~ひろりんの日記~

~ひろりんの日記~

病気と日常の日記だよ~(^^)

●3/13 晴れのち曇り

 

昨夜0時に就寝後、今朝6時に起床するまでの間に、トイレに3回、目を覚ましました。

 

立ち眩み、腰痛は落ち着いていました。右頸部の付け根から右肩にかけて痛みがありました。

 

喉にはいがらっぽさがあって、咳と鼻水を生じていました。痰は少量ですけど朝だけ生じていました。

 

以前生じた発疹は少なくなってきている一方で、新たな発疹が鼠径部を中心に生じていました。

 

今日は右足親指に痛みがありました。見た目は何ともなく、痛風のような感じはありません。骨化筋肉が痛む感じでした。とりあえず、ロキソプロフェンNaゲルを塗布して様子を見ることにしました。

 

紫斑も消失したり、薄くなってきているものがある一方で、新たなものも生じていました。

 

今朝の血圧は149/88。脈拍67でした。

 

大学病院、地元の整形外科から処方されている朝常用の薬、市販の総合感冒薬を服用し、準備をして7時から仕事を始めました。

 

怠さというか疲労感は昨日と比べると弱くなっていました。

 

残業を終えてから地元の整形外科へ赴きました。今日は2週間ぶりの診察です。30分ほど待って診察室から呼ばれました。

 

痛みはどうですかと訊かれたので、右頸部の付け根から右肩にかけて痛みがありますとお伝えしました。

 

頸を上下、左右、回したりして痛みがどうか確認されました。上下に倒しても痛みは殆どありませんでした。左に倒しても痛みは殆どありませんけど、右側に倒した時と、左右に回すと右側が痛みました。

 

肩も確認されました。張り方は先週とあまりかわっていないですね。先週チザニジンを処方しましたけど、どうですか?と訊かれましたけど、変化があった感じはしないですとお伝えしました。

 

 

痺れはどうですか?と訊かれたので、全くありませんでしたとお伝えしました。痺れが無いということなので、チザニジンを継続しましょうとのことでした。

 

本日処方されたのは下記2種類です。

・チザニジン1mg錠(中枢神経系に作用して過剰な筋肉の緊張を和らげる中枢性筋弛緩薬)朝夕1日2回×2週間分

・トアラセット配合錠(トラマドール塩酸塩(非麻薬性オピオイド)37.5mgとアセトアミノフェン325mgを配合した鎮痛薬)朝夕1日2回×2週間分

 

 

これで本日の診察は終了となりました。続いて、頸椎牽引のリハビリを受けました。負荷12kgで12分間です。

 

リハビリ後、会計を済ませ、調剤薬局で薬をいただきました。帰りに駅前のロピアで買い物を済ませて帰宅しました。

 

右手人左飛指が時々いうことを利かなくなる症状に変わりはありませんでした。

 

右足親指の痛みは朝と変わらず続いていました。ロキソプロフェンNaゲルを再び塗布しました。

 

1時熱36.5℃。血圧125/82。脈拍82。

●3/12 晴れ

 

昨夜1時に就寝後、今朝6時に起床するまでの間に、トイレに2回、目を覚ましました。

 

立ち眩み、腰痛は落ち着いていました。右肩の痛みは若干ありましたけど、昨日よりは良い感じでした。

 

喉のいがらっぽさ、咳、鼻水は変わりありませんでした。痰は落ち着いていました。

 

朝常用の薬、市販の総合感冒薬を服用し、7時から仕事を始めました。

 

夕方、仕事を終えましたけど、どうにも疲労感が溜まっている感じで、少し横になりました。

 

今日は少し早めに就寝しようと思います。

 

20時熱36.6℃。血圧135/89。脈拍67。

●3/11 晴れのち曇り一時雨

 

昨夜1時に就寝後、今朝6時に起床するまでの間に、トイレに2回、目を覚ましました。

 

今朝は久しぶりの氷点下で、-2.3℃でした。外に出しているバケツの水は凍っていました。

 

立ち眩み、腰痛は落ち着いていましたけど、右肩の痛みはやや強めでした。

 

喉のいがらっぽさ、鼻水は変わらずでしたけど、咳は弱めでした。痰は朝だけ生じていました。

 

今朝の血圧は159/97。脈拍68でした。

 

朝常用の薬と市販の総合感冒薬を服用し、7時から仕事を始めました。

 

