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フジムラヤヨイ物語
第1話は昭和な写真を織り交ぜてお届けしますルンルン
 

1980年、三重県生まれ。

6歳年の離れた姉(異母姉妹)、4歳下の弟がいます。

 

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(弟と私)

 

 

 

両親は自営業で喫茶店をしていました。

(現在は閉店)

 

父がサイフォンコーヒーと手作りケーキ

母が接客と経理

 

当時賑わっていた駅前にお店があり

地元では人気の喫茶店でした。

(全盛期には芸能人が来店したこともあったらしい)

 

その頃のわたしの楽しみは

幼稚園が終わってからお店に行って

父の作ったクリームソーダを食べるコト照れラブラブ

 

その他の幼稚園の記憶は

「楽しかった、嬉しかった、悲しかった」という

断片的な感情は残っていますが

これ!といった具体的な記憶は...ありませんキョロキョロ

 

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(東山動物園に行った時の写真)

 

 

小学校に入学後低学年の頃は

毎日近所の同級生とザリガニ取りや川遊びに夢中爆  笑

 

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(小学校3-4年生くらい?)

 

 

高学年の5年生からバレーボールを始め、

6年生でレギュラーを獲得。

 

所属していたチームは

市内で三つ巴の優勝を争う強豪チーム。

 

当時はポジション固定型のルールで

わたしは花形の前衛でもセンターでもなく、後衛のレシーバー。

「いつでも代わりがいる」ポジションでした。

 

せっかく勝ち取ったレギュラーを

後輩に取られるのが悔しくて

 

このポジションで自分にしかできなことは何?

私のポジションでどうしたら点が獲れるだろう?

どうしたらチームにとって必要な選手になれる?

 

幼いながらに必死に考えていたのを覚えています。

 

ヒントを与えてくれたのは当時開催されていた

バルセロナオリンピックでした。

女子バレーの応援をしていてきになる選手を発見!!

 

レギュラーではないけど

毎試合、必ず試合に出場している選手がいるびっくり

 

なぜ試合に出てるんだろう?と試合を録画して

よく観察してみるとピンチサーバー、レシーバーだったんです。

 

”サーブ”というのにピン!ときて

さっそく図書室でバレーボールの本を借りてきて

サーブのページを読んでは家の裏で壁に向かって

同じ場所にボールを当てられるように毎日練習。

(後で聞いたところ、家の中の土壁が落ちて掃除が大変だったそう...ガーン

 

他には正確な”ジャッジ”ができるようになるコト。

 

相手からの攻撃が来た時に

アウトならボールに触らずに点を取ることも

自分たちのチャンスに変えることもできる。

 

後衛のポジションにいる

「私だからできる」攻めの衛りでした。

 

レシーブを頑張る!じゃないところが

今思うとよかったのかも?

 

あと母親のプレッシャーもすごかった...ガーン

後輩にレギュラーとられたらやめさせる!って

言われてたもんな〜笑

 

努力の甲斐あってか最後までレギュラーで

終えることができたのでしたキラキラ

 

 次回は中学生編です爆笑

お読みいただき、ありがとうございましたラブラブ

 

わたしのお仕事シリーズ