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わんわんののんびり生活

由緒正しい雑種の野良犬です。
人間達は、どうしていつもあくせくしているのだろう?

沖縄に来たら、米軍基地を避けて通れません。

極東最大の米空軍基地、嘉手納飛行場を見に行きました。

 

那覇バスターミナル乗車

 28番読谷線(楚辺経由)読谷バスターミナル行き

または

旭橋・那覇バスターミナル乗車

 120番名護西空港線名護バスターミナル行き

嘉手納にて乗換

 62番中部線砂辺駐機場行き

嘉手納町運動公園入口下車

 

朝の28番読谷行きに乗りましたが、通勤通学と観光客でいっぱいでしばらく立ちました。

62番中部線は空いていて地元らしき方が数人。

運動公園で降りたのは私だけでした。

 

バスを降りると目の前に<道の駅かでな>があります。

ジェット機のものすごい轟音も聞こえて、空を見上げますが、何も見えず。

周囲の人々は慣れた感じで、見向きもしません。

嘉手納町の面積の82%が嘉手納飛行場、弾薬庫など米軍基地です。

地図の下半分、灰色で塗りつぶされているところが基地です。

道の駅の4階は展望所になっていて、嘉手納飛行場を一望できます。

大きな望遠レンズを持って来て気合が入っている人、スマホでがんばっている人、グループで来て解説を聞いている人…

面積は羽田の2倍、3700m滑走路が2本あって、とにかく広いです。

戦闘機は2-3機編隊でタッチアンドゴーをやっています。

滑走路に降下のあと、着陸せずに上昇してすぐ旋回。

このときものすごい轟音がします。

飛んでいる戦闘機にシャッターを切ったのですが、写っているのは空だけ。

鉄道みたいに行きません。

とにかく遠いので、双眼鏡を持ってくればよかった。

普天間のオスプレイが嘉手納上空も使って訓練しているようです。

小さなシミに見えるのがオスプレイ。

こちらは救難用ヘリらしいです。

輸送機ではなく、対潜哨戒機だそうです。

機体下部にアンテナがついているとか。

たくさん失敗して、やっと飛んでいるのを撮れました。

ベトナム戦争当時、嘉手納からB52戦略爆撃機が空爆に出ていました。

知花弾薬庫(現在の嘉手納弾薬庫地区)保管の爆弾を積込み、早朝と夕方に出発して8時間で帰ってきたそうです。

1968年11月には基地内でB52一機が離陸に失敗します。

搭載していた爆弾48発14tに引火し爆発炎上し、爆風で近隣住民16名が負傷しました。

機体は弾薬庫から250mのところで静止したため、誘爆は免れました。

当時は復帰前で、弾薬庫には数万発の弾薬の他、核弾頭、化学兵器も保管されていたようです。

(つづく)

平和祈念公園から路線バスでひめゆりの塔に行きます。

 

平和祈念堂入口から乗車

82番玉泉洞糸満線糸満行き

ひめゆりの塔前下車

 

バスを降りると、すぐひめゆりの塔入口です。

ひめゆりの塔は、沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒や教師の慰霊碑です。

両校から240人が沖縄陸軍病院に救急看護衛生班員として動員され、136人が亡くなりました。

慰霊碑の後ろに、陸軍病院第三外科があったガマ(鍾乳洞)の入口があります。

米軍が沖縄に上陸、日本軍の撤退と共に、陸軍病院も本島南部に移ります。

この中で15歳から19歳の女子生徒たちが負傷兵の看護にあたりました。

壕の外で弾が飛んでくる中、水汲みや食料の運搬、死体の埋葬も生徒たちの仕事でした。

記念碑の奥に資料館があり(内部撮影禁止)、学校生活や動員中の活動の展示があります。

壕の中は血と膿と排泄物の悪臭が充満し、負傷兵のうめき声と怒号が絶えなかったと言います。

6月18日にひめゆり部隊に解散命令が出され、米軍の攻撃の中を生徒たちは自分の判断で行動することになります。

そのまま壕に残った生徒や負傷兵は、多くが米軍のガス弾で亡くなりました。

壕を脱出した生徒たちも戦場をさまよい、手榴弾での自決もあったそうです。

一時間ほど生存者の証言映像を見ていましたが、涙が止まりませんでした。

 

