YASUBEE's鉄道写真ギャラリー -477ページ目

東武鉄道1720系 (東武日光駅)

N.Matsumotoコレクションより。
デラックスロマンスカーとして親しまれた1720系です。

70年代の鉄道写真ギャラリー+α-東武1720系

東武日光駅に停車中の姿。
隣に写っているのはモハ5300形でしょうか。

懐かしい車両ですが、日光に行った時に往復乗った事が一度だけあります。
その頃は既に鉄道写真から少し離れていたので、余り写真を撮らなかったのが残念です。

1960年代後半の撮影と思われます。

JR西日本475系 (北陸本線丸岡~芦原温泉間)

四国・中国・近畿・中部地方が梅雨入りしましたね。
時間があっても撮りに出にくい時期になりました。

さて、少し前ですが5月に撮った北陸本線の475系です。

70年代の鉄道写真ギャラリー+α-475系

6両編成の下り普通列車。

70年代の鉄道写真ギャラリー+α-475系

3両編成の上り普通列車。

70年代の鉄道写真ギャラリー+α-475系

同じく3両編成の下り普通列車。

やや遠景からのショットです。
春の改正で金沢以南も521系の運用が始まりましたが、413系も目立つ感じです。
419系のように来春の引退という訳ではありませんが、地域色への変更も進んでいますし、残り少ない急行形と言う事で、機会を見つけて撮りに行きたいところです。

いずれも2010年5月5日撮影。

国鉄C57 (汽車ポッポ南紀号・和歌山駅)

N.Matsumotoコレクションより。
1972年に運転された「汽車ポッポ南紀号」を牽引するC57です。

70年代の鉄道写真ギャラリー+α-C577

和歌山駅に停車する、C577牽引の9126レ、オハ12系6連です。

隣にはDF5021の姿も見えます。

今、撮影マナーが問題になっていますが、この当時は恐らく最悪な時期だったではないでしょうか?
このような記念列車が走る時には、線路への立ち入りが横行していましたし、駅での撮影でもホームから降りて出発シーンを撮る事も当然のように行われていました。

今のような高性能化された時代では無いですし、安全に対する認識が全く違いますので比較は出来ないのですが、今のように厳しくなった原因を作ったのは当時のファンの行動だったかも知れません。

でも、客車のドアは手動で走行中でも開閉出来て、最後尾の貫通路は柵も何も無い解放状態で、万が一落ちたらそれは乗客の責任でしたから、今より自己責任は厳しかったかも。

それにしても、優等列車以外は冷房無し、ゴミは座席の下に置くというのがマナーで(窓から捨てない)、禁煙席は皆無、トイレは停車中は使用を遠慮する垂れ流し式で、線路端で撮影していると降りかかってくる事もあるような時代。

コンビニは無く、ペットボトルも無く、駅で販売しているお茶はプラ製の急須にティーバックという熱いお茶だけ。撮影時には水筒(今のような保温性は無い)にお茶を入れて、弁当持参か駅弁。お茶が足りなくなったら、駅で水道水を汲んで入れる。

今では想像できないでしょうけれど。

1972年11月23日撮影。

JR西日本113系 (体質改善色・草津線)

8日に撮った分から、体質改善色の113系です。

70年代の鉄道写真ギャラリー+α-113系

貴生川~三雲間を走る草津行き普通。

70年代の鉄道写真ギャラリー+α-113系

同じ場所でアングルを変えて、同じ草津行き普通。

70年代の鉄道写真ギャラリー+α-113系

油日~柘植間で、柘植行き普通を道路橋から。

湘南色に比べると人気は無いかも知れませんが、113系の活路も狭くなっている上、草津線ではありませんが地域色に塗り替えられる編成も出てきていますから、この塗装も記録しておいた方が良いかも知れないです。

いずれも2010年6月8日撮影。

仙台市電モハ400形

N.Matsumotoコレクションより。
仙台市電で活躍したモハ400形です。

70年代の鉄道写真ギャラリー+α-仙台市電400形

モハ400形415号車。

この車両は現在、仙台市電保存館で保存されています。

1960年代後半の撮影と思われます。