こんにちは^^

柴 やすよ です。



Vol 3.


を読んでくださった方々、

どうもありがとうございます。


この記事はその番外編となります^^








そもそも何故、

ムックンは病気になったのか?



そもそも何故、

肺でも心臓でもなく、腎臓病だったのか?






それは、


ムックンが病気になった事で私がどう変化し、


何を獲得したのか?


に、注目してみると見えてくるものがあります。






前の記事にも書いた様に私は、


どんなに大切に愛情をかけているつもりでも、


思いだけじゃダメなんだという事を、


酷く痛感しました。




本当に大切にするとはどういう事かという事を、


身をもって体験し、学びました。




ペットを病気にできるのも、


病気を治せるのも、


健康にできるのも、


そのペットの飼い主である自分だけなんだという事を学びました。




何故ならペットに与える選択一つ一つは全て自分の意識から生まれ、


ペットに与える影響も自分自身から生まれているからです。





そして、


身体、病気でさえも、


自分が変化する事で現実は変わるのだという事を体験しました。





そう。全ては、自分次第。


自分の選択次第。


自分が見る風景は、自分が創ってる。。。







ムックンが病気になった事をきっかけに私が変化した事は、


ペットの事を知る…という事をする様になった事とです。


その子に合った食事、体質などの特徴、病気や症状の事、病気予防、デトックス、食べ物やあらゆるものの質、コミニュケーション…など、
本当に様々です。



その学びや気づきに必要な、

素敵な獣医さん達や患者さん達とのかけがえのないご縁も頂きました。




そして、


ノアとバロンという大切な家族を、


健康に、幸せに育てる事ができている。


という、今がある。




そしてそれはもちろん、


犬達だけでなく、


自分自身の身体や、自分の人生に対しても同じです。




今だってもちろん成長過程だけど、


自分自身に与えるものというのは、


ムックンをきっかけに大きく変化しました。









そして、


ムックンが腎臓病でなければならなかった事には、

とても深い意味がありました。






腎臓には、
「憎しみ」などの意味がありますね。


特に、母親とか、肉親関係である事が多い様です。





私がその重大なメッセージに気づき、


そこに対する自分を幸せにはしない不必要な観念や執着を漸く手放せるタイミングが来たのは、


ムックンとの闘病生活を乗り越えてからでした。




ムックンのおかげで様々な事に気づかせてもらって変化を遂げたのち、


やっと腎臓を取り巻いていたものが見えたんです。





私自身にとても面白い出来事が起きました!








何と!



耐えきれないくらいの尋常じゃない腹痛が起き、


救急車で運ばれたんです!笑い泣き w


あははははは!笑い泣き









最初は胃腸炎の様な痛みに似ていました。


ちょっと寝たら良くなるか様子を見てみようと眠りについたんだけど、


痛みがどんどん強度を増していって、


真夜中に飛び起きてしまいました。



これはほっといたら大変な事になる、

そのうち耐えられないくらいの痛みになる、


と、一瞬自分の死が連想され、


私は深夜、


必死に部屋からマンションの外へと出ていきました。





そしてそこに通りがかったタクシーを止め、


うずくまる様にして乗り込んで、


一番近い病院に連れて行ってほしいと伝えました。





その間も痛みはどんどん激しさを増していき、


私は本当に必死でした。





しかしタクシーの運転手のおじさんは、


タクシーで行ったら救急対応してもらえないかもしれないと言って、


救急車を呼ぶという選択をしました。






その時の私は直ぐにでも病院に連れて行ってほしかったけど、


既におじさんを相手にしていられない程の痛みになっていて、


「あーーーっっっ!!」という雄叫びをあげながらもがいていました。









暫くして救急車の音が近づいてきて、


救急隊員の方達がやってきました。




一人はタクシーのおじさんに事情を聞いていて、


もう一人は私に声をかけながら状態を確認してきました。






私の痛みはやがて限界に達していて、


「モルヒネー!モルヒネ打ってー!!!」


と声にならない声で叫んでいました。


(セリフだけ聞いたらまるで薬中ですw)


それほどの痛みだったのです。





しかしながら当然、


検査して体を把握しないうちにそんな事はできないと断られましたw









間もなくして、


痛みの渦中にいるうちに、


別の救急隊員の怒鳴り声が聞こえてきました。


タクシーの運転手に怒っていたのです。




何で彼女は今直ぐに一番近くの病院に連れて行ってほしいと言ったのに連れて行ってあげなかったんだ!!!


運転手「だって、タクシーで行ったら救急で見てもらえないと思ったから…」


そんな事ないよ!
そんな事する訳ないだろ!


違うよ!あんた逃げたんだよ!
彼女を見捨てたんだよ!!!






シーンと静まり返った深夜、


痛みの渦中にいながら、


横ではそんなドラマが繰り広げられていました。





痛みが辛くて苦しんでいた私にとっては、


その救急隊員の思いというのは凄く私の心に響いてなんだかとても嬉しかった。



あぁ、こんな人がいるんだなーって、


こういう人が救急隊員をやっているんだなーって、


なんだか凄く嬉しかった。









その後病院へ運ばれて分かった痛みの原因というのは、


腎臓の結石によるものでした。


結石が腎臓から離れて、


お腹に落ちてきていたのです。



そう。
手放しのデトックスが起きていたのです!







不思議ですね。


それより少し前にレントゲンを取る機会があったのですが、


その時は腎臓に結石なんてなかったんですよw


そしてその後ムックンが腎臓病になって、


この出来事というのは、


その後の事だったんです。。。






そしてこの時はもう、


結石が落ちてきているところで、


レントゲンに写った私の腎臓には少しの結石もなく、


とてもとても綺麗なものでした。


何の健康的異常も見つかりませんでしたw






手放せるタイミングが来たよー!