慰霊碑近くのガジュマルの樹。資料館を出てしばし呆然としていました。

1945年

3.17 硫黄島玉砕

3.25 米軍、沖縄本島への艦砲射撃を開始

4.1  米軍、沖縄本島(北谷-嘉手納-読谷)に上陸

5.22 沖縄守備軍(第32軍)、首里を放棄し島尻地区への撤退を決定

5.30 第32軍司令部、摩文仁の洞窟に移動

6.18 ひめゆり部隊に解散命令、部隊の一部49人が米須の壕で自決

6.19 第32軍牛島司令官命令「最後迄敢闘し悠久の大義に生くべし」

6.23 牛島司令官、長参謀長自決し、組織的戦闘終わる(小規模な戦闘は続く)

9.7  残存日本軍首脳が嘉手納で降伏文書に署名  

 

(つづく)

沖縄2日目は路線バスで南部の戦跡を訪ねます。

 

那覇バスターミナル発糸満バスターミナル行き

89番糸満線(共同運行)

  ↓

糸満市場前で玉泉洞行きに乗換

82番玉泉洞糸満線

  ↓

平和祈念堂入口下車

 

89番糸満線のバスは、バスターミナルを出ると県庁や那覇高校前をぐるっと回って、15分後に旭橋・那覇バスターミナルに戻って来ます。バスターミナルから道路をはさんだ反対側にバス停があります。

糸満方面からの通勤通学に配慮した経路ですが、ぐるっと回っている間に渋滞に巻き込まれるとバスが遅れます。

那覇から糸満に行く場合は、「のりものNAVI」は旭橋・那覇BTからの乗車を勧めています。

私は始発から乗ったために、乗継が当初予定から一本遅れました。

また、NAVIは糸満ロータリーでの乗換を勧めて来ますが、実際には終点糸満BTで玉泉洞行き始発に乗る人がほとんどで、ロータリーからの乗客はいませんでした。

糸満BTで乗り継ぐ方がバス乗り場で迷わなくて安全と思います。

 

糸満市場前で下車すると目の前に漁港があります。

バス停はコンクリートでがっしりしています。

直射日光をさえぎり、暴風雨に耐える作り。

玉泉洞行きバスは中高年男性が数名。

地元の方かと思ったら、全員ひめゆりの塔前で下車。

路線バスを応援する観光客がそこそこいるのはいいことと思いました。

私だけになったバスは、途中乗車もなく、平和祈念堂入口へ。

道を渡ると摩文仁の平和祈念公園です。

太平洋戦争の沖縄戦の犠牲者、国内外の20万人余すべてを追悼し、世界の恒久平和を祈念しています。

2月の平日朝なので、人もまばらです。

丘の上の沖縄平和祈念堂。平和記念像の前で合掌しました。

きれいな海岸で、風もおだやかでした。

1945年6月、ここは米軍の艦艇でいっぱいで、鉄の暴風が荒れ狂っていました。

沖縄戦については、公園内の平和祈念資料館に写真や遺品などの展示がありますが、あいにく工事中でした。

平和の広場。

中央に「平和の火」が灯されています。

その両側に平和の礎の刻銘碑。

6月23日の慰霊の日の追悼式に出てくる、戦没者の名前を刻んだ碑です。

国籍、民間人・軍人の区別なく、すべての人々の氏名を刻んでいます。

家族で花を供えに来ておられる方々もおられました。

とにかくたくさん名前があって、胸がいっぱいになり、とても回り切れませんでした。

(つづく)

