わんわんののんびり生活 -5ページ目

わんわんののんびり生活

由緒正しい雑種の野良犬です。
人間達は、どうしていつもあくせくしているのだろう?

チビチリガマからバス停に歩きます。

大当から 62楚辺行きにて 嘉手納町運動公園入口で下車

 

宝くじファンが喜びそうな名前ですね。

おばあさんが一人、那覇行きのバスを待っていました。

少々遅れてきたバスに乗り込む際、いつも時間通りに来ないんだ、むっとしていました。

屋根があるとはいえ、炎天下ずっと待っていたので、気持ちはよくわかります。

62番楚辺行きが来ました。

この路線は嘉手納基地をぐるっと回るので、米軍関係らしき方々がよく乗っています。

この日も、白人のご婦人グループがいました。

嘉手納町運動公園入口で下車し、道の駅かでなの展望所に上がります。

いつもながら広々とした滑走路です。

手前は安保が見える丘。道の駅ができる前は、ここから基地を監視していました。

空中給油機なんでしょうか。

オスプレイ。

こっちもオスプレイ。

この一機だけ、ずっと離着陸訓練をやっていました。

慰霊の日が近いので、訓練を減らしているのか?

展望所のお客も少なめでした。

3階で、嘉手納町と基地の歴史の展示を見て帰りました。

(つづく)

沖縄戦での住民の「集団自決(集団強制死)」について、長らく気になっていました。

迫りくる米軍を前に、親が子を殺し、夫が妻を殺す、集団で手榴弾を爆発させる…

なぜ日本人同士で殺し合わなければならなかったのか。

捕虜になるより、いさぎよく自決せよという日本軍の戦陣訓を民間人に強制したのが原因と言われています。

 

ユンタンザミュージアム読谷村立歴史民俗資料館で、チビチリガマの「集団自決」のジオラマを見ました。

米軍が上陸してくるので、住民はガマ(天然洞窟)や亀甲墓に避難。

チビチリガマにも140人ほどが避難しており、米兵が外に出るよう呼びかけました。

しかし住民は、元日本兵の「出て行けば殺される」との言葉を信じ、誰も出ず。

若い娘さんが母親に殺すよう頼み、包丁で首を刺したの見て、80人余りが自決した…という話でした。

 

座喜味城からチビチリガマまで、炎天下を歩くこと40分ほど。

サトウキビ畑の向こうに海が見えたところで、チビチリガマの駐車場に到着しました。

入口に赤瓦のトイレがあります。

階段を降りて行きます。

誰もいなくて怖いけど、勇気を振り絞って、階段を下ります。

ここで破壊行為をした者があり、防犯カメラがあるのは、嘆かわしいことです。

階段を降りたところに小川があり、チビチリガマに流れ込んでいます。

チビチリガマの入口付近。ここで手を合わせました。

ガマの前に平和の像があります。

こんなところに隠れ、「集団自決」に至ったのかと、胸が詰まりました。

 

 

翌日は読谷村の世界遺産・座喜味城に行きました。

バスに乗る前にコンビニで日焼け止めを買いました。

泳がなくても、外を歩くので腕が真赤になっています。

 

那覇BTから 29読谷行きにて 座喜味下車

嘉手納基地を過ぎると読谷村です。

座喜味バス停付近は、座喜味城の案内板もなく、それらしい丘も見えず、少々不安になります。

地図を信じて生活道路を歩きます。

道端の茂みに「ハブに注意」がありますが、周囲に人家が多いので、道路を歩いている分には大丈夫かと。

観光客向けのお店がちらほらして、きれいなトイレがある駐車場があり、ほっと一息。

奥にユンタンザミュージアム読谷村立歴史民俗資料館・美術館と座喜味城がありました。

暑くなる前に座喜味城を歩きます。

 

二の郭のの石造アーチ門。

15世紀初頭に護佐丸が築いたと言われており、中城城と雰囲気が似ています。

二の郭の向こうに一の郭の石垣が見えています。

二の郭のアーチ門を反対側から。

一の郭のアーチ門です。

一の郭の内側です。

城壁に登って二つのアーチ門を眺めます。

向こうに見える海が青い。

汗びっしょりになって、ユンタンザミュージアムに入り、体を冷やしました。

座喜味城の他、読谷村一帯の歴史と民俗、沖縄戦の展示が充実していました。

(つづく)

勝連城からバス3本乗り継いで、中城城に向かいます。

 

①勝連城前より 52与勝線那覇バスターミナル行きにて コザ(具志川高校向け)乗換

②コザ(山里向け)より 110長田具志川線那覇BT行きにて 比嘉西原下車

*コザ(具志川高校向け)からコザ(山里向け)へは交差点を渡る必要があります。

*比嘉西原バス停横の階段を上がるとイオンモール2Fの駐車場です。

③イオンモール沖縄ライカムより 北中城村コミュニティバス(グスクめぐりん)西ルートにて 中城城跡下車

*グスクめぐりんのバス停はイオンモール1Fアライバルゲートです。

 

コザ(山里向け)バス停そばの壁画です。

グスクめぐりんは、北中城村役場や喜舎場でも乗換できますが、暑くて日照がきついので始発のライカムから乗りました。

きれいなトイレと食品売り場、バス停に日陰があるので助かります。

乗車したら、運転手さんにどこまで行くか告げましょう。

(誰も乗降りしないのに各バス停でドアを開けさせて、申し訳なかったので)

