多分、もうちょっとです。
皮膚のことです。
おかしいなと思い始めて一年とちょっと。
ちょうど一年前は一番ひどかった…
西洋医学が信用できず、東洋医学でも成果が出ず、結局両方のお世話になって少しずつよくなってきました。
私は色んなことが極端で偏りがちだけど、例えば2つの意見があって、一見対立するようだけど、どちらか一方を切り捨てるんじゃなくて、いいところを取り合って、足りないところを補い合うって大切だと勉強させてももらえました。
それでも少しずつよくなって、もうちょっとかなと思ってからもやっぱり3歩進んで2歩下がるような状態で、なかなか前に進んでる気がしませんでした。
でもそうやっていつのまにか随分よくなりました。
今はごくたまに口のまわりと瞼の上に何かが出てきますが、2、3日で引くし、それをのぞけば顔はすっかりよくなり、それと入れ替わりにひどくなってきた首や脇や背中も、ほとんど気にならない程度になりました。
脇の下は変色してしまってこれはとれないかとも思いましたが、少しずつとれてきています。
太ももも一通りかゆくなりましたが、それも落ち着いて、今は膝の裏の変色と、脛に気になるところが残るのみです。
患部がどんどん下におりていった感じなのできっと、この部分がよくなれば完治と言えるのかなぁと思います。
でもきっと、完治なんて「今」とわかるものでもないし、少しずつよくなって、いつのまにか気付いたらかゆくないやん!となってるんだと思います。
だから完治した時は気付かないと思うので、ほんとに今度こそもうちょっとと思う今書いておこうと思います。
もうちょっとと思い始めてからもだいぶかかったから、今度がほんとにもうちょっとなのかもわかりませんが…
多分、ほんとは関係ないのだとは思いますが、今身の回りで起こってる色んなことも、区切りまでもうちょっと、のような気がします。
私は悔しいという感情があまりない。
多分、今までに流した悔し涙は1回。
自分なりに頑張って作った旅行の計画を、読んでももらえなかった時。
あの時は自分でもびっくりするぐらい激しく泣き続けた。
でも同時に、私にも悔しいと思えることがあるんだと、少し嬉しい気持ちもあった。
でもやっぱり、後にも先にもその1回切り…
涙を流すまででなくても、悔しいと感じることもほとんどない。
私は何かに一生懸命になったことがないのか…。
頑張ってないのか…。
確かに、私は諦めが早いし、何に対しても「それなりに」はするが、とことん向き合うということが苦手で、「それなりに」で、過ごせてきた。
でも、中学からずっとやってきた陸上に関してだけは、頑張ってきたつもりだった。
でも、試合で負けても実力がないからなと思い、目標タイムがでなくてもそんなもんかなと思い、一番出たかった試合の前に怪我をして出られなくて、順当にいっていれば優勝できたかも知れなかった(注!とてもとても小さな試合です)時も、しゃあないかで済ましてしまう。
外面的にはガツガツしない、謙虚を装っているけど、自覚はしてないけど、実は自分の中でのプライドが高いだけなんじゃないかと最近ようやく思うようになった。
私はプライドは高くはないと思う。
なんせ自信がないし。
でもきっと、自分が何かをできないことを認めたくないから、悔しいと思わずにしょうがないで済ましてるのかも知れない。
悔しいということは、自分が設定した目標に届かなかったことを認め、次は努力してそれを越えなければならない。
多分私はずっとそれをしてこなかった。
もちろん、どう考えても無理な目標もあって、それにこだわりすぎるのもよくない。
諦めることも必要だけど、私はいつも早すぎた。
そりゃ成長せ-へんよなぁ。
達成感を味わったことがあまりないことも、同じことかも知れない。
多分、今までに流した悔し涙は1回。
自分なりに頑張って作った旅行の計画を、読んでももらえなかった時。
あの時は自分でもびっくりするぐらい激しく泣き続けた。
でも同時に、私にも悔しいと思えることがあるんだと、少し嬉しい気持ちもあった。
でもやっぱり、後にも先にもその1回切り…
涙を流すまででなくても、悔しいと感じることもほとんどない。
私は何かに一生懸命になったことがないのか…。
頑張ってないのか…。
確かに、私は諦めが早いし、何に対しても「それなりに」はするが、とことん向き合うということが苦手で、「それなりに」で、過ごせてきた。
でも、中学からずっとやってきた陸上に関してだけは、頑張ってきたつもりだった。
でも、試合で負けても実力がないからなと思い、目標タイムがでなくてもそんなもんかなと思い、一番出たかった試合の前に怪我をして出られなくて、順当にいっていれば優勝できたかも知れなかった(注!とてもとても小さな試合です)時も、しゃあないかで済ましてしまう。
外面的にはガツガツしない、謙虚を装っているけど、自覚はしてないけど、実は自分の中でのプライドが高いだけなんじゃないかと最近ようやく思うようになった。
私はプライドは高くはないと思う。
なんせ自信がないし。