発疹は少なくなってきたものの、痒みは依然として続いていました。紫斑も生じていました。

 

右手人差し指は、時々、きちんと動作しなくなりました。痺れはほぼ解消していますけど、右手指先の感覚の鈍さは未だ少し続いていました。

 

怠さというか疲労感は未だ続いていました。

 

2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分18秒に発生した東北地方太平洋沖地震によって生じた東日本大震災から今日で15年です。

 

震源は宮城県牡鹿半島の東南東沖130km、深さ24kmで、地震の規模はM9.0でした。日本周辺に於ける観測史上最大の地震でした。

 

 

震源域は非常に広大で、岩手県沖~茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmの約10万k㎡に及びました。

 

最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、宮城、福島、茨城、栃木の4県36市町村と仙台市内の1区で震度6強、東京・横浜で震度5強を観測しました。

 

最大加速度は栗原市の観測点で記録された2,933ガルでした。この巨大地震によって発生した巨大津波による被害と、その津波によって生じた福島第一原発の事故によって、東北地方を中心に12都道府県で震災関連死を含め2万2,332名の死者・行方不明者が発生しました。

 

ガル(gal)は加速度を表す単位で、地震が発生した際、地面がどれだけ急激に動いたかを示します。物理学の標準的なSI単位系では加速度をm/s²で表しますけど、地震学ではgalという単位が使われます。

 

1gal=0.01m/s²=1cm/s²で、1秒間に秒速1cmずつ加速している状態を表しています。これだけではあまりピンと来ないと思いますので、他の言い方に置き換えてみます。

 

100galは、100cm/s²なので、停止した状態から加速して1秒後に時速3.6kmに達する加速度です。500galは、停止した状態から加速して1秒後に時速18kmに達する加速度です。

 

1000galは、1000cm/s²なので、停止した状態から加速して1秒後には1000cm、つまり10m進んでいることを表しています。

 

これは僅か1秒間に時速36kmずつ加速していることを表しているので、停止した車が1秒後に時速36km、2秒後に時速76km、3秒後には時速108kmに達する勢いで加速していることになります。これは超高性能スポーツカーがフル加速した時の強烈な加速度に匹敵します。

 

地球の重力加速度1Gは約980galです。自分の身体はこの重力で地上に押し付けられている訳ですけど、1000galは、この重力と同じくらいの力がかかるということなので、仮に縦揺れで下から突き上げられた場合、その瞬間は重力と打ち消しあって中に浮き、加速が失われた瞬間に落下してしまうことになります。

 

東日本大震災の2,933galの地震は、縦揺れは、重力の約3倍もの猛烈な力で下から突き上げられ、叩きつけられることになります。同様に横揺れは、重力の約3倍もの猛烈な力で前後左右に振り回されるという、凄まじい衝撃が発生していたことになります。

 

阪神淡路大震災の最大加速度は818galでしたので、東日本大震災の2,933galが如何に巨大だったかが分かるかと思います。

 

震度と​gal(加速度)は、意味が違います。galは揺れの瞬間的な勢いを表しています。一方、​震度は揺れによる被害の大きさや実際に揺れた体感を表しています。

 

仮にgalが大きくても、揺れている時間が一瞬であれば、建物は意外と壊れません。けれど、galがそこまで大きくなくても、建物を揺らし易い周期で長く揺れ続ければ、震度は大きくなり被害も深刻になります。

 

 

福島第一原発には6基の原発があり、そのうち1~3号機が運転中、4~6号機は定期点検中でした。地震によって、1~3号機の各原子炉は地震で自動停止しました。

 

地震による停電で外部電源を失ったのですけど、直ぐに地下に設置されていた非常用のディーゼル発電機が起動して電源が復活しました。しかし、地震の約50分後、高さ13m以上の津波が発電所を襲い、非常用のディーゼル発電機は海水によって故障してしまいました。

 

更に電気設備、ポンプ、燃料タンク、非常用バッテリーなど多数の設備が損傷や流失してしまったため、全電源喪失(ステーション・ブラックアウト)の状態に陥ってしまいました。このため、ポンプを稼働できなくなり、原子炉内部や使用済み核燃料プールへの注水が不可能となり、核燃料の冷却ができなくなってしまったのでした。

 

核燃料は運転停止後も膨大な崩壊熱を発するため、注水し続けなければ原子炉内が空焚き状態になり、核燃料が自らの熱で溶け出すことになってしまいます。

 