この便の乗客は、私と地元らしきおじいさんの二人だけ。

病院、体育館、公民館、図書館、村役場などを回って中城城跡バス停に着きました。

バス停標識の右に写っているのがグスクめぐりんです。

入口管理事務所で入場券を買うと、正門までカートで送ってくれます。

午前中に梅雨明けが発表され、すっかり夏の日射しです。

運転士さんも完全防備でした。

中城城は14世紀後半頃まで先中城按司(さきなかぐすくあじ)代々の居城として構築。

按司滅亡後、1440年に護佐丸により増築され、現在の形になったようです。

護佐丸は勝連城の阿麻和利(あまわり)と抗争、1458年に勝連と首里の連合軍により滅ぼされたと伝えられます。

護佐丸の二人の子による敵討ちは、組踊「二童敵討」になっており、阿麻和利がいかにも悪人のような格好で出てきます。

阿麻和利より護佐丸の方が人気があるのか…

南の郭への石段を登る途中、首里や久高島などの拝所があります。

南の郭のアーチ門。

整然とした布積み(豆腐積み)。

中城城は標高160mの丘陵上にあり、西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)を望みます。

中城湾にある沖縄電力の火力発電所が見えます。

時折、米軍らしきヘリが行き来します。

東京でもヘリは飛んでいますが、頻度が違います。

中城城で最も広い一の郭。正殿がありました。

一の郭の立派なアーチ門。

順路をそれた場所に、英文併記の「ハブに注意」がありました。

中城城で見たのは、ここだけでした。

石垣の曲線が美しい二の郭。

裏門まで降りてきました。

暑くて、城内では他のお客を見ませんでした。

帰りのバスまで時間があったので、中村家住宅まで歩きました。

中城城跡バス停から20分弱…あいにくお休みのため門の外から写真を撮っただけです。

個人のお宅を撮るわけに行かないので、こういう場所はありがたいです。

中村家の前の石畳です。静かな夏の昼下がり、誰も歩いていません。

昔ながらの沖縄という感じで、風情がありました。

道沿いにある「大城喫茶店」という名の東屋。

大城バス停横にあり、日陰でバスを待てるので助かります。

ここからグスクめぐりんに乗り、イオンモール沖縄ライカムに戻りました。

ライカムからは那覇方面へ高速バスや路線バスが出ています。

夕方の路線バスは高校生がたくさん乗ってきてあちこちを回り、ローカル色満点です。

沖縄の高校は校門前に「琉球大学XX名」とか進学先の看板があり、予備校みたいでした。

ただ渋滞で時間がかかるので、お急ぎの方は高速バスがいいかも。

(つづく)

三日目は朝から、本島中部の東海岸にある世界遺産の勝連城に行きます。

天気予報では晴れて梅雨が明けそう。

 

那覇バスターミナルから52番与勝線屋慶名行きにて勝連城跡前下車

朝7時前のバスに乗り、時刻表では2時間弱の行程です。

 

バスは病院、高校、市役所や町役場を巡って行きます。

乗客は高校生が大半ですが、お勤めらしい方もちらほら。

車内は満席で、結構立っていますが、頻繁に入れ替わります。

那覇、浦添、宜野湾などあちこちで渋滞があり、20分余り遅れて運行です。

日々の遅れは一定しないと思われますが、乗客はじっと待っているのでしょうか?

今はスマホでバスがどこを走っているかわかりますが、以前はどうやっていたのか…

なんて考えていたら、勝連城が近づき、乗客は私一人になっていました。

 

那覇から2時間15分ほどで勝連城跡前に到着。

バス停そばのあまわりパークで勝連城の入場券を買い、城の概要と歴史を予習します。

勝連城は12~13世紀に築城されたと考えられ、日本、中国、東南アジアとの貿易が盛んでした。

按司(あじ:城主)の阿麻和利(あまわり)は、琉球王国の国王に最後まで抵抗しましたが、1458年に滅ぼされます。

組踊「二童敵討」では悪役扱いされ、逆臣のように言われていますが、地元にとっては英雄…というのは当然でしょう。

勝った側、生き残った側が歴史を書き、残すということ。

きれいなトイレと冷房の効いたあまわりパークで一息ついたら、道の向かい側の勝連城へ。

EVで坂道を途中まで送ってもらえます。

梅雨明けで夏の日射しのもと、本当に助かります。

石段を上がると、門の跡があり、扉が二重になっています。

本島の東海岸が見えます。

阿麻和利はここから首里城や中城城を見ていたのか…

三の曲輪は儀式などを行う広場として使われていました。

石段を上がると二の曲輪です。

二の曲輪にある洞穴、ウシヌジガマ。

天災や戦の際、身をひそめたと言われています。

二の曲輪には柱が多い立派な建物があったと考えられています。

 

海を見ながらさらに石段を登ると、いちばん上の一の曲輪です。

石積みがきれい。

一の曲輪から下を見ると、かなりの高低差があります。

一の曲輪です。

一の曲輪にある玉ノミウヂ御嶽(うたき)。

按司の守り神を祀った拝所です。

急斜面の上に城があって、攻めるのは大変そう。

城壁の曲線が独特です。

最初にEVを降りた四の曲輪から、もう一度勝連城を見上げます。

この景色がいちばん気に入りました。

勝連城跡前のバス停で、那覇行きのバスを待ちます。

屋根がないので、スマホでバスの位置を確認しながら、木陰に避難していました。

 

勝連城では、「ハブに注意」を見ませんでした。

EVを運転している管理人さんに聞いたら、十数年ここで働いているがハブは見たことがないとのこと。

世界遺産になったから、ハブを駆除したのではないみたいです。

なお、無毒のヘビは2、3回観光客から通報があって、石垣の間にいるのを捕まえに行ったそうです。

ガイドブックには書いてない余計な話でスミマセン。

中城城に続きます。

 

この夏、海に行く予定ある?

沖縄と瀬戸内海に行きました。

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう