国鉄C57 (汽車ポッポ南紀号・和歌山駅)
N.Matsumotoコレクションより。
1972年に運転された「汽車ポッポ南紀号」を牽引するC57です。
和歌山駅に停車する、C577牽引の9126レ、オハ12系6連です。
隣にはDF5021の姿も見えます。
今、撮影マナーが問題になっていますが、この当時は恐らく最悪な時期だったではないでしょうか?
このような記念列車が走る時には、線路への立ち入りが横行していましたし、駅での撮影でもホームから降りて出発シーンを撮る事も当然のように行われていました。
今のような高性能化された時代では無いですし、安全に対する認識が全く違いますので比較は出来ないのですが、今のように厳しくなった原因を作ったのは当時のファンの行動だったかも知れません。
でも、客車のドアは手動で走行中でも開閉出来て、最後尾の貫通路は柵も何も無い解放状態で、万が一落ちたらそれは乗客の責任でしたから、今より自己責任は厳しかったかも。
それにしても、優等列車以外は冷房無し、ゴミは座席の下に置くというのがマナーで(窓から捨てない)、禁煙席は皆無、トイレは停車中は使用を遠慮する垂れ流し式で、線路端で撮影していると降りかかってくる事もあるような時代。
コンビニは無く、ペットボトルも無く、駅で販売しているお茶はプラ製の急須にティーバックという熱いお茶だけ。撮影時には水筒(今のような保温性は無い)にお茶を入れて、弁当持参か駅弁。お茶が足りなくなったら、駅で水道水を汲んで入れる。
今では想像できないでしょうけれど。
1972年11月23日撮影。
1972年に運転された「汽車ポッポ南紀号」を牽引するC57です。
和歌山駅に停車する、C577牽引の9126レ、オハ12系6連です。
隣にはDF5021の姿も見えます。
今、撮影マナーが問題になっていますが、この当時は恐らく最悪な時期だったではないでしょうか?
このような記念列車が走る時には、線路への立ち入りが横行していましたし、駅での撮影でもホームから降りて出発シーンを撮る事も当然のように行われていました。
今のような高性能化された時代では無いですし、安全に対する認識が全く違いますので比較は出来ないのですが、今のように厳しくなった原因を作ったのは当時のファンの行動だったかも知れません。
でも、客車のドアは手動で走行中でも開閉出来て、最後尾の貫通路は柵も何も無い解放状態で、万が一落ちたらそれは乗客の責任でしたから、今より自己責任は厳しかったかも。
それにしても、優等列車以外は冷房無し、ゴミは座席の下に置くというのがマナーで(窓から捨てない)、禁煙席は皆無、トイレは停車中は使用を遠慮する垂れ流し式で、線路端で撮影していると降りかかってくる事もあるような時代。
コンビニは無く、ペットボトルも無く、駅で販売しているお茶はプラ製の急須にティーバックという熱いお茶だけ。撮影時には水筒(今のような保温性は無い)にお茶を入れて、弁当持参か駅弁。お茶が足りなくなったら、駅で水道水を汲んで入れる。
今では想像できないでしょうけれど。
1972年11月23日撮影。








