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〈危機の時代を生きる〉 インタビュー 立命館大学 小川さやか教授2022年7月16日
- 多様な人との関係性が
- 人生を強く豊かにする
立命館大学の小川さやか教授は、文化人類学者として長年、東アフリカ・タンザニアの商人を調査している。不安定で不確実な日常を、たくましく切り抜ける人々。その暮らしについて聞くと、コロナ禍を生きるヒントがあった。(聞き手=萩本秀樹)
タンザニアの商人
――小川教授は2001年から、タンザニアに通って商人たちの参与観察をしてこられました。タンザニアの人々は、コロナ禍にどのように向き合っているのでしょうか。
コロナ禍で起こった変化の一つが、ある種の働き方の改革だと思います。日本でも、宿泊客が激減したホテルの客室をテレワークのために貸し出すなど、これまではなかった異業種間の連携が増えました。ビジネスを柔軟に転換するよう迫られた結果、新しいネットワークへと視野を広げた。それが、事業が生き延びるために大切だという理解が広まったと思います。
一方で、こうした多様なネットワークを、もともと持っているのがタンザニアの人たちです。私は、タンザニア北西部の都市ムワンザで、マチンガ(※)と呼ばれる「零細商人」を調査対象にしてきました。ビニールシートで野菜や果物を売る人、簡素な露店で日用雑貨を販売する人、車の部品やおもちゃを携えて路地を練り歩く人など、零細な商業活動を展開する人たちです。
彼らは、基本的に「その日暮らし」です。商品がたくさん売れる日もあれば、全然売れない日もある。それでも複数のビジネスを展開し、新しい仕事もすぐに始めるので、「一つ失敗しても、他の何かで食いつなぐ」「まずは試しにやってみて、ダメなら止める」といった生計多様化戦略で、毎日を切り抜けています。
私たちはコロナ禍で、仕事を維持したり、働き方を変えたりすることに頭を悩ませてきたわけですが、タンザニアの人々にとってはそれが日常なのですね。だからコロナ禍のような危機にも、これまでと変わらず対応できています。
(※)英語の「marching(行進する)」と「guy(男性)」を合わせた造語。もともとは「男性の行商人」を指していたが、現在は、零細商人の総称として使われる。
草の根のビジネス
――毎日が“綱渡り”である彼らにとっては、コロナ禍でも、生き方が変わらないのですね。
そうなんです。私の友人はコロナ禍で、警備会社をつくると言いだしました。不安な社会で泥棒も増えるから、警備会社はもうかるだろう、と。それでも急に正規の会社をつくるのは難しいので、まずはインフォーマルにやるわけです。どこかの警備会社の制服を写真で撮って、同じ色のシャツを買い、ワッペンを付ければ完成です(笑い)。
それを、仕立屋の友人に頼んで10着ほど用意して、コロナ禍で職にあぶれた若者たちに着させ、お店や家の留守を預かる警備員として派遣する。そしてお金をもらうという商売を、2週間ほどで始めていました。
いくら社会が物騒になっても、正規の警備会社と契約を結ぶ資金は、ほとんどの住民にありません。でも考えてみれば、泥棒には、警備員が本物か偽物かの区別はつきにくいですよね。店や家を守るためであれば、インフォーマルな警備で事足りるわけです。
そうしてあっという間に草の根のビジネスを始めてしまうのが、面白いし、たくましいなと思います。
思い返せば、私がムワンザで調査していた時に、コレラが流行しました。タンザニア政府の指示で、路上の総菜売りや料理屋はお店を閉鎖しなければなりません。そこで彼らが何をしたかというと、それまでの“ツケ”を回収するんです。
零細商人たちは普段から、困っている人がいればお金を貸したり、食べ物を振る舞ったりします。それを、いざ自分が非常事態に陥ったときに思い出すんですね。そして、“私は今、ピンチなんだ”“助けてくれ”と言って、ツケの回収に動いて回る。そうして手に入れたお金で、髪結いやサンダル売りなど別の小商いを立ち上げ、コレラが収束してお店を再開するまでの間を食いつないでいました。
タンザニアの庶民の暮らしに息づく市場(アフロ)
貯金は友人の所に
――小川教授が発信してこられたマチンガの暮らしは、文化や風土がかけ離れた日本でも、大きな注目を浴びています。先行きが不透明な時代だからこそ、彼らの生き方に学ぶ人が多いのだと思います。
