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 道徳の授業で、最後に教師がいわゆる「答え」を言っていいものか?

例えば、子どもたちに十分話し合わせたあと、教師の考えを語ることってどうなんだろう?

 僕が道徳を好きになったのは、中学の担任の影響。

 担任の一番の思い出は、いつもスリッパでたたかれていたこと。それでも、その先生からは一度たりとも、憎しみや無関心を感じたことはない。たたかれながらも、その先生から感じたのは、常に真剣さと愛情だった。

 こんな思い出がある。僕が剣道部キャプテンになった時、だれていた部活を真剣に立ち直らせたいと考え、きつい練習をしすぎて、練習サボリの部員が保健室に担ぎ込まれたことがあった。対応した担任から、確実にビンタが来ると思ってたら、理由を聞いた担任は「少しやり過ぎたな。」と言っただけ。そのことが逆に僕に、自分の「方法」をすごく反省させた。

 そんな担任の道徳は独特で、僕らを「挑発」し「反発」させ、いらいらさせる授業をよくした。授業のあと、僕はよく担任に、

「それで、先生は結局どっちだと思うの?」って聞きにいったが、一度たりとも自分の考えを教えてくれなかった。このことが、僕の授業のこだわりに影響してると思ってる。


 ということで、最初の質問。この文の流れなら、当然僕の考えは「語ってはいけない」と思うでしょうね。でも、違います。場合によっては、語るのもありだと思ってます。時には、教師の熱い語りで、授業を締めくくってもいいんじゃないかな?

 要は、教師の真剣さと愛情が伝われば何でもいいんじゃない?

 

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