一週間の関西旅行~熊野編~、那智の滝のことを書いただけで泊まっていました。
本当に、不思議なことに、この旅行から帰ってきての私、休みなし
2月くらいから、ご予約もほとんど入らず、
イベントも出展予定が尽く参加できず、
全然動けない状態だったの。
もう、焦っても仕方ないなーとも思っていたけど、
何が私を止めてしまったんだろう??
という疑問がありました。
それが、4月に大石林山へ行ったとき、答えがぱぁぁぁぁー---ん!!と私の目の前に。
それまでの数ヶ月の間に同じメッセージは何回か来ていて、
極めつけという感じだったのよね。
なんにしても、最低でもこの1年は、
自分がいただいた役割があるならば、
お金に換算せずにとも、
人にどう見られるか心配せずに、
とにかく動いてみようって決めたわけです。
そしたらね。
その4月の終わり位から、事態は大きく動き出しまして
自分を動かしてくれるような出逢いが沢山あって。
また、自分の心を決めさせてくれるような出来事もあったりして。
そんな中のひとつが、熊野であり、速玉大社。
1日目に行こうとしたけど、時間が全然足りなくて行けなかったということは
⇓これに書きました。
で、二日目。
縁ga環さんが
「子供たち見ててあげるから、yayaちゃんだけ神社行っておいで」って、
快く送り出してくれたおかげで、一人で速玉大社へ。
上野宮司へアポ取ってるの?って数名に聞かれていたけど、
私としてはお忙しいであろう上野宮司にアポを取る理由がないし、
ご縁があれば会えると思うからと、
兎に角速玉大社の神様へご挨拶だけ行ければいいかなぁと答えていたのです。
そして、鳥居をくぐり、
門の前で頭を下げ、
境内へ足を踏み入れて、顔を上げたら・・・
本殿の中で上野宮司がお話をされてるっっっ
そろー---っと本殿へ参拝し、端に寄り上野宮司のお話を盗み聞き。
速玉大社の由来から、熊野信仰のお話まで。
あー、こんなにタイミングよくこんな風にお話聞けるなんて、
私って本当に恵まれているなぁ。感謝だなぁ。と思いながら、
お話を終わりまで聞かせていただきました。
その後、上野宮司が出ていらっしゃったので、ご挨拶。
にじプレでのことを覚えていてくださって、
私が沖縄からたずねて行ったことを喜んでくれて
社務所へとご案内いただきました。
しかも、玉串拝礼もさせていただいて。
感動して涙がちょちょり出てしまったのは言うまでもありません。
熊野の神にお仕えする私達の祖先は、たとえ参詣者のわらじが雨で濡れていてもそのまま温かく拝殿に迎え入れました。これを「濡れわら沓の入堂」といい、熊野速玉大社の社訓になっています。
美しい感激の涙で心が洗われ、自分本来の姿を取り戻す旅・・・。熊野は生きる力を、もう一度受け取りに来るところなのです。命がけの旅は、私達が生まれた時に持っていたはずの純真なこころと姿を取り戻す試練の旅でもあったのでしょう。
難行苦行の果てにあるもの・・・それは、迷わず人生の再出発を踏み出すための勇気と覚悟の加護にほかなりません。熊野速玉大社が「甦りの地」といわれる本意は、正にここにあります。
速玉大社の社訓にもあるように、本当に温かく迎えていただきました。
そして、上野宮司が私みたいなイチ一般人に、丁寧に色々なお話をして下さって。
そのお話の中でも気付きが沢山。
私は、スピリチュアルというのは本来、
何が見える、あれが見える、
ハイヤーセルフがこう言った、ああ言った、
だから何。
ではなくて、
実際に人と人とが繋がって、
そのご縁が呼び水となっていき、
本当の意味での調和を起こしていくと感じていて。
私たちの中の魂が響き合って、祈りになって、平和の世になっていくのじゃないかと。
神様は、これが間違っている、あれが間違っている。
こうでなきゃ正解ではない、これは邪道だ。なんてことは言わないし、
言っていないのではないかと。
人間は善もあれば悪もある。
この世の中も、光があれば闇もある。
それも含めて、私たちはどんな気持ちで生を全うしていくのか。
どんな感謝を人生の中に見出すのか。
熊野が蘇りの地と言われている場所とは知らず、
今回その地へと向かったのだけれども、
私にとっても蘇りの地となったように感じています。
あとは、人生楽しむだけ楽しんで、
自分が思う恰好良い自分として生きていこうと。
もう、本質的なところで私のことを誰がどう思うは横に置いておきます。
それが腑に落ちたからなのか、
帰ってきてから、今まで以上に毎日が充実していて、
忙しく、
だけど日々喜びしかない!!!
今度、そんな関西&熊野の旅のお話会もできたらなって考えています。