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 道徳は題材によるところが大きい。道徳の授業だけでなく、朝の会や給食時の会話でだって道徳について考えさせる場面は生める。まさしく「議論する道徳」教材が、そこらじゅうに転がっているからだ。

 

 前回はウィル・スミスの事件の教材化について書いたが、身近なところでこんなのもある。

 

 現在、男子も「さん」づけで呼ぶ学校が増えてきているが、これって上の指示?で変わってきているのかな? 案外、教師の中では、そういう風潮だから、主任がそういうから、市教委からの指示だからと、深く考えずにそうしている方も多いように思う。教師って争うのが好きではない方が多いので、風潮がそうならそれに従うわけだ。

 だからこそ、子どもたちには皆で議論し合わせたい。これは進め方によっては、現在のトランスジェンダー問題にまで発展するかもしれない

 小学校では男子と女子の名簿を混ぜて男女別にしないところさえ増えていると聞く。

 理由はいろいろあるだろう。男子と女子は同権だ、平等だ、というのや、トランスジェンダーに配慮ってのもあるだろう。なんか差別と区別がごっちゃになっているような気もするが、身体測定、更衣場所の違いはもちろん、運動会の種目など異なるものはいろいろあるのに、性差による区別は差別なのか?

 こんなことを皆で話し合いながら、社会でもまだ答えの出ていない、風潮によって揺れているこの問題を、皆で考えるのもおもしろいだろう。

 

 さらに言うと、オリンピックでも、おかしな状況が生まれている。トランスジェンダーの“女性”が、女子の大会でいい記録を出した。“彼女”は少し前まで男性だった。

 この場合は、“彼女”は性の転換を申し出て参加を認められているが、逆に申し出ていない女性が“彼”としてでなく女性の部に出て賞に入る、なんてことも、もしかしたら今までに数多くあったのかもしれない・・・なんて考えてしまう。

 なぜ、スポーツでは男子と女子を分けるのか? それは筋肉量が性によって明らかに違うからだろう。女子の中に男子が混ざれば男子がいい賞を取るのは子供だってわかる。

 でも、トランスジェンダーの存在がスポットを当てられ始めた今、不公平感を感じず皆が楽しめるオリンピックにはたしてできるのか?

 なんてことを、壮大なテーマとして話し合うのもおもしろいだろうな。現代社会ですらよくわからなくなっている問題だから。

 

 でも、教材化する場合、最終的に、性差問題や男女の協力の大切さ、互いへの配慮や思いやりなど、身近な問題へとつなげていけるかが、教材研究であり教師の力量だろうなあ。

 

 <4日後追記>

 4/7のBBCニュースで、イギリスの首相が、この件で物議をかもすだろう見解を出している。このご時世で、勇気ある発言だと思う。さあ、どうなることやら。

 

 <さらに追記>

 6/20のニュースで、以下の決定がなされた。やっぱりね。

 

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