実際、1~3号機共に核燃料収納被覆管の溶融によって核燃料ペレットが原子炉圧力容器の底に落ちる炉心溶融(メルトダウン)が起き、溶融した燃料集合体の高熱で、圧力容器の底に穴が開いたか、制御棒挿入部の穴とシールが溶解損傷して隙間ができたことで、溶融燃料の一部が圧力容器の外側にある原子炉格納容器に漏れ出しました(メルトスルー)。

 

また、燃料の高熱そのものや、格納容器内の水蒸気や水素などによる圧力の急上昇などが原因となり、一部原子炉では格納容器の一部が損傷に至ったと見られています。うち1号機は圧力容器の配管部が損傷したと見られています。1~3号機共にメルトダウンの影響で、水素が大量発生し、原子炉建屋、タービン建屋各内部に水素ガスが充満し、1、3、4号機は水素爆発を起こして原子炉建屋、タービン建屋と周辺施設が大破してしまいました。

 

4号機は定期検査中でしたけど、3号機から給電停止と共に開放状態であった非常用ガス処理系配管を通じて充満した可能性が高いと考えられています。

 

この爆発によって大量の放射性物質が放出されてしまいました。第一原発から約20kmの距離にある母方の実家も警戒区域に指定され、長い間帰宅できない状況に陥ってしまったのでした。

 

 

除染によって帰宅が可能になった頃、当時の政府の要人の方々が視察のために多数、現地を訪問され、実家の直ぐ近くにあるお店を訪問されたのでした。

 

この原発事故による放射性物質は関東地方にも飛散しました。原発事故が起きて直ぐにガイガーカウンター(線量計)を購入しました。

 

福島へ赴くことが可能になってからは毎年行くようにしていますけど、毎回必ずこのカウンターを持参しています。今では全く問題のないレベルに落ち着いていますけど、数年前までは、行政が定期的に各家庭を回って庭の線量検査を実施していました。

 

僕もエンジニアの端くれなので、ほんの僅かでも原発の廃炉に向けた技術開発に役立てたら良いなと思っています。

 

東日本大震災以降も巨大地震は日本の各地で発生しています。来ては欲しくないですけど、来ないと考えるのは現実的ではありません。

 

巨大地震は必ず来ると考え、これまでの多くの教訓を生かしてその時に備えなければと思います。

 

23:20熱36.5℃。血圧122/81。脈拍66。

 

地震の発生源プロット図出典 Ⓒ東大地震研

福島第一原発事故写真出典 ⒸNHK、Air Photo Service Co.Ltd

●3/10 雪のち雨のち曇りときどき晴れ

 

昨夜1時に就寝後、今朝6時に起床するまでの間に、トイレに2回、目を覚ましました。

 

立ち眩みと腰痛は落ち着いていていました。右肩には頸椎症性神経根症による痛みが少しありました。

 

右側を向いて寝ると、右肩の痛みが増します。それでも今は、眠ることはできるくらいの痛みに落ち着いています。

 

痛みのピーク時は、姿勢は真上より微妙に左側を向いた姿勢が最も弱くなるというピンポイントの状態で、右向きは最も痛みが強くなる姿勢で右向けに寝るのはとても無理でした。

 

喉のいがらっぽさ、咳、鼻水は相変わらずででした。

 

今朝の血圧は141/90。脈拍74でした。

 

明日で東日本大震災から15年です。母方の実家は福島県双葉郡の浜通りにあるのですけど、巨大な岩盤の上に立っており、地震による倒壊は免れました。また、高台なので、津波の直接の被害は受けずに済みました。

 

けれど、低地にあった親戚の家はコンクリート住宅であったにも関わらず、基礎を残して跡形もなくなってしまいました。津波の巨大なエネルギーを目の当たりにした出来事でした。

 

 

その後に生じた福島第一原発事故によって、長い間帰宅が困難な状態になってしまいました。割と最近まで行政機関が、実家の敷地でも放射線量の測定をしていました。

 

この巨大地震は、遠く離れたうちの辺りでも影響が大きく、隣町のコストコは、スロープが崩落して、車が下敷きになり、死傷者が出ました。近所の店も建物が崩れてしまいました。

 

 

うちの中も物が散乱してしまいましたけど、そのくらいで済んでくれたのは幸いでした。ただ、近所の変電所がダメージを受けてしまったことで、広域にわたって停電してしまい、深夜になっても復旧しませんでした。

