【春の南部 ㉞㉟:八幡平(ガマ沼)/貞任宗任神社】パワースポットを巡る | 徒然なるままに山と歴史を・・・

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2023年5月 岩手県北部のパワースポットを巡ってきました。

その4日目(最終日) ㉞八幡平(ガマ沼) ㉟貞任宗任神社 です。

 

 

旅程

 【4日目】

   ㉞八幡平 [八幡平市八幡平山頂]

   ㉟貞任宗任神社 [盛岡市安倍館町]   

 

   

 

八幡平山頂からガマ沼を目指して、雪原を歩くこと5分、岩手山の右手前にガマ沼が見えてきました。

 

ガマ沼は鏡沼のようにまん丸ではないので、ドラゴンアイはできませんが、氷の一部は薄くなってきているようです。

 

ガマ沼に沿って5分程行くと沼の東岸に展望台がありました。展望台より北岸のさっきの所の方が、高い所にあるせいか沼がよく見えます。

 

遊歩道を挟んで反対側に八幡沼の展望台があります。

 

八幡沼は八幡平にある沼の中で最大です。向こうのほうにもなだらかな地形が続いています。

 

ガマ沼は南岸から水が流れ出ています。その辺りから見ると、ガマ沼と八幡沼の展望台が見えます。

 

西の方は雪がなくなると、池塘や小さな沼が点在しています。

 

岩手山を見ながら行くと建物が見えてきました。見返峠のトイレです。

 

見返峠からは岩手山から続く山並みを一望できます。

 

見返峠からコースを右に取って、西の方へ歩いていきます。

 

鏡沼から下ってくる道と合流しました。この辺りからは秋田県側がよく見えます。

 

山頂レストハウスがすぐそこに見えてきました。

 

秋田県側の駐車場には車は全くありませんでした。

 

駐車場に戻る途中で雪壁を触ってみると、意外と柔らかくて、簡単に手形がつきました。

 

無料駐車場に戻ってきました。

 

眼下に夜沼、岩手山の左奥には姫神山も見えました。

 

地熱発電所の濛々と立ち昇る水蒸気が見えてきました。発電所を通過する際、風向きが悪いと視界がなくなります。

 

一昨日引き返したビジターセンターの近くまで降りてきました。これから盛岡市内に戻って、もうすぐ旅は終わりです。

 

せっかくなので名物にじゃじゃ麺を食べて帰ることにしました。櫻山神社の近くの発祥の店は案の定大行列だったので、駐車場もある別の店に入りました。

 

途中まで食べてからスープを入れてもらって、卵を溶いてスープじゃじゃ麺にして完食です。

 

レンタカーを返すまで少し時間があったので、市内にある貞任宗任神社に行ってみました。盛岡駅から北上川に沿って少し北へ行くとあります。

地名も安倍館町、安倍貞任と宗任を祀っていると思いきや、前九年の役での戦死者を敵味方なく弔うために、斉藤さんという方が個人的に建てて、後にここに遷座されたそうです。

 

二ノ鳥居の奧には正面と、その右側にも社がありました。

 

正面の赤い社が安倍館稲荷神社です。この辺りは平安時代に陸奥国で強大な力を持っていた安倍氏の拠点厨川柵があった所と言われています。前九年の役の最後の合戦が行われたところで、源頼義に滅ぼされた安倍氏の、後継者奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされた後、入部してきた工藤氏の本拠となりました。この後ろは、戦国時代に工藤氏が築いた厨川城の本丸です。

 

前九年の役の際、源氏方に内通したとして、貞任の娘が生き埋めにされ、それを憐れんだ人たちがその冥福を祈るために安倍館稲荷神社が建てられました。

 

安倍館稲荷神社の右横にある小さな祠が貞任宗任神社です。

個人的には安倍氏・奥州藤原氏や安倍氏の末裔とされる安藤(秋田)氏のファンなのですが、今回は安藤氏を津軽から追った、敵と言うべき南部氏に関わる史跡や神社仏閣ばかり回ってきて、最後に安倍氏にゆかりのある神社をお参りできてラッキーでした。

 

貞任宗任神社の更に右は崖になっています。樹木が茂っていて見えませんが、下には北上川が流れています。

 

神社の南側に行ってみると、公民館の先が階段になっていて、下は堀になっていました。

 

右上の公民館から貞任宗任神社あたりまでが厨川城の中館、左(南側)が南館でした。堀は後ろの方に続いていて、そのまま北上川に通じているようでした。

 

 

次はどこへいこうかなあ・・・