【東国三社巡り ④:香取神宮】パワースポットを巡る夫婦旅 | 徒然なるままに山と歴史を・・・

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2024年1月2日 東国三社を巡ってきました。

その④ 香取神宮 です。

 

   

 

 

東国三社を巡る初詣旅の三社目は香取神宮です。今回の旅の中で唯一の千葉県の神社です。息栖神社から利根川を渡って神宮周辺に来ると、午後4時半を過ぎても大渋滞です。参道入口周辺の駐車場は500円が多かったのですが、400円のところに止められました。

 

動かない車を追い抜きながら歩いて行くと、参道の入口があります。

 

もう5時を過ぎ、日没後だというのに、まだまだ参道は大混雑です。一番手前の亀甲堂で厄落とし団子を買おうと思いましたが、行列ができていたので、帰りに寄ることにします。

 

門前町をまっすぐ抜けて行くと朱塗りの鳥居があり、そこから先は砂利道になります。

 

鳥居の先には露店が並んでいます。振り返ると沈んだ跡の太陽が、まだ西の空を染めていました。

 

蛇行しながら緩い坂道を上っていくと、香取神宮の扁額が掛かる石鳥居があります。

 

石鳥居の先の石段の上にある総門は、5年程前に塗り替えや金具の交換が行われて、まだピカピカです。

 

総門の先で手水舎に突き当ります。参道はその手前を右に続いています。左に行くと旧参道で駐車場の先に出ます。

 

手水舎の先で参道はすぐに左に曲がります。石段の上には大きな楼門(国重文)があります。元禄13(1700)年に徳川幕府によって造営されたものです。

 

楼門をくぐると、正面に拝殿(国有形)があります。大勢の参拝客がいますが、長い行列はありませんでした。

 

手前に唐破風、奥に千鳥破風がつくどっしりとした拝殿は、日米開戦の前年の昭和15年に造営されたものです。

 

拝殿と幣殿でつながる本殿(国重文)は、楼門と同じ元禄13年に幕府の手で造営されたものですが、暗くて見えませんでした。

 

拝殿周辺から漏れてくるわずかな光を頼りに、玉垣に沿って回ってみると、本殿の後ろに門がありました。そこからも参拝できるようになっているようです。

 

本殿の右側はわずかに光が当たり、金ピカの金具や蟇股の彫刻が見えます。

 

拝殿の右手前にある神楽殿(県文化)は、元禄13年に拝殿として建てられたものです。

 

楼門をくぐって戻ります。手水舎の前を総門の方へ曲がらず、そのまま旧参道へ行くと、辺りは薄暗くて人影もありません。途中で左に曲がって、真っ暗な中をスマホの明かりを頼りに行くと、数段の石段を上がった所に要石があります。

 

鹿島神宮の要石がてっぺんが窪んでいるのにいるのに対し、香取神宮は出っ張っていて、どちらも地震を起こす大ナマズを封じる為のものです。

 

要石の向かいに末社の押手神社があります。農耕の神様を祀っています。

 

要石から旧参道に戻って少し行くと、左側に四阿があり、その先に奥宮への参道が続いています。

 

まっすぐな参道の突き当りに奥宮があります。高い玉垣に囲まれ、門も閉じられているので、お社は見えません。開いていても真っ暗なので見えませんが。ここは香取神宮のご祭神の荒御魂が祀られています。

 

四阿から奥宮の横の細い急坂を下っていくと、表参道の灯りが見えてきました。

 

誰もいない旧参道と違って、表参道にはまだまだ大勢の人が行き交っていました。

 

亀甲堂では行列が途切れる様子がなく、厄落とし団子は諦めました。

 

 

次はどこへ行こうかなあ・・・