 

交通量の多い国道16号線も信号が停電したままだったので、夜歩行者が道路を渡ることは非常に危険でした。街の光が全く無かったので、夜空は満天の星でした。街の光さえなければこのあたりでもこんなに観えるんだと思いました。

 

電気は使えませんでしたけど、幸いキャンプ道具は一通り揃っていたので、コールマンの2マントルランタンで暖と明かりを確保することができ、大活躍でした。

 

 

暫くして電気は回復しましたけど、電力不足で輪番停電が頻発していました。また、ガソリンも生活用品もなかなか入手できない日々が続きました。

 

30kmほど離れた綾瀬市でガソリンが入手できることが分かり、走っていきましたけど、GS付近はガソリン待ちの車で大渋滞でした。しかも量に制限があり、満タンにはできませんでした。

 

津波で家を流された親戚は、偶々全員外出していたので無事でしたけど、集落の皆さんは綾瀬市に集団避難して会館で過ごしていました。うちに呼びましたけど、断られたので、生活用品と当面の生活費だけは渡しました。

 

都心は帰宅困難者でごった返していました。阪神大震災以降、巨大地震は実際に起こるということを強く感じたので、それ以来、水や食料、ガソリンなどの備蓄には特に気を付けるようにしています。

 

巨大地震は来て欲しくはないですけど、東日本大震災以降も何度も生じているので、来ないことはあり得ません。あらためて次に備えておかなければと思います。

 

22時熱36.6℃。血圧132/84。脈拍70。

 

コストコ写真引用 Ⓒタウンニュース町田版

●3/9 晴れのち曇りのち雨

 

昨夜23時に就寝後、今朝5時に起床するまでの間に、トイレに2回、目を覚ましました。

 

昨日消失していた紫斑(皮下出血)は、今朝になって左手の甲、右手の甲、右前腕に新たに生じていました。

 

怠さというか疲労感は、昨日よりは若干良い感じですけど、依然として続いていました。

 

立ち眩みは落ち着いていましたけど、軽い腰痛と右肩痛は生じていました。

 

喉のいがらっぽさ、咳と鼻水は相変わらずで、痰も朝だけですけど生じていました。

 

今朝の血圧は、157/93。脈拍71。

 

今日は出社なので、いつものように英語学習を済ませ、準備をして、朝常用の薬、市販の総合感冒薬、それにチオビタゴールドを服用し、6:30に自宅を出ました。

 

7:30に出社して仕事を始めました。

 

 

お昼は、社食のパスタコーナーで「イワシのパスタシチリア風」税込451円と「コーンとツナのサラダ」121円をいただきました。

 

パスタには例によって、タバスコをた~っぷりかけて~(笑)。その上にパルメザンチーズをかけて~。美味しかったです☆どうもご馳走さまでした~(^^)。

 

夕方、仕事を終えて帰宅しました。

 

紫斑は増えていました。もちろん、どこかにぶつけた訳ではありません。軽く擦る程度でも出血することもありますし、物理的な接触がなくても勝手に出血することもあります。

 

ですけど、ステロイドが減量されるに連れ、紫斑の発生頻度も減っていることは確かでした。

 

右手人差し指は、動きが少し変でした。

 

疲労感は続いていましたけど、今朝よりは良い感じでした。

 

22時熱36.5℃。血圧114/76。脈拍64。

 

2026年2月21日(土)、美瑛マイルドセブンの丘を後にして、 19日にも訪れた、道の駅「びえい丘のくら」に向かいました。4.5km、車で約8分の距離です。 

 

 

道の駅「びえい丘のくら」はJR富良野線の美瑛駅の近くにあります。びえい丘のくらというくらいで、美瑛は丘がたくさんある町です。

 

道の駅の傍には、 警報機はあるものの遮断機が無い「第3種踏切」があって、そこから美瑛駅側を眺めると夕陽でとても綺麗でした。この踏切は狭く、車は通れません。

 

三角屋根は、美瑛駅前の東西自由通路陸橋です。ちょうど富良野線が旭川駅側から来て、美瑛駅へ向かっていました。

 

びえい丘のくらで少し買い物をして、続いて、白金青い池に向かいました。17km、車で約22分の距離です。

 

 

本来の白金青い池は、その名の通り、鮮やかな青色をしています。この池は、1988年の十勝岳噴火に伴う火山泥流災害を防ぐために作られた堰堤(えんてい)によって生まれました。

