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 前回バンコク派遣時のバンコクの様子を書いたが、今度は派遣から帰国する際の様子と、途中寄った北京でのアクシデントを、バンコクの子どもたちへの手紙から紹介します。


     『バンコクの教え子たちへ』
 やあ、みんな、久しぶり。元気ですか。 (中略)
 さて何から話したらいいかな。‥‥‥では、帰国直前の状況から。

 何事ものらないと先へ進まない先生は、帰国といういやな状況に直面して、その準備は全然といっていいほど進まなかった。そして、3月5日の、先生にとって最後の日本人会文化祭が終わった時、山のような仕事がたまっていたのである。

 

 マンションを2月で引き払っていた先生は、ホテルをとっていたにもかかわらず、ほとんど毎日、学校で寝泊まりして仕事を片付けていた。仕事ははかどったが、困ったのが洗濯物である。一週間もすると、着古しの山ができていた。
 「こりゃいかん。何とかしないと、明日はくパンツも無い」と思っていたところへ助け船。旧1の1の四人の子が、土曜の夜から泊り込みで洗ってくれたのである。使った洗濯機は家庭科室の。乾かした所はなんと音楽室。夜中の2時頃には全部洗い終え、朝には乾いていたので、先生は無事新しいパンツがはけたのである。
ありがとう、四人の子たち。

 帰国当日。朝7時には学校を出発しなくてはいけないのに、仕事が終わったのが6時40分。20分で用意をし、思い出多き学校を後にした。

 

 空港には実にたくさんの人が来てくれた。言いたいことは山ほどあったがその時になると何も出てこない。結局、うまく伝えられないままお別れしてしまったのが心残りだった。

 英語コンプレックスの先生は、最初すぐ日本へ帰るつもりだったが、K先生が「北京に寄っていかんか?」と誘ってくれたので、一緒に同行させてもらった。
 二年前、インドとネパールに、先輩先生二人に連れられ
過酷な旅に行ってから、外国旅行に恐怖を覚えるようになっていた先生は、今度こそその気持ちを克服してやろうと決心していた‥‥‥のだが‥‥‥。
 またまた北京でもいろいろあったのである‥‥。


 泊まったホテルは『シャングリラ北京』。とても豪華でいいホテル(一泊2万4千円!)で、そこを基点にして三日間観光したわけであるが‥‥。


1日目‥‥着いたその日は、ホテルでゆっくりしたあと、夜は旅行本に紹介されていた町の中華レストランへ。

「本場もんはさすがにちがう」と言いたいところだが、日本やタイで食べる料理とは確かに違うが、美味しいのではなく、逆に、味が大味でちっともうまくない。店内は会議室みたいで殺風景だし、出てくるのは遅いし、おまけに店にはゴキちゃんが二匹はっていた。

 

2日目‥‥タクシーを貸し切り、観光名所巡りをした。

「万里の長城」はさすがに壮観だった。中国の歴史を直に感じた気がした。他にもいろいろ行ったのだが、K先生についていっただけなので、どこにどういったのか今では全くわからない(とにかく「名所巡り」をしたのだ)

 途中、公衆便所に入ったのだが、これがびっくり。なんと大便用に戸がないのだ。丸くあいた穴にまたがり、みんなこちらをむいてやっているのだ。便意もついつい引っ込んでしまった先生であった‥‥。

 夜は北京ダックを食べにまたまた町へ。

しかしこれもやはり情けない本場もんであった。盛りつけの美しさなど全く無視の、北京ダックらしきものを食べながら、タイの北京ダックのおいしく美しい姿を思い出させられた。

 

3日目‥‥この日は、本場のパンダを見に動物園へ。

バスを乗り継ぎ、路地を歩いて、ウィンドーショッピングをしながら行った。途中入った食堂で本場のギョウザを食べたが、中身が少なく分厚い皮におおわれた、醤油をぶっかけるだけの“本場もん”にまた驚かされた。そうそうパンダも寝てばかりでおりも汚くつまらなかった。

 午後は、あの大量虐殺で有名になった天安門広場に行った。

もちろんまだ撃ち合いはなかったが、先生は広場の真ん中で煙草を吸っていて、吸いがらを捨てたら、係員らしきおばちゃんに「罰金」を請求されてしまった。しかし、そこらじゅうに吸い殻が捨ててあり、周りの中国人はみんな捨てているのには何も言わず、外国人の僕にだけに言ってくることに納得がいかず、押問答となり、とうとう警官の所に連れて行かれた。でも、警官は自分たちで解決しろと言わんばかりに相手をしてくれず(向こうもこちらも英語ができないので相手もできない‥‥)、最後には、おばちゃんはブツブツ言いながら行ってしまったのであった。おばちゃんに 「悪かったかな?」と思いつつも、たった60円!の罰金を払わずにすんで「ラッキー」と思っていた情けない先生であった。


4日目‥‥北京日本人学校に寄り、終業式を見学して、空港へ。


 この4日間で、タイの素晴らしさをさらに痛感した気がした。(後略)

 (バンコク63年度担任生徒・コーラス部員・吹奏楽部員への手紙から)