沖縄戦での住民の「集団自決(集団強制死)」について、長らく気になっていました。
迫りくる米軍を前に、親が子を殺し、夫が妻を殺す、集団で手榴弾を爆発させる…
なぜ日本人同士で殺し合わなければならなかったのか。
捕虜になるより、いさぎよく自決せよという日本軍の戦陣訓を民間人に強制したのが原因と言われています。
ユンタンザミュージアム読谷村立歴史民俗資料館で、チビチリガマの「集団自決」のジオラマを見ました。
米軍が上陸してくるので、住民はガマ(天然洞窟)や亀甲墓に避難。
チビチリガマにも140人ほどが避難しており、米兵が外に出るよう呼びかけました。
しかし住民は、元日本兵の「出て行けば殺される」との言葉を信じ、誰も出ず。
若い娘さんが母親に殺すよう頼み、包丁で首を刺したの見て、80人余りが自決した…という話でした。
座喜味城からチビチリガマまで、炎天下を歩くこと40分ほど。
サトウキビ畑の向こうに海が見えたところで、チビチリガマの駐車場に到着しました。
入口に赤瓦のトイレがあります。
階段を降りて行きます。
誰もいなくて怖いけど、勇気を振り絞って、階段を下ります。
ここで破壊行為をした者があり、防犯カメラがあるのは、嘆かわしいことです。
階段を降りたところに小川があり、チビチリガマに流れ込んでいます。
チビチリガマの入口付近。ここで手を合わせました。
ガマの前に平和の像があります。
こんなところに隠れ、「集団自決」に至ったのかと、胸が詰まりました。