マチンガに、「あなたの貯金はどこにあるの」と聞くと、銀行ではなく「友人のところにある」と皆が言います。友人を助けたり、お金を貸したりしたことが、いつか自分を助けてくれる“人生の保険”だと捉えているんです。
一方で彼らは、貸したお金は“返ってこないこともある”と分かっています。相手の商売が、うまくいくかどうかは不確実ですから。お金を貸すときは、ほとんど“あげる”感覚に近いので、いつ誰に、いくら貸したかは覚えていない。
でもある日、道でばったり会うわけです。そこで、「実は今、私のほうが困っていて……」と切り出すと、今度は自分が助けてもらえたりする。
もちろん、偶然の出会いがなかったり、相手がまだ困窮していたりすることもありますが、そうした関係性を異なるたくさんのタイプの人と結んでいれば、どこかで誰かが花開いている可能性は高いんですね。
――貸しのある仲間を増やしていくことが、人生の保険を増やしていく、と。
そうですね。そしてお金を貸すということは、彼らにとって「時間を与える」ことなのだとも思います。商売でもうけて、人生を挽回させるまでの時間とチャンスを与えているということです。ツケを取り立てに行く側も同様で、今度は自分がピンチだからこそ、そうした時間やチャンスを返してほしいわけですね。
「その日暮らし」の不安定な生活なのに、すぐに他者に分け与えてしまうマチンガの生き方は、人生を生き延びるチャンスを、互いに送り合っている生き方なのだと思います。こうした“チャンスの恩”“チャンスの負債”を互いに抱えているからこそ、自分が追い詰められたときも、生き延びる道が必ずあると皆が確信しています。
立命館大学・衣笠キャンパス(京都市北区)
「ついで」の論理
――そうしたマチンガの暮らしは、「共助」の役割を果たしている側面があるように感じます。
タンザニアには、住民票もなければ戸籍もありません。政府が社会保障を提供しようとしても、現実に、全ての個人に平等に行き渡らせるのは難しい。すると、公的な支援ではない草の根の助け合いが、生き抜くためにはどうしても不可欠となります。
タンザニアのように、社会保障が十分に整っていない国では、社会ネットワークに依存した「共助」が、庶民の知恵から育まれていくのではないでしょうか。
大事なのは「無理なく」助け合っていることです。
何かを贈られたり、助けてもらったりした場合、それによって負い目を感じるのが一般的ですよね。ただタンザニアでは、負債を抱えてはそれを返すといった、キャッチボール型のコミュニケーションは成り立たない。それでも負い目を感じないために、マチンガが生み出したシステムが「無理なく」「気軽な」助け合いなのだと思います。
例えば、道で偶然、困っている人に出会えば助けるが、出会わなければそれっきり。食事の時間に居合わせれば、おごることもあるが、わざわざ気に掛けて誘うようなことはしない。あるいは、案内してほしいという場所が目的地への通り道であれば、連れて行く。
このように、何かのついでにできることなら、気軽に引き受ける一方で、無理だと思う相談は軽やかに受け流してしまう。その際に大事なのは、多様な人に賭けるということ。
そんな「ついで」の論理によって、助けられる側には過度な負い目が発生せず、助ける側も、即時的な返礼を気にしないでいられます。マチンガの、賢い知恵ですね。
ついでの親切を提供し続けることで、誰とでも気軽につながり合っていける。だからこそピンチを切り抜けられる。そんな彼らの暮らしには、貧しくとも「ゆとり」を感じます。
社会に対する信頼
――誰かが必ず助けてくれるという人への信頼が、そうしたゆとりの源ではないでしょうか。誰も置き去りにすることなく、苦しむ人に手を差し伸べる実践を、創価学会も大切にしています。
その点、タンザニアの人々は、特定の個人を信頼しているというよりも、集合体としての社会に信頼を置いています。「私があなたを助けたら、誰かが私を助けてくれる」というように。特定の一人を“絶対に助けてくれる存在”として頼ったら、リスクが高いですよね。そうではなく、もっといろいろな人に身を委ねていく「人間多様化戦略」を、彼らは採用しているんです。
