言の葉61 尊敬は強要することができない | 預言者のコラム2

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俗言ではなく、預言者の視点から哲学、
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小学校や中学校ではこのように言う教諭どもがいました。
「先生に対しては、おっしゃった、いらっしゃったと言いなさい」と。
 

彼らは尊敬を押し売りしているのです。

 

彼らは生徒らに敬語を教えているのではないのです。
敬語を教えるなら後から入って来た年長の「後輩」にも敬語を使うように教えるべきだ。
しかし彼らはそれができない。

その証拠に学校や会社で後から入って来たものは年長者でも見下される風習が日本にはあるからです。
 

そして彼らは尊敬を強要するのです。「先生」と呼ばれることを喜び、そのように強要するのです。
まるでイエスキリストの時代のイエスに非難されたファリサイのようだ。 

 

尊敬とは他人に強要することは出来ないもの。それは「勝ち取る」ものなのです。
我々は誰かに対し尊敬するとき、それは自然に心の中に湧き上がるものなのです。反対に「俺のことを尊敬しろ」などと言われても尊敬できるわけがないのです。

 

教諭も医師も、政治家も、誰も彼も、先生と呼ばれる職種、権威にある人々は誰も彼も自らそれを勝ち取らねばならないわけです。
 

どのようにしてか? それはエゴや虚栄心、自己顕示欲、功名心、自己優位性を捨て、
謙虚で誠実で慈愛のある存在になることによって。
 

 

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