最終日、ホテルから歩いて対馬丸記念館に行きました。
1960年代、私が小学生の頃、学習雑誌、少年漫画誌、子供向け戦記など、いたる所で疎開船対馬丸撃沈の話を目にしました。
子供心に強烈で、かねがね訪問したいと思っていました。
1944年8月22日夜10時過ぎ、対馬丸は鹿児島県悪石島付近で米潜水艦の魚雷攻撃で撃沈されました。
乗客乗員1,788名のうち犠牲者1,484名。
うち学童は乗船者834名、犠牲者784名。
政府の指示により沖縄から九州に疎開する途中でした。
(細部にわたる被害実態調査はなく、戦時下のかん口令もあり、確かな数字は存在しないそうです。)
明かりが消えた船倉から外に出ようとしたが、みんなが縄ばしごにむらがって大混乱の中、ほとんどが船に残されて沈んだ…
真っ暗な海に投げ出され、いかだで助けを待っても船は来ず、飢えと渇きに苦しみ、一人また一人といなくなった…
小学生の証言には言葉もありません。
60年代当時は、どの本も「国籍不明の潜水艦」と書いてあり、子供心に「アメリカの潜水艦」と書けない事情を感じました。
まだ沖縄は返還前で、日本も敗戦を色濃く引きずっていました。
その後の調査で米海軍の潜水艦Bowfinと判明。
同艦は真珠湾のUSS Bowfin Submarine Museum & Parkで保存・公開されているそうです。
HPを見ましたが、戦果として対馬丸を沈めたとあるだけで、学童・民間人の犠牲者には触れていません。
ところで、3月に宮古地域と八重山地域で島外避難の図上訓練が実施されました。
両地域の住民・観光客計12万人を前提に、民間の航空機とフェリーで6日程度かかるとの試算です。
戦闘や悪天候は考慮に入れず、沖縄本島と周辺の140万人近くは屋内避難だそうです。
本当に戦争になったら避難しようがないことは明白です。
全力で戦争を回避すべきです。
<対馬丸記念館>
那覇市若狭1-25-37
波の上ビーチの近くで、モノレール県庁前から歩くと15分くらい。























