「おそれ」には二種類あります。
1つは「恐れ」で、ジェットコースターやバンジージャンプを怖がること。
怖い人、おやじ、教師、ヤクザなどを怖がること。歯医者、試験、人に話しかけることを恐れること。
自分の将来を悲観すること。
などなど
2つ目は「畏れ」でこれは神を畏れることです。
これは畏れ敬うことであり、あまりに尊いものを尊重する心のことです。
それではただ単に、平伏したらいいのか? いやそれではいけないのです。お坊さんが仏像を大事にしたり、単に聖書やコーランを大事にすることが、それではないのです。
「神を畏れる」とは、“神が人間に求めないことをしないこと”であり、“神が人間に求めないことを、もししたら自分に罰が下ることを恐れる”ことです。
神が人に求めないこととは、暴虐、肉体的にも精神的にも他人を害すること、性的放縦、無慈悲、不摂生、などのことです。
神、これに関してはもし全宇宙を司る外にいる神を認識できたらそれに越したことはないのだが、
できなければ自分の内にある神を見出すようにし、神の法=カルマが世界に働いていることを心の目で見、(それは事故や病気など人間世界の悲劇がどこから来ているか考察すること)、
反対に人間の心や愛はどこから来ているのか考察し神の存在を認識することです。
そのような神を尊敬し、畏敬し、愛すること。これが神を「畏れる」ことに他なりません。
「恐れ」の中には人を恐れるケースもあると上に書きましたが、しかし、本当は人は人を恐れてはいけないのです。
権威にある人々、警官や税関の人、裁判官、医師、彼らとて人だからです。赤ん坊であり、死者となる人です。
彼らに用心する必要はありますが、しかし恐れてはいけないのです。そもそも彼らを恐れる状況に置いたのは神なのだから。
「恐れ」は捨てねばならないものであり、「畏れ」は持たなければならないものなのです。
愛の預言、宇宙の法則(人生・転生・愛・カルマなどの解明)・左メニュー預言集1~6参照
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