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 道徳の研究会に行った夜、うちの奥さんに感想などを話していたら、昔の話になった。

 (※うちの奥さんは、中1のとき教え子でした。すみません。)

 久々の教育の話題に花が咲き、

「そういえば、中1の時の担任の道徳はどうだった?」

と、悪のりして聞いてしまった。聞いてから「しまった」って思った。

 当時、若干30歳。好き勝手にやってた時代だったから、どうせいい答えは返ってこないだろうし、「つまらん」って言われたら息子も隣にいる手前かっこわるいし、身もふたもないなあって思ったからだ。

でも、ほんのちょっと期待もして。


そしたら意外な答え。


「こわかった。」


「えっ何それ?」と、詳細を聞くと、


「私は、お父さんお母さんからかわいがって育てられていて、人のいやな部分をまだ何も知らない、考えることもない中1だったのに、あなたの道徳は、人のいろいろな感情をさらけ出していく道徳だった。えっそんな奥底の本心まで言っていいの?って感じが何回もあった。みんなは道徳だと喜んで、いろいろしゃべってたけど、私にはそこまで語りあっちゃう道徳は・・・う~ん、やっぱり『こわかった』っていうのが一番当てはまる言葉かなあ。」

・・・なるほど。そうか、そうかもしれないなあ。


 以前のブログで、僕の中学校の担任が、道徳の授業でいつも僕らを「挑発」し「反発」させ、いらいらさせる授業をしたと書いた。それでいて自分は考えを述べなかった。僕は、そこまでのこらえ性はないので、その域には達せないが、確実に担任の影響を受けている。だから、中1の彼女の授業でもついその路線で進めていたのかもしれないなあ。年齢も考慮せず…。

 

 道徳は、発達段階や集団の意識レベルをよく吟味して発問や流れをつくっていきましょうね。

 

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