っていう事だったんです。






何を?…かというと、



憎しみの感情です。






母に対する、


憎しみの感情でした。







この出来事をきっかけに、


私は自分の奥深くにあった母への憎しみの存在に、


気づく事ができたんです。





母に何か酷いことをされたとか、そういう訳じゃないんです。



私も、きっと多くの人が思う様に、


母の事が大好きで、
憎しんでなんかいないと思っていたんです。


それまでも母に関する事で色々と自分自身に取り組んできてもいて、


思い込みだって手放してきていたし、


私の中でクリアになっていると思っていたんです。





でも、

愛するが故なんですかね。。。





母への憎しみは、


ちゃんと私の中に存在してました。






そしてそれに気づいた私は、


母に分かってもらおうと戦ってきた自分の中の戦いを、

とうとう終える事ができたんです。




母は母である事に、


私は私である事に、


本当の意味で降参したんです。








きっと多くの人が、


母親の影響というものを最も受けてきているのではないでしょうか?



育ってくる過程で、


母親の価値観で、


何かを正され、何かを否定され、


母を悲しませたくないという思いと、


母に認めてもらいたい、喜んでもらいたいという思いで、


何かを必死に頑張り、


生きてきているのではないでしょうか?





でもそうしているうちに、


母を愛している、大事に思っている、だって血が繋がっているんだから当たり前じゃないか。


…と当然の様に思ってしまい、


見えなくなっている憎しみ感情というのがあるんですね。







そしてそうした憎しみ感情が内側で育って、


いつの間にか私は、


母が期待する私ではなく、


私は私という人間なんだっていう事を、


認めてもらおう、分かってもらおうとする自分がいました。





でもこの出来事をきっかけに、


そんな自分の中の無意識の戦いに、


やーめたっ!ってしました^^







自分ではなかなか気づけないかもしれないけど、


今やっている事は、


もしかしたら誰かに認めてもらおうとしてやっている事かもしれない…


という事があるという事ですね^^



自分ではそんな筈はないと疑いもしない様な存在に対して、


実は憎しみの感情を抱いていて、


それに突き動かされている事があるかもしれないという事です^^






もしかしたら私達は、


誰かに認めてもらう必要がなくなった時、


誰かの愛を必要としなくなった時、


初めて本当に自分のやりたい事が見えたり、


自分という人間を心置きなく生きれるのかもしれませんね^^








こうした出来事や気づきのおかげで、


私は母に分かってもらおうとする自分を止め、


戦いを終える事ができました。



私の中で、母の存在を断ち切ったんです。


私は私の人生を生きていく。


だからお母さんも、


お母さんの人生を好きに幸せに生きていってねって、


そう心の中で思いました。



それはお母さんがいなくても私は幸せに生きていくという決意の様なもので、


ある意味、私の中で母を殺したんです。。。





だから暫くの間、


私から母に連絡するという事はありませんでした。







しかしながら、


ある日突然、


母からポンッとラインが送られてきたんです。




私の気も知らずに、


とっても能天気なラインが送られてきたんですよw



あはははは!笑 


と、私は思わず吹いてしまいました 笑






その時初めて、


本当に母に出会えた気がしました。


まっさらな状態で、


純粋に母を見ている自分がいました。





そして改めて、


やっぱり愛しいなぁー♡


って思いました^^




どんなお母さんもこれがお母さんなんだなーって、


全てが愛しく、
とても魅力的に思いました^^







私は母に愛され認めてもらう為に、


最初は母の気持ちに応えようと頑張り、


その後今度は、


母という人間を変えようとムキになって戦っていたんだなぁーと解りました。








そしてそれから、


自分の憎しみを手放し、


母に対する執着を手放し、


私達はどうなったかというと、、、







母はどんな私に対してもアレコレ非難する事がなくなり、


母自身も以前よりずっと自分らしく好きに自由に生きる様になりましたおねがいキラキラ



ハワイに行ったり船旅に行ったり、


それまで何かに縛られ何かに遠慮して必死に仕事ばっかり頑張っていた母が、


本当に心から笑って生きる事を楽しんでいる姿を見る様になりました^^


でも、


お節介でウザいところは相変わらず健在です 笑







そして今、


私達は以前よりもずっと仲良しです^^



お互いがお互いのまま、


自立した一人の人間として関わっています。






あの救急隊員がタクシー運転手に向けて放っていた台詞は、


私が胸の内で母に対して向けていた言葉であり、


私が私自身に向けていた言葉でもありました。






私が変わると、


見える風景が変わる。




ムックンは最後に、


私にとてもとても大きな置き土産を置いていってくれました^^



ムックンとの日々や闘病生活がなければ、


そこに辿り着いてはいませんでした。


玉ねぎの皮を剥く様に一枚一枚剥がれていって、


やっと見えた事だったんです。





ムックンの腎臓が一生懸命戦ってくれて、


漸く憎しみを手放せる時が来た時、


私の腎臓から石が落ちてきた。。。





母との関係、


その他全ての関係に、


ムックンはたくさんの幸せをもたらしてくれました。



本当に本当に、


かけがえのない最高のワンコです♡





p.s
結石があるけどまだ落ちてきてないという方は、
何かヒントになれば幸いです^^

身体はいつも、
私達に大切なメッセージを伝えてくれています。

そしてそれは、
地球や自然、動物達も同じです。





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