 

美瑛川の中に幾つものブロックで作られた堰堤を設置した際、川の直ぐ横にある森の中に水が溜まってしまい、そこに生えていたカラマツや白樺が水没して枯れ、現在の姿になりました。

 

 

池の水は主に2つのルートから供給されています。一つは、美瑛川の直ぐ脇に位置しているため、川の水が土壌を透って、流れ込んでいます。

 

もう一つは、上流にある「白ひげの滝」付近で美瑛川に合流する、アルミニウムを含んだ地下水がこの池にも繋がっていて、直接流れ込んでいると考えられています。

 

白ひげの滝より上流の美瑛川にはアルミニウム成分が少なく、透明度は高いものの青くはありません。一方、この滝より下流はアルミニウム濃度が増すことで、青く見えるようになっています。これが「ブルーリバー」と呼ばれる所以です。

 

ですけど、美瑛川は流速が早いため、下流に行くほどアルミニウム濃度は薄くなり、青い池付近では既に青さは失われています。

 

なので、美瑛川からのアルミニウムの流入は殆どありませんけど、アルミニウムを多く含んだ地下水が流れ込んでいることで、十分な量のアルミニウムがあると考えられています。

 

青い池は堰堤によって水の流れが非常に緩やかになり、池として停滞します。これにより、アルミニウムを含んだコロイド粒子によって光の散乱が効率的に起こり、人の目には鮮やかな青色として留まって見えるということです。

 

しかし、冬場の青い池は、完全凍結していて、その上に雪が積もるので、見た目はただの窪んだ雪の平原にしか見えなくなります。

 

 

なので、冬場の日中、青い池を訪れてもあまり面白いものではありません。青い池の脇には美瑛川が流れていて、その川は冬場も凍結せずに流れています。

 

 

青い池の中でも美瑛川寄りの場所は、雪の平原ではなく、結氷状態になっていました。美瑛川からの流入があるためだと思います。

 

そんな冬の青い池も夕方になるとライトアップされます。時よって開始時間は異なりますけど、2月は17:30スタートです。

 

 

ライトアップが始まると白い平原が美しく動きのある色に照らされました。10分間だけ見学して、青い池を後にしました。実はAKJ(旭川空港)19:40発の飛行機で羽田へ戻るため、ゆっくりしていられないのでした。

 

 

青い池からAKJまでは、27km、車で約32分の距離です。直接AKJではなく、その前にガソリンを満タンにして、車を返却しなければなりませんでした。

 

急いでAKJに向かい、近くのガソリンスタンドで満タンにして18:15レンタカー営業所に戻りました。今日は140kmほど走行しました。3日間でトータル689.4kmの走行でした。

 

 

営業所からAKJへ送っていただきました。気温が高く、AKJは3℃でした。保安検査が例によって時間を要し、ボーディングブリッジに着いた時には既に搭乗が始まっていて、出発15分前でした。

 

 

復路は、19:40発のAIRDO88/ANA4788の共同便で、ボーイング767-300でした。288席の中型機です。主翼後方のG席(右側窓席)を予約していました。

 

AKJは、滑走路が1本で羽田空港(HND)のように機が混雑している訳ではないので、ボーディングブリッジから滑走路へのタキシング時間は5分もかからず、予定時間に離陸(テイクオフ)しました。

 

天気が良くテイクオフするときから右側の窓には三日月がはっきりと見えました。上空から街の光がはっきりと見えました。AKJからHNDまで天気はずっと良く、夜景ははっきりと見えていました。

 

 

三日月はAKJを出てからHNDへ着陸するため、千葉県の上空で大きく旋回するまで、窓からずっと見えていました。
 
アクアラインの傍を飛行して、HNDのC滑走路の34R側から着陸(ランディング)しました。
 
預けた荷物を受け取り、京急に乗車、帰宅しました。
 
2026年2月北海道旅行編 完
 
青い池写真引用 @HOKKAIDO LOVE!
地図 ⒸGoogle Maps
羽田空港滑走路図引用 Ⓒ羽田空港サーバー

●3/8 晴れ

 

昨夜0:30に就寝後、今朝7時に起床するまでの間に、トイレに2回、目を覚ましました。

 

怠さというか疲労感は続いていました。体力的な疲労感に加え精神的な疲労感も重なっていました。

 

