安全保障のことを考えていたら、縄文時代に行き着いたという、なんとも面白おかしい話です。
柳沢正史先生という睡眠医科学の専門家によると、睡眠によって無防備になり外敵から襲われるというリスクを冒してまでなぜ人間(哺乳類)は眠るのかという疑問があるのだが、それについては最先端科学によってもまだ解明されていないのだそうです。この話が頭のどこかに残っていて、柳沢先生が旧石器時代のことを指して仰ったのかどうか、覚えていませんが、とにかく大昔の人間を指していることに間違いはありません。
それで、石器時代から現在までの年表など全く思い浮かばなかったのですが、縄文時代(12000年前から2300年前まで)もそうだったのだろうなと思って、その連想から縄文時代についてちょっと知りたいと思いました。
そうしたら、縄文時代というのは人々の関心を余程惹きつけるらしく、書物もたくさんあるのです。あまりにも学術書的なものには関心が向かず、とりあえず小山修三さんの『美と楽の縄文人』というのが面白そうだったので読んでみました。
面白く楽しいことがたくさん書いてありました。青森県に山内丸山遺跡という有名な遺跡があるそうで、発掘されたものを例にさまざまな話が展開されています。漆器が作られていたことから、縄文時代は原始的な狩猟採集の世界ではないと説明されています。食うに困らない生活基盤があり、生活の中に贅沢や美しさを楽しむゆとりがなければ漆器作りは成功しないというのです。なるほど!
縄文時代は非常に活力ある世界であったことも指摘されています。異質な人やモノを融合させる活力ある社会で、自給自足のような停滞した社会ではなかったそうです。ベンチャー的で基本的に動きのある社会であり、大陸と行き来をしていろんなものを持ち帰ってきたのだそうです。鹿児島で丸木舟なども発掘されていて、縄文人は太平洋に展開して活躍したアマビト(海人)ではなかったかと著者は推測しています。
面白かったのは縄文人の精神世界についての記述です。彼らは魂の存在を信じ、すべてのものに魂が宿っていると考えたそうです。いわゆるアニミズムです。人々は魂と物体の2つの世界に親しみ、調和しながら暮らしていたのではないかというのです。なぜ死ぬのか、死ぬとどこへ行くのかということは縄文人にとっても重要な問題で、結局魂が肉体から離れた時が「死」であり、魂は滅びることなく別の体に居場所を変える、だから永遠に死ぬことはないのだという結論になります。
ああ、そういうことか。以前、矢作直樹さんの『人は死なない』という本を読みましたが、その中でもこういう趣旨のことが書いてありました。また、藝大のArt Plaza Timesの2022年7月16日号に、偉人たちの考える「生と死」とは?という特集が組まれています。さまざまな人たちの言葉を整理すると、次の三つになると思いました。(1) 生きている限り学び挑戦する (2)生と死は繋がっていて、ただ車を乗り換えるだけだ (3)死は特別なことではなく、日常。特別驚くことではない。
縄文時代について読んでいて、この(2)を思い出しました。そう考えると死を恐れることはないのかな、という気持ちになります。
縄文人がそう考えたかどうか知りませんが、このArt Plaza Timesの死についての引用の中に作者不明というのがあって、私はそれが一番面白いと思いました。「天国はすごくいいところらしい。だって、行った人が誰一人帰ってのないのだから。」