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わんわんののんびり生活

由緒正しい雑種の野良犬です。
人間達は、どうしていつもあくせくしているのだろう?

廃止されたローカル線に乗っておけばよかった。

いちばん後悔しているのは深名線です。豪雪で名高く、雪の季節に乗りたかった。

学生時代、3月に20日間北海道に行ったのに、利尻礼文から釧網本線へ流氷を見に行き、パスしてしまいました

当時は、乗り鉄と観光客の間をふらふらしていたわけです。

就職すると、まとまった休みを取れなくなり、旧深名線に行けたのは退職してからでした。

 

旧深名線幌加内駅跡

JR北海道バス深名線朱鞠内バス停にて

 

名寄のキマロキ

北海道各地で大活躍していたキハ22

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仕事をやめて目の前の悩みが大幅に減ると、過去の出来事をよく思い出します。

 

小学校に入ったころなので1964年くらいと思いますが、山陽本線糸崎駅のホームで立売の天ぷらうどんを買ってもらったこと。

列車の窓を開けてうどんを頼むと、やかんでおつゆを注いで渡してくれました。

蒸気機関車が引張る列車が、ごっとんごっとんとゆっくり走る音をよく覚えています。

当時の糸崎駅は蒸気機関車の付け替えがあって、停車時間が長かったのですね。

 

(山陽本線糸崎駅:2016年)

(糸崎駅構内:昔はここに機関区がありました)

 

(急行あきのヘッドマーク)

1966年の夏にはじめて寝台車に乗り、東京に行きました。

蒸気機関車が東京まで行くと思っていたら、いつの間にか電気機関車に代っていてがっかり。

狭い三段寝台の中段で、興奮して浜松まで眠れませんでした。

帰りは新大阪まで新幹線に乗り、ビュッフェに行ったら金髪の女性がご飯を食べていたのも新鮮でした。

当時の国鉄は新幹線も蒸気機関車も走らせていたわけで、都市と地方の差が大きいのを子供心に感じました。

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浪人生活を終え1977年78年と、時刻表を持って北海道や東北のローカル線を旅しました。

多くの赤字線が廃止されましたが、まだあちこちの駅に駅員さんがいて、kioskもありました。

待合室のストーブには大きなやかんがかかっていて、昼時になると作業服のおじさんがカップヌードルを買いに来たりして。

 

就職後、一気に自由時間が減って遠出できなくなりました。

既に乗った区間とか、乗った列車とか、あれこれ書き込みして、大事に持っていた時刻表は就職、転勤など引越しのたびに捨ててしまいました。

 

あの時乗った列車は、当時のダイヤは、と思っても復刻版をたどるだけなのが残念です。

 

 

 

 

 

 

このたびの豪雪で被害を受けておられる皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

 

弘南鉄道弘南線黒石駅のキ104です。

1929年に鉄道省苗穂工場で造られました。

いい面構えにほれぼれします。

キ104は自走できないので、ED333が後押しします。

弘南鉄道大鰐線津軽大沢駅構内車両区です。

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JR東日本青森保線技術センターの名称のままです。

生々しい傷が厳しい気候を思わせます。

弘南鉄道大鰐線大鰐駅のキ105です。

1937年鉄道省苗穂工場で造られ、国鉄ではキ157と言われていました。

大鰐線は、2019年の脱線事故をきっかけに、残念ながら2028年3月末をもって全線休止予定です。

 

津軽鉄道五所川原駅のキ101です。

機関車や気動車が後押しして除雪しているそうです。

 

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鉄道省大宮工場昭和8年のプレートがついています。

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関係者のみなさんと除雪車たちに感謝です。

ありがとうございます。

4泊5日の沖縄旅行もあっという間に終わり。

那覇空港から帰路につきます。

ターミナルで到着したばかりの人々とすれ違います。

みんなうれしそうな顔をして、観光客比率が高い。

離陸すると糸満上空。

摩文仁が見えてきます。

翌日6月23日は慰霊の日。

平和祈念公園で式典があります。

サンゴ礁を掘って、港に入れるようにしています。

辺野古の埋立て現場でしょうか…

もっと沖縄のことを勉強しなきゃあと思いながら、またヤマトに帰ってきました。

嘉手納町運動公園入口から 62楚辺行きにて 美浜アメリカンビレッジ南口下車

アメリカンビレッジのイオンに薬を買いに行ったら、観光客らしい外国人が多数。

イオンからアラハビーチまで歩きました。

ビーチには海水浴他たくさんいたので、写真は控えました。

遠景だけ載せます。

焼肉金城北谷本店で少し早い晩ご飯。

石垣牛の焼肉を食べたら、ボリューム満点でした。

子ども食堂と居場所をやっておられるので、子どもたちにおやつを差し入れました。

北前からは、那覇行きがたくさん出ています。

バス停の後ろは海兵隊のキャンプフォスター(キャンプ瑞慶覧)。

在日米海兵隊の沖縄県での中枢機能をにない、実戦部隊と後方支援部隊が駐留しています。

キャンプ瑞慶覧内で文化財試掘中に所有者不明の埋没墓を発見。

改葬するので、縁故者及び権利者は届出るようにとの公告です。

沖縄防衛局長名で出されています。

「ハブに注意」は見当たりません。

この看板をみるたびに、日米地位協定を思い出します。

那覇に着いたら、すっかり暗くなっていました。

(つづく)