摩文仁の平和祈念公園から那覇に戻り、まだ明るいのでおもろまちへ。
このあたりは米軍牧港住宅地区が全面返還され、那覇新都心として再開発されています。
ゆいレールおもろまち駅から、東横イン横の坂を上がって行くと、小さな丘の上に水道局の配水池があります。
階段で丘に登れるようになっています。
階段を上ると慶良間チージ(シュガーローフ)の案内板があります。
ここは沖縄戦の激戦地でした。
5月12日から18日まで頂上争奪戦が繰り広げられ、米軍は死傷者2,662人、極度の精神疲労者1,289人。
メンタルをやられてしまうほど悲惨だったということ。
日本軍も学徒、住民を含め多数の死傷者を出した、とあります。
負け戦で、数えるどころではなかったということでしょう。
近くのお寺のご住職さんが、シュガーローフの戦いにおける一切の戦没者を供養しておられます。
車道もあって、遠くがよく見通せます。
現在は那覇市水道局の安里配水池になっています。
車道を下りてきたところ。
高層マンションやホテル、ショッピングセンターが立ち並ぶ華やかな街です。
沖縄戦の痕跡は目立ちませんが、身近なところに激戦地があったのかと、厳粛な心持になります。
翌日は曇り空。湿度が高く、薄日が差したり、霧雨だったりです。
6月23日の慰霊の日を前に沖縄戦終焉の地、糸満市摩文仁に行きます。
旭橋・那覇バスターミナルから89糸満線/446那覇糸満線にて糸満ロータリー乗換
82玉泉洞糸満線玉泉洞行きにて平和祈念堂下車
糸満行きは那覇バスターミナルから市役所南東を一回りして、バスターミナル向かいの旭橋に戻って来ます。
朝のラッシュで遅れるので、旭橋のバス停で89か446か来た方に乗ります。
朝7時半くらいでしたが、余裕で座れました。
乗客は高校生と通勤客で、結構入れ替わります。
89は琉球バスと沖縄バスの共同運行で、糸満バスターミナル行き。
446は那覇バスで、糸満営業所行きで、糸満バスターミナルとは別の場所に行きます。
82玉泉洞行きは、糸満バスターミナル始発ですが、糸満ロータリー、糸満郵便局前などで、446から乗換ができます。
旭橋バス停から見た那覇バスターミナルです。
1階にバス各社の窓口があり、1日/3日乗車券を夜7時まで売っています。
平和祈念堂で下車すると、目の前は平和記念公園です。
6月23日の沖縄全戦没者追悼式の準備中でした。
首相や衆参両議長が来ることもあり、警備は厳重そうです。
式典会場の奥にある平和の丘モニュメント。
沖縄県平和祈念資料館は沖縄戦と戦後の米軍統治、復帰後の歴史を展示しています。
県内外から小・中・高・大の修学旅行他団体が次々とやってきます。
特に県外の人たちに歴史を知ってもらいたい。
証言集や証言映像などもじっくり見ていると、3時間余りかかりました。
沖縄が1972年5月15日に日本へ復帰した時、私は中学生で、今でも知らないことばかりです。
日米両国政府の沖縄の扱いとその背景、公式な記録だけでなく、その裏側を見なければと思いました。
資料館の展望室から見た摩文仁の海岸。
1945年夏、ここで多くの人が亡くなりました。
戦って死んだ人、米軍に殺された民間人、行き場を失って自決した人、飢えと病気で亡くなった人…
沖縄県知事が自決した地に、県知事と県職員の慰霊碑があります。
平和祈念公園から海を見下ろすと、崖が続いています。
第32軍終焉の地。
1945年6月23日未明、第32軍の牛島司令官と長参謀長がこの壕で自決、組織的戦闘が終わりました。
しかしながら司令官の最後の命令は「最後迄敢闘し悠久の大義に生くべし」でした。
生存者の戦闘は6月23日以降も続きました。
平和祈念堂で手を合わせ、裏手を歩いていると看板が…
首里のハブより怖そうです。バスに乗って那覇に退却しました。
(つづく)
首里城公園入口から道路を渡ってしばらく歩くと、王家の墓所玉陵(たまうどぅん)があります。
券売所の地下でガイダンスを見て墓所へ。がじゅまるなどが鬱蒼としています。
小雨が降って、湿度がものすごく高くて、なんだかジャングルを歩いているような気分です。
祭祀、儀礼の際の休息所に用いられていました。
墓所は石積みの壁で囲われており、第一門をくぐります。
中庭があり、正面に中門、左手に小さな石碑があります。
中門は低いので、頭をぶつけないよう、券売所でご注意がありました。
仮名書きで玉陵に葬られるべき人々を規定しており、1501年に建てられました。
碑文の年号は大明弘治14年で、中国の年号を使っています。
日本の文字と中国の年号、当時の琉球の立ち位置がうかがえます。
中門を入ると左から東室、中室、西室の三つの墓室があります。
王族が亡くなると、中室に棺を安置し、数年後に遺骨を洗い清めます(洗骨)。
国王と王妃は東室、王子や王女は西室に改葬されました。
東室の入口。
東室の上にいる雌獅子。
子供の獅子を抱いています。
西室の入口。
東室と中室の間にいる雄獅子。
首里城は絶え間なく訪問客がいますが、玉陵はぽつぽつと人が来る程度で、静かでした。
夕方一時間余りいましたが、日本人よりは外国人(英語、中国語)が多く来ていました。
ゆいレール首里駅に戻る途中、龍潭(りゅうたん)という人工池があります。
中国の使節をもてなすため、池のほとりの桟敷で宴を開催したり、池に龍舟を浮かべたりしたそうです。
龍潭から首里城正殿が見えています。
池の周囲を歩いていると、また標識が…。
私は蛇がダメなんです。迷わず退却します。
(つづく)
6月23日の慰霊の日を前に沖縄に行ってきました。
梅雨末期の大雨で沖縄各地に警報や注意情報が出ています。
那覇空港駅から見たゆいレールです。
空港と周囲は陸海空の自衛隊基地になっています。
ホテルに荷物を置いて首里に行きます。
首里城の遊歩道を歩いていると看板が。
観光メインルートからはずれた場所で、人通りがまばらなので、余計に緊張します。
足を速めて有料区域の入口へ。
人がいるだけで、ほっとします。
世界遺産の園比屋武御嶽の横から下におりて行く道があり、第32軍司令部壕跡に出ます。
沖縄戦に備えて、首里城地下に司令部を作ったものです。
作業には住民や学生生徒も動員され、壕について漏らすことを禁止されました。![]()
壕の入口は鉄格子で閉じられています。
守礼門の地下に司令官室があったそうです。
米軍との激しい攻防戦の末、1945年5月に第32軍司令部は県南部に撤退します。
首里城も米軍の激しい攻撃で完全に破壊されたそうです。
(続きます)









