2月の沖縄に行ってきました。

沖縄の島影は飛行機から見てはいたのですが、降りたのははじめて。

観光客が少ない冬場にゆっくり回りたいと思いましたが、昼過ぎ到着の飛行機はほぼ満席。

朝、東京は気温2℃、那覇に着いたら22℃もあって、とても暑く感じました。

東京でも室内は20℃を超えていますが、こっちは湿度が高くてムシムシした感じ。

ホテルに入ってまず着替え、ゆいレールで首里城に行きました。

首里駅で降りてしばらく歩きます。

首里城公園に入って最初の守礼門は工事中でした。

日本ではない、琉球王国という感じがします。

更に行くと石造の歓会門があります。城壁が高くて堅牢です。

龍の口から水が湧き出る龍樋。

城壁の間から湧き出る水は王宮の飲料水だったそうです。

龍樋のすぐ上にある瑞泉門。

ここを入ると券売所と改札があって正殿周辺区域です。

2019年の火災で焼失した正殿は、復元工事中です。

2026年の完成を目指しているそうです。

 

工事の様子をガラス越しに一部見せてもらえます。

金網越しに撮った工事現場。本当にご苦労様です。

東(あがり)のアザナ(物見台)から見た工事現場。

物見台から見た那覇の街。

台風が多く、風がすごいので建物が頑丈です。

城壁。遠くに海が見えています。

東のアザナの真下に洞窟がありました。

右は大戦中に掘った留魂壕、左は琉球王国時代からあるガマ。

首里城の地下には旧日本軍の司令部地下壕があり、この壕では沖縄戦時に陣中新聞を作っていたそうです。

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)。

御嶽は祭祀などを行う施設。

国王が外出する時の安全をここで祈願したそうです。

猫が世界遺産を守っています。

首里城前から7番首里城下町線:那覇バスターミナル行きのバスに乗ってホテルに帰りました。

はじめて那覇に来たので、最初に街中を見るには良かったと思います。

 

(つづきます)

 

抜け出したいことはある?

日本が戦争に巻き込まれたら、どこに逃げたら良いのでしょうか…

 

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音威子府駅から地域バスに乗ります。乗客は私一人。

村長さんが感染したり、学級閉鎖があったりの中、微妙な緊張感があります。

診療所や役場、高校など主要施設を経由しますが、乗降客はなし。

終点の天塩川温泉で降車します。折り返しのバスに2人乗りこみました。

温泉はまたも貸切で、雪の中露天風呂にゆったりつかって、おそばを食べました。

コロナで大変な中、非常に親切に対応いただきました。

お土産に羊羹を買い、「次回は泊りに来ます」と言って出発します。

本日のメインは天塩川温泉駅です。

駅まで徒歩10分ですが、乗車人員一日平均0.0人だとか。

(JRが2021年に平日特定日調査~いつ調べたかは不詳)

駅が廃止されないように応援です。

天塩川にかかる橋。積雪はところにより10cmほど。

長靴に雪が入りそうなので、わだちを歩きます。

橋から見た天塩川。雪で遠くが見えません。

無事天塩川温泉駅に着きました。

雪をかき分けてホームに上ります。

名寄方面の隣駅は豊清水駅でしたが信号場になり、駅名標も恩根内駅に変わっています。

待合室には8人分の椅子とストーブがあります。

座布団に心遣いを感じます。

財政難の中、ストーブには石油が入っているのでしょうか。

くつろげそうなスペースもあります。

トイレ完備。

トイレットペーパーもちゃんとありました。

踏切が鳴り始めたので、ホームに出ます。

稚内発名寄行き普通列車、キハ54単行です。

雪がどんどん積もっているので、保線の方も乗っています。

整理券をもらって、本日の天塩川温泉駅乗車人員1名。

長靴の裏にたくさん雪が貼り付いていて、乗りこんだ途端滑りました。

転びはしませんでしたが、昔けがをしたことがあるので、あせります。

(続きます)

 

海で助けてもらったことある?

何とかお世話にならずにすんでいます。

海水浴も船旅もご無沙汰しています。

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