面白いのはマチンガが、相手に対する貸し借りを少し残そうとすることです。貸したお金の全てを取り立てようとはしない。あえて全てを清算しないことで、これまでのような多様な関係性が継続されていくからです。貸し借りの清算のために人間関係を利用するのではなく、豊かな人間関係を築くこと自体を、第一の目的にしているんですね。
タンザニアでは、こうした贈与関係が草の根で展開されていて、「他者を助けることができる人は必ずいる」ことを、皆がよく分かっています。
でも日本では、“助ける側”になることが難しい側面がありますよね。困った人に手を差し伸べることは“お節介ではないか”“同情だと思われないか”と考えてしまいがちです。
だからこそ、そうした助け合いを仲介する場があると良い。その一つが宗教であると私は思います。知人や隣人に「助けて」と言えなくても、信仰でつながったコミュニティーだからこそ、駆け込めるときがあるのではないでしょうか。
小川教授の著書
「柔らかなつながり」を結び
気負わず誰とでも助け合う
――つながりを断たず、いろいろな人とつながり続けることで、社会への信頼を築き、安心を心に育んでいけるのですね。タンザニアの人々の生き方に、私たちが学ぶべきことは何でしょうか。
苦手だなと思う人も含めて、普通の暮らしでは、あまり関わらないような人とも、ほんの少しの“貸し借り”の関係性を、築いていけたらいいのかなと思います。
近年、お歳暮やお中元、年賀状といった儀礼的なかたちでの交流は減っていますよね。一方で、自分や親しい人への贈与は増えているといわれます。人間関係が、狭く、強固になっている時代であると思います。
もちろん日常的には、気心知れた親しい人たちを、大事に思うのは当然です。でもコロナ禍で、異業種間の連携によって危機を切り抜けた人が多くいるように、突発的な事態において助けになるのは、普段は身近にいない人たちであったりします。自分とは縁遠い人であればあるほど、斬新なアイデアが得られたり、想定外の支援が得られたりするからです。
その意味で、そうした「弱い紐帯」「柔らかなつながり」を、あまり重くない、気軽なかたちで、普段から保ち続けていくことが大切ではないでしょうか。
私たちの社会では、業績や能力が、均一的な物差しで測られ、同じ1時間の労働には同じ給料が支払われたりします。でもこれは、時に私たちの時間感覚とは異なります。体調が悪くて仕事が全然はかどらない時もあれば、逆に絶好調で、いつもの3倍くらいの勢いで仕事を片付けられる時もあるからです。
人にはそれぞれ、谷間もあれば晴れの日もある。そういう変動を織り込んで、タンザニアの人たちは暮らしています。同じ商品であっても、谷間にいる人には安く売ったり、うまくいっている人には高く売ったりするように。
もちろんこれは、インフォーマルな商売だからこそ可能なのですが、他者の必要性やリスクを敏感に察知する生き方には、学ぶ点もあると思います。
タンザニアの商人は、多くの人々と緩やかにつながり、他者の多様性が生み出す「偶発的な応答」に、自分の可能性を賭けることで生きています。これは、コロナ禍のように、流動的で不確実な時代における合理的な戦略だともいえます。
多様な人間関係の中で、リスクすらも背負い合いながら、他者の存在に身を委ねてみる。おおらかで、大胆なそんな生き方に、豊かさも楽しみもあることを、タンザニアの人々は教えてくれます。
おがわ・さやか 1978年、愛知県生まれ。専門は文化人類学、アフリカ研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程単位取得退学。博士(地域研究)。日本学術振興会特別研究員、国立民族学博物館研究戦略センター機関研究員、同センター助教、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授を経て、現在、同研究科教授。『都市を生きぬくための狡知』で2011年サントリー学芸賞(社会・風俗部門)、『チョンキンマンションのボスは知っている』で第8回河合隼雄学芸賞、第51回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。その他の著書に『「その日暮らし」の人類学』がある。
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