でもきっと、自分が何かをできないことを認めたくないから、悔しいと思わずにしょうがないで済ましてるのかも知れない。
悔しいということは、自分が設定した目標に届かなかったことを認め、次は努力してそれを越えなければならない。
多分私はずっとそれをしてこなかった。
もちろん、どう考えても無理な目標もあって、それにこだわりすぎるのもよくない。
諦めることも必要だけど、私はいつも早すぎた。
そりゃ成長せ-へんよなぁ。
達成感を味わったことがあまりないことも、同じことかも知れない。
すごく誤解を招く虞のある表現ということを承知で書くと、私は死ぬことは怖くない。
痛いとか苦しいとかは、怖い。
でも、死自体についてはあまり怖いと思ってない。
生まれてきたからにはいつか死ぬのだから、ゴールみたいなものと思っている。
きっと、この世ですべきことを終えた時に、もういいよと言ってもらって人生を終えるのかなと思っている。
私は高校の部活の仲間を二人、突然失っている。
彼ら自身はまだまだやりたいことがあったに違いないけど、定めみたいなことからしたら、きっと彼らはこの世での役割を終えたんだと思うことでしか、彼らの無念を消化することができなかった。
だから、そう考えるようになった。
でも、初めに死ぬことが怖くないと思ったのはもうちょっと前だ。
中学生ぐらいの時、おじいちゃん(血のつながりのない遠い親戚のおじいちゃん)が亡くなった時。
初めて、自分が知っている、身近な人が亡くなった。
でもその時に感じたのは、悲しいとか淋しいとかじゃなく、「あっちへ行っても一人じゃない、おじいちゃんがいるから怖くない」、だった。
おじいちゃんだから、自分より先に亡くなることはしょうがないと思う面もあった。
こうやって、身の回りの死を受け入れてきた。
父や母が死んでも、そうやって冷静に受けとめられそうな自分が怖い。
そして自分の死も、受け入れられると思う。
実際直面してないから、本当のところはわからないけど。
私はこれまで、死にたいと思ってしまったことが何度かある。
でも、それは許されないことだ。
でもだからといって、無理矢理寿命をのばすこともなんか違うように思う。
もちろん、自ら命を断つだけじゃなくて、助かる命を無駄に捨てるのもよくないと思う。
ここに来ると、以前書いた、臓器移植法の問題 の話になってしまうのでこの問題はちょっと置いておくことにする。
もちろん、戦争や殺人など、そんな理不尽な死には直面していないから、こんなことが言えるのだと思う。
でも、私が今考えてることは、「こう思います」というのではなく、今まで、少なくはない死、それも同年代の人の死も何度か目の当たりにしたとはいえ、これほど冷静に、死を受け入れる態勢ができている私はちょっとおかしくて、冷たいんだろうか、と不安になることがあるということなのです。
痛いとか苦しいとかは、怖い。
でも、死自体についてはあまり怖いと思ってない。
生まれてきたからにはいつか死ぬのだから、ゴールみたいなものと思っている。
きっと、この世ですべきことを終えた時に、もういいよと言ってもらって人生を終えるのかなと思っている。
私は高校の部活の仲間を二人、突然失っている。
彼ら自身はまだまだやりたいことがあったに違いないけど、定めみたいなことからしたら、きっと彼らはこの世での役割を終えたんだと思うことでしか、彼らの無念を消化することができなかった。
だから、そう考えるようになった。
でも、初めに死ぬことが怖くないと思ったのはもうちょっと前だ。
中学生ぐらいの時、おじいちゃん(血のつながりのない遠い親戚のおじいちゃん)が亡くなった時。
初めて、自分が知っている、身近な人が亡くなった。
でもその時に感じたのは、悲しいとか淋しいとかじゃなく、「あっちへ行っても一人じゃない、おじいちゃんがいるから怖くない」、だった。
おじいちゃんだから、自分より先に亡くなることはしょうがないと思う面もあった。
こうやって、身の回りの死を受け入れてきた。
父や母が死んでも、そうやって冷静に受けとめられそうな自分が怖い。
そして自分の死も、受け入れられると思う。
実際直面してないから、本当のところはわからないけど。
私はこれまで、死にたいと思ってしまったことが何度かある。
でも、それは許されないことだ。
でもだからといって、無理矢理寿命をのばすこともなんか違うように思う。
もちろん、自ら命を断つだけじゃなくて、助かる命を無駄に捨てるのもよくないと思う。
ここに来ると、以前書いた、臓器移植法の問題 の話になってしまうのでこの問題はちょっと置いておくことにする。
もちろん、戦争や殺人など、そんな理不尽な死には直面していないから、こんなことが言えるのだと思う。
でも、私が今考えてることは、「こう思います」というのではなく、今まで、少なくはない死、それも同年代の人の死も何度か目の当たりにしたとはいえ、これほど冷静に、死を受け入れる態勢ができている私はちょっとおかしくて、冷たいんだろうか、と不安になることがあるということなのです。