2024年4月 福島県三春町のパワースポットをレンタサイクルで巡ってきました。
その ③龍穏院 ④光善寺 ⑤高乾院 です。
華正院馬頭観音堂からすぐのところに秋田山龍穏院(曹洞宗)があります。まっすぐ続く参道の途中に山門があり、その右側が無料駐車場です。
山門には「安倍萬世植福道場」と書かれた額が掛けられています。三春藩秋田家の9代藩主孝季によって書かれたものです。安倍は秋田氏の本姓で、安倍貞任の末裔を称しています。
石造の小さな太鼓橋を渡って石段を上っていきます。
3分咲きの桜の下をくぐって境内に入ります。寺号の基となった安東愛季(ちかすえ)は、桧山(能代)と湊(秋田)に分かれて対立していた安東氏を統一し、近世の秋田氏の基礎を築いた人です。秋田姓は愛季の子実季が、念願の秋田城之介に任官して以降に名乗るようになりました。
愛季から遡って鎌倉室町期には安藤氏を称し、青森の十三湊や秋田の男鹿を本拠として、中国の黒竜江周辺の北方民族と、アイヌを通じて交易し、若狭の小浜にも拠点を持って廻船し、京都とのパイプも持っていたという、調べれば調べる程面白い一族です。
天明5(1785)年の大火の後に建てられた本堂には、唐破風に秋田氏の紋「檜扇に違い鷹の羽」がついています。秋田氏の先祖の安藤貞秀が後鳥羽上皇から鷹の羽を扇に乗せて下賜されたことから、このデザインが家紋となりました。
境内に入ってすぐ右に平石不動尊があります。
お堂の内部にはガラスが張られていて、不動尊の坐像はちょっと見づらい感じでした。
平石不動尊の反対側には金毘羅様を祀るお堂があります。屋根の宝珠の下には「金」と書いてあります。
金毘羅堂の横の桜は満開になっていて、写真を撮りに来た人もいました。
龍穏院から県道に出るとすぐ先に圓照山光善寺(浄土真宗本願寺派)があります。龍穏院のすぐお隣さんといった感じです。山門の横の駐車場にチャリを止めて山門をくぐります。
光善寺は慶長8(1603)年に会津若松の浄光寺から分かれて創建されたお寺です。
本堂の左手には満開の枝垂れ桜がありました。
光善寺から県道に出て、すぐに右に入ると安日山高乾院(臨済宗)があります。こちらも藩主秋田氏の先祖から山号をつけています。秋田氏の本姓は安倍氏ですが、安倍氏の先祖は神武天皇と戦った安日彦とされています。
本堂の正面の枝垂れ桜は八分咲きといったところです。
本堂は平成14年に再建されたものですが、三春秋田家7代藩主の倩季(よしすえ)による扁額が掛けられていました。
本堂の左に石段があります。この上が藩主秋田家の墓所になっています。
石段を上ると正面に石碑がありました。
石碑の右側には藩主一族の墓石が並んでいます。
一族の墓所と向かい合うように、歴代藩主の位牌を納めた廟堂が建っていて、藩主の墓石はその周囲に並んでいます。秋田藩祖実季以降はこの高乾院を、実季より前の当主は龍穏院を菩提寺としています。
お堂の蟇股には秋田家の「檜扇に違い鷹の羽」紋がついていました。
廟堂の後ろからは法蔵寺の裏山の枝垂れ桜が見えました。
【春の三春 ⑥⑦:北野神社・文化伝承館】城下町のパワースポットをチャリで巡る夫婦旅 に続く・・・