立ち眩みと腰痛は落ち着いていました。頸椎症性神経根症による痛みは、右肩に少しありました。

 

喉のいがらっぽさ、咳と鼻水は昨日と大差ありませんでした。

 

今朝の血圧は136/81。脈拍87でした。

 

 

今日は朝も昼も食事を摂りませんでした。夕食に昔からある地元のお弁当屋さんで「ロースステーキ弁当」を作っていただきました。税込700円です。

 

美味しかったです。どうもご馳走さまでした~(^^)。

 

さて、明日は出社です。5時に起床するので少し早めに就寝しようと思います。

 

20時熱36.5℃。血圧137/85。脈拍87。

●3/7 晴れのち曇りときどき雨

 

昨夜0時に就寝後、今朝7時に起床するまでの間にトイレに2回、目を覚ましました。

 

立ち眩みと腰痛は落ち着いていました。右肩の痛みは昨日と大差ありませんでした。喉のいがらっぽさ、咳、鼻水は相変わらずで、朝は痰もありました。

 

怠さというか疲労感もやや強めでした。

 

今朝の血圧は132/86。脈拍97でした。

 

発疹は良くなってきましたけど、痒みは未だ続いていました。紫斑はほぼ消失しました。

 

ちょっと色々なことがあって精神的にも少し疲れてしまいましたけど、自分で乗り越えるしかないので、頑張ろうと思います。

 

0時熱36.6℃。血圧140/86。脈拍85。

 

2026年2月21日(土)、上川神社を後にして、あさひかわラーメン村を目指しました。6.4km、車で約16分の距離です。

 

 

あさひかわラーメン村は、旭川の人気ラーメン店7店舗が入ったラーメン街です。

 

旭川と言えば醤油ラーメンですし、「青葉」さんは醤油で人気のお店です。にも関わらず、味噌を注文してしまいました(笑)。

 

税込950円です。味噌も美味しかったです。どうもご馳走さまでした~(^^)。

 

 

あさひかわラーメン村を後にして、続いてパッチワークの路を目指しました。夏場であれば、奇麗な丘が印象的なのですけど、冬場は雪一色なのでした。

 

 

パッチワークの丘の近くにあるセブンスターの木に向かいました。セブンスターの木はカシワの木で、1976年に「セブンスター」の観光たばこのパッケージに採用されたことからその名が付きました。

 

 

美瑛の広大な丘の上にぽつんと立つ姿は非常に絵になり、長年多くの写真家に愛されています。

 

 

セブンスターの木に続いてマイルドセブンの丘に移動しました。 1978年に「マイルドセブン」のテレビCMやポスターの撮影に使われたことからその名が付きました。

 

 

嘗ては防風林として一直線に並んだカラマツ林が特徴的でしたが、現在は一部の木が伐採されており、今残っているのはそれほど多くありませんけど、真っ白な雪と夕陽に照らされ非常に綺麗でした。

 

マイルドセブンの丘を後にして、続いて、19日にも訪れた、道の駅「びえい丘のくら」に向かいました。

 

つづく。

 

マッチワークの路写真引用 Ⓒるるぶ&more

地図 ⒸGoogle Maps

●3/6 曇りのち雨

 

昨夜0:30に就寝後、今朝6時に起床するまでの間に、トイレに2回、目を覚ましました。

 

発疹は数日前と比べるとだいぶ良くなってきましたけど、痒みは依然として生じていました。紫斑はだいぶ薄くなってきました。

 

立ち眩みは落ち着いていましたけど、腰痛は落ち着いていました。頸椎症性神経根症による右肩痛は少しありました。

 

喉にはいがらっぽさがあって、咳と鼻水は依然として続いていました。痰も朝だけですけど生じていました。

 

今朝の血圧は142/88。脈拍68でした。

 

大学病院から処方されている朝常用の薬、地元の整形外科から処方されている朝常用の薬、市販の総合感冒薬を服用し、7時から仕事を始めました。

 

疲労感はやや強めで、チオビタゴールドを服用しました。痒みに対しては、弱めのステロイド剤ロコイド軟膏を塗布した上で、ムヒソフトGXを重ねて塗布しました。ムヒソフトは尿素を配合していない弱いタイプの痒み止め、保湿剤です。

 

今日も残業で遅くなり、整形外科には行けませんでした。夜になっても怠さは続きました。

 

23時熱36.5℃。血圧134/83。脈拍86。