることばかり。私にとって一番大事なことは朝の軽い運動だということに気づいて実践しているところです。

 

 

現役の頃は講義をするのが日常だったという話は一つ前のブログに書いたとおりです。マイクを手に握るあの感触、学生の前で喋る時の緊張しつつも楽しいという感じ、どれもが懐かしいです。私は良い講義をしていたかは別として、講義をすることが嫌いではありませんでした。

 

自分が学部生だった頃、ある著名な教授が「自分は講義のない世界に行きたい」と言っていたのを思い出しています。偉大な教授はそんなふうに感じるものなのかなと不思議な気持ちでした。凡人の私は、自分の考えていることが面白いでしょう?と言いたくて喋っていたように思います。それが面白いと思ってくれる学生もいれば、それほどでもない学生もいたことでしょう。万人から面白いと思ってもらえる講義なんて、この世にはないですから。

 

ただ、私は講義の準備が間に合わなくて焦ることはあっても、講義をするのが嫌だと思ったことは一度もありません。人前で話をするのは決して嫌いではなかったな。

 

退職してからは、学術の世界での研究からは完全に一線を画して、自分が本当に考えたいこと、本当に面白いと思っていることを追求する生活を送っています。

 

そんな中で、最近、Substackをよくみるようになりました。大学卒業後に大学という学びの場所がいかに自分にとって知的に重要な場であったかを強く感じる人たちの投稿を目にしました。アメリカでは高額な授業料を払って最高の学びを得るわけですが、卒業して就職すると、学生時代は戻ってこない、あるいは、またアカデミアにどうしても戻りたいなどさまざまなケースがあるようです。でも、アカデミアに戻らなくても、プロの研究者でなくても、自分が本当に研究したいことを継続することはできるという主張がSubstackではあちこちに見られて、自分が感じていることを代弁してくれているような気持ちになります。

 

例えば、YaleやHarvardやMITなどの一流大学は、オープンコースを開講してそれをYouTubeにあげているので、自分の興味にあった講義を聴くのが良いのではないかと言います。

 

なるほど。ちょっと覗いてみよう。

 

というわけでYouTubeを検索すると、例えばYale大学の政治学教授のIan ShapiroがIntroduction to Power and Politics in Today's Worldに始まる一連の講義をしていることを発見、早速聴いてみました。冷戦終結、ソ連崩壊から今日に至る国際政治を歴史的に捉え、現在問題になっている国際政治上の多くの問題を考える糸口を与えてくれます。

 

講義を聴く側に立ってみると、学生を引き込むような話し方、内容、どれをとっても素晴らしいと思いました。あんなふうに自分は喋ることができる(できた)だろうか・・・ついついそんな考えが頭をよぎります。深い知識とストーリーの組み立て方、論理の展開の仕方など、自分はあんな講義はとてもではないけれど、できない。そんなことを感じました。

 

この講義は自分の専門に近い内容でしたが、全く専門外のトピック、例えばMITのneuroscienceの教授によるThe Human Brainという講義も面白かった。全く知らないことを知る喜びを感じました。脳がどんなふうに機能しているかは、高齢者の認知症に関心がある私にとっても重要な関心事の一つです。

 

オープンコースは知識の宝庫だと感じました。それに引き換え、自分はどれだけ学生たちの知的関心を刺激し、面白さを感じてもらう講義をしてきたのか、全く自信はありませんが、そういう過去は別として、現在の自分にとっては教材を自ら探し、学び続けることが何よりも重要であるし、楽しいと感じています。

昨日は推しの歌姫しおたんのライブでした。豪雨に見舞われましたが、なんのそのです。2024年1月に初めてライブに参戦した時は雪に降られました。(2024年1月13日のブログ参照)今回は豪雨。荒天の中、しおたんに会いたい一心で会場に辿り着きました。

 

ライブが素晴らしかったのはいうまでもありませんが、今日はそのことよりも、笑っちゃうような私自身の行動について書いてみたいのです。

 

楽しい企画満載のライブでしたが、トークのさなかに、会場の聴衆に「何か質問はありませんか?」と問いかける場面がありました。私は以前から聞いてみたいことがあったので勢いよく手をあげたところ、マイクを向けられました。

 

そのマイクを握りしめた瞬間、自分が講義をしていた現役の頃を思い出し、あの頃の感覚が蘇ってきたではありませんか。まあ、ワインを二杯くらい飲んでほろ酔いだったせいもあるのですが、なんだか喋りたくなってしまったのです。

 

もちろん質問したいことがあったから手を挙げたのだし、しおたんも喜んで答えてくれてその場は盛り上がったと信じたいです。

 

でも、酔いが覚めて改めて振り返ってみると、あのマイクを握った瞬間の感覚は一体何だったのだろうと不思議な気分になりました。自分の身に染み込んだマイク片手に講義をする習性というものがあるのではないか。マイクを握って学生に向かって講義をすることが当たり前の日常であった現役の頃。あれから5年経った今、その時の感覚がふと蘇ってくる。5年間で忘れかけていた感覚が蘇ってくる。

 

なんとも新鮮な驚きでした。講義をすること、学生に何かを説明することが自分の仕事であり、何よりもかなりそれが好きだったのではないか。

 

昨晩も、質問は手短に終えたのですが、もしあのまま、何か喋れと言われたら喜んで喋っていたのではないか?それくらいマイクを握った感触が心地よくて幸せな気分になってしまいました。

 

自分の中で起こった化学反応見たいな予期しない出来事に、帰り道、一人で笑ってしまいました。

 

自分が満足できる講義をしていたかどうかは、また別の話です。それについては語りたいことがあるので、次のブログで書いてみたいと思います。