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 昔の資料を紐解いていたら、20代に「バンコク日本人学校」に派遣された際の手紙が出てきた。その前年度担任していたクラスの生徒全員に41通送ったものだ。読み返すと、初めて海外へ出た感動と共に、今のバンコクとの違いもいっぱいあり、同時に、やはり“僕らしいアクシデント”も起こっていた。

 

     『バンコク便り-第一報-』
 3の4のみんな、いや卒業生たち、高校生活には慣れたか?

 先生はなんとか生きています。


 4月5日の“だるま目入れ式”には33人もが先生の家に集まり、また来れなかった8人の子たちにも、7日の夜には顔を見せれたので、心置きなくバンコクへと旅立てました。

 ここで、出発してから現在までの様子をかいつまんで報告しよう。

 8日朝5時30分に、27人もの生徒に見送られ、とってもうれしく同時にとても寂しい気持ちで、先生は電車に乗り込みました。

 でも、あんなに大勢来てくれるなんて、先生は本当に幸せ者です。3の4一同からのプレゼント「パンツのセット」は、少々派手ですが早速はいています。はきごごちは上々…?(誰だ?こんなもの選んだ奴!)
 前の晩から熱が出て、出掛けに吐いてしまったほど体調は悪かったけど、あの見送りでいっぺんに元気が出ました。

 その日、文部省にて辞令をもらい、夜は東京に住む弟のマンションに泊まり、翌日13時成田を出発、バンコクにはタイ時間17時に着きました。人生初のフライトはビジネスクラスで、とっても快適でした。飲めもしないのにワインを頼んだら、ビンごと出てきて困ってしまいました(アクシデント①)。でも、初めての空からの景色は、感動的でした。

 タイに着いてまず二日間、インぺリアルホテルという高級ホテルに泊まりながら、世話役の人と打ち合わせしたり、生活必需品を買ったり、街へ出て、日本料理や中国料理、もちろんタイ料理などの食い道楽を楽しんだりしました。

(初のタイ料理は、香辛料が強く癖があったがうまかった。でも、ふんだんに使ってある唐辛子は死ぬほど辛く、最初食べたら口がしめられなくなり、氷で冷やしてたら熱まで出てしまった。)(アクシデント②)

 そしてその後、ゲストハウス(下宿のようなもの。マンションが決まるまでの仮宿)に移り、タイでの本格的な生活がスタート。


 タイには日本と同じ習慣もあるけどまったく違ったものも数多くあり、毎日が驚きの連続です。その中の代表的なものをいくつかあげてみます。


 まず、小さい子が皆一生懸命働いてるのに驚きました。5バーツのジュース(1B=7円)を売るのに一日中暑い路上で座っている人もいるんだよ。でも金持ちになると日本では考えられないほどの土地(一辺数km)を持ってる人もいるんだとか…。


 暑いと言えば現在日中は35℃くらいです。2~4月が一番暑いそうだけど結構すごしやすいよ。そのためか虫や植物も変わったのがおり、「ケケケ」と鳴くチンチョというヤモリがそこらじゅうにいる。家の中にもいて、昨日なんか、頭の上に落ちてきて先生のパーマの髪の中でもがいていたぞ(アクシデント③)

 街に出るとこれまたいろんなものが見られます。

 まず車。ポンコツばっかりなのには驚き。先生のカローラレビンのような高級車?は一台も走っていない。多くは日本製で、10年前の、中には20年前の車が堂々と走っている有様。

 交通規則は一応あるらしいがほとんど守られてなくて、すごい追い越しと割り込みだ。時にはナンバープレートの無い車も見かけるよ。

 公共交通機関は市内はバスのみ。2Bで、窓ガラスもドアもない。クーラー車は5B。他にタクシーや大昔のダイハツミゼットを改造した三輪の“サムロー”(トゥクトゥク)、小型トラックを改良した“シーロー”がある。これらの値段はすべて交渉で決まります。先生はまだ、いつも高い値段でOKしてしまいます。

 

 街には屋台を多く目にします。10m歩くと必ず出会うほど、どこにでも店を出しており、夜中までやってます。日中は暑いので夜活動するのだろうけど、夜中1時でもすごいにぎわいだよ。食事は安く、屋台だと10B、レストランに行っても40~100B、飲みに行っても500Bくらいです。そのかわり、日本の本は3~4倍、電化製品や車は高いけどね。

 夜、飲みに行くと、どこにでも必ず生バンドがおり、リクエストすると日本のカラオケのかわりをしてくれます。これにはたいへん驚きました。人件費が安いためだろうけど、とってもリッチでハッピーな気分になれます。

 住居は、そのうちマンションに移るつもりですが、どこも専用プールがあり、バストイレが2~3室ついている2or3LDKのすばらしいものです。

 

 最後にタイの正月について書きます。4月13日は「ソンクラン」といってタイのお正月でした。顔に白粉を塗り互いに水をかけ合うという奇習(仏に水をかけることからきているらしい)があり、この日は朝からゲストハウスの女の子に水をかけられ、道端や車の中から白粉を塗られたり水がとんできたりとさんざんで した(アクシデント④)。しかしお祭りを怒るわけにもいかず「コップンカップ(ありがとうというタイ語)」と言って、ひきつった笑顔を返していました。

 ところが、悪いことは続くもので、その日、王宮や王宮寺院『ワットプラケオ』、涅槃物寺院『ワットポー』などを見にバスで出かけたのですが、王宮を見て一休みしてたら、

な、な、なんと手もとに置いておいたMyCAMERAがない!

一眼レフで、買って一年もたってないのに‥‥。着いて4日目にして早くも置き引きにあってしまった(アクシデント⑤)

 途方に暮れつつ、その後メナム川を舟を借り切って一周したら、岸の子供たちから水風船を投げられ、またもや水浸し(アクシデント⑥)

 精神・肉体共に疲れはてて帰りのバスで寝てしまい、降りるときには、1万4千円入りの財布がなくなっていました(アクシデント⑦)・・・もう何もしゃべる気力がない・・・。

 宿の前で水をかけようとした女の子に、逆に水をぶっかけ少しは気がはれたけど、踏んだり蹴ったりの、どっと疲れたお正月でした。

 さあ、明日18日から先生も学校が始まる。どんな生徒たちに会えるかたいへん楽しみである。
(後略)
 それでは、サワディカップ!

 (60年度卒業生への便り/61年4月バンコクから)

 

※注;僕のいる3年間で、当時の市長の大改革で、タイは大きく変化しました。ボロボロの車やナンバーのない車は一切なくなり、さらにどこにでもいた乞食の姿を一人も見かけなくなりました。タイが大きく変化する時代を、タイの人と共に体験でき、とても運がよかったです。