【北武蔵の史跡 ④:満福寺・畠山重忠公史跡公園】パワースポットを巡る夫婦旅 | 徒然なるままに山と歴史を・・・

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2024年5月14日 埼玉北部を拠点に活躍した平安末期の武士たちの史跡を巡ってきました。

その④ 満福寺・畠山重忠公史跡公園 です。

 

   

 

畠山重忠ゆかりの慈光寺に行ったので、重忠つながりの場所で重忠の菩提寺である、白田山観音院満福寺(真言宗豊山派)にやってきました。

 

手前が駐車場になっているので、観音閣の前に車を止めました。重忠等身大の守り本尊の千手観音像が安置されてそうですが、内部は見えませんでした。

 

観音閣の後輩には鳳凰や龍が彫られていて、屋根には畠山氏の家紋のひとつである五三の桐紋がついていました。

 

観音閣の右後ろに仏像や五輪塔のある一角に重忠廟があります。

 

重忠廟と刻まれた石碑の右後ろにも小さな石碑があり、そこには重忠公と刻まれているようです。

 

満福寺の裏へ行くと荒川が流れています。鶯の瀬では水面に白波が見え、今でも浅瀬であることがわかります。

 

鶯の瀬から麦畑をはさんだ向こうが満福寺です。

 

鶯の瀬から少し上流側に架かる橋は重忠橋と名付けられています。

 

鶯の瀬と満福寺の間に井椋神社があります。ここも畠山氏とつながりの深い神社です。坂東八平氏のひとつ秩父氏の一門である畠山氏は、元々は秩父地方を基盤としていました。

 

元々の畠山氏の基盤があった秩父市下吉田には椋神社があります。

 

参道をまっすぐ行くと正面に新し目の社殿があります。

 

参道の左側に蚕影山神社があります。お社の中には御幣があるだけでした。蚕影山神社の左に小さな石祠が並んでいます。それぞれ文久元年・弘化四年と幕末の元号が刻まれていました。

 

蚕影山神社の右にあるお社には、左から八坂神社・天神社・日吉神社・諏訪大社・八幡大社が祀られていますが、こちらも奥に御幣があるだけです。

 

五社のお社の隣には、白幡八幡社・八幡神社・大雷社が祀られていますが、お堂の中には小さなお社が2基だけでした。

 

本殿の左後ろには荒神社があります。

 

荒神社の祠の中に安置されているのは荒神様ではないようです。

 

本殿の右後ろには浅間神社が建っていて、その右には小御嶽神社と刻まれた板碑がありました。

 

浅間神社には3柱の神様が合祀されているようです。

 

満福寺から南西へ500m程行った所に畠山重忠公史跡公園があります。

 

公園の入口には馬を背負った畠山重忠の像があります。源平合戦の際、鵯越の崖は「馬がかわいそう」と馬を背負って下ったという逸話は有名です。

 

公園の奧には畠山重忠の墓があります。

 

墓の手前に鎌倉末期に建立された、重忠の供養の為の板石塔婆があります。

 

覆屋の扉には畠山氏の家紋の一つである五三の桐紋がついています。

 

覆屋の中には6基の五輪塔と神輿が1基ありました。

 

史跡公園の一角に重忠公産湯の井戸があります。

 

産湯の井戸には金網が張られていて、底の方はよく見えませんでした。

 

 

次はどこへ行こうかなあ・・・