人に本を読むことを勧めると大概、こういう答えが返って来ます。「時間がない」。
しかし彼らは実際に時間がないのではなく、読みたいくないというのが実情なのです。つまり、彼らは車を磨く時間はあるし、他の趣味に没頭する時間はあるのだが、本を読みたくないというわけです。
そしてこう言う人間もいます。寺山なにがしのセリフを借りて「書を捨て町に出よ」と。
しかし、こう言う人は間違っているのです。何が間違っているのか? 内にこもって本を読むことが立派なのか?
そうではありません。私が再三言っているようにバランスが肝心なのです。
つまり、時間がないと言っている人々は内省する時間を持たないということであり、本ばかり読んでいる人は外で人に触れあうということをないがしろにしているのです。
だから、どちらも尊重してバランスを取るのが良いのです。
では読書の何が益になるのか。
こう言う人がいます。「本からは何も学べないよ。経験から学ぶんだ」と。
つまり本を読まない人というのは、本を読む人がそこから人生を学ぼうとしていると勘違いしているのです。
本は娯楽であり、精神的な作業なのです。
活字から人生を学ぼうというわけではないのです。
ただ、活字を読まない人よりは賢くなるとは思います。
それを証明する方法があります。それは、山ほど本を読むことです。
そうすれば読んでいない人に比べると自分がバカではないということが実感できるようになるからです。
もちろん、何かを学んだから、本の著者が教えてくれたから、というのとはちょっと違いますが。それでも読まない人よりは賢くなるでしょう。
ただ、私の見解では「小説」以外は本ではありません。
小説以外のものを山ほど読んでも私の見解ではそれは読書ではないのです。
創作以外は、「情報」だからです。新聞や雑誌と同じなのです。
新聞や雑誌は読書ではありません。有益な情報であるかもしれませんが、読書とは違うように私は感じます。
では聖書はどうか。聖書が別格ですが、やはり本という形式ではあるけれど、読書とは違うと思うのです。聖書はいわば天界でアカシックレコードを読むのに似ているかもしれません。
では小説を読む利点は? それは一種の瞑想とも言えるし、思考を働かせる時間とも言えるような気がします。
そして1日、30分でも1時間でも読書に裂いたら、ウォーキングでも何でも、活動をしてバランスを取るわけです。
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