言の葉47 礼儀 日本に於ける敬語の問題 | 預言者のコラム2

預言者のコラム2

俗言ではなく、預言者の視点から哲学、
人生、宇宙、宗教、
時事問題などを語って行きます。

 

礼儀とは言うまでもなく、形ばかりの儀礼であってはなりません。

上辺だけで謝っても本当の謝罪と言えるだろうか。殺人犯がもし、弁護士の入れ知恵で「ああ、分かりましたよ、謝りゃいいんでしょ、すみませんでした」と投げやりに謝るのと、心から涙を流して謝るのは違うものです。

これと同じで、礼儀には心が伴わなければならないのです。

 

芸能界の間違い
芸能界では「挨拶がでいなければいけない」という風潮がある。しかし彼らはただ単に形ばかりの挨拶をするのです。

形ばかりの挨拶をしたからと言って何の益があるのか。本来は「礼儀=心=上下の関係なく人はお互いに尊重し合わなければならない」という意味が込められているのです。

しかし皆、形ばかりの挨拶をし、強者が威張り、弱者は虐げられているではありませんか。

 

俗社会の間違い
日本の社会では敬語が発達しています。非常に煩わしいもので、誰しも日本語の窮屈さを感じたことがあるだろう。

 

特に若い頃は。若いものは年配者に敬語を使うのが煩わしいものだ。その理由の1つに彼らが必要以上に威張るというのがあります。

 

しかし年配になると若輩者に敬語使ってもらわないと、攻撃された気分になるものなのです。つまり、人間誰しも他人からバカにされたくないことに違いはなく、年長者が若輩者に敬語を使ってもらわないとバカにされた気分になるものなのです。

 

これはいつの世代でもそうだろう。20代は高校生に平易語(ため口)を使って欲しくないだろうし、高校生は中学生にお前呼ばわりされたくないだろう。つまりどんなに若くでもそれは変わらないのだ。

であるなら、自分は年長者には敬語を使うべきなのではないでしょうか。

 

しかし俗社会では違ったルールを持つ場合があります。芸能界でもそうだが、その集団に最初に入っているものを「先輩」と呼び後から入って来たものは年長者でも「後輩」となるのです。

そして先輩が威張るという図式になるわけです。

 

しかしいかなる集団であっても、先に入った後から入ったに関わらず、たとえそれが社長でも医師でも何でも、年長者には敬語を使うべきなのです。

 

要するに人からされて嫌なことは人にしないということで、(もっと言えば、言葉の形態が問題なのではなく、心が問題ということ)年長者であろうと、若年者であろうと、お互いに心の上で全ての人が尊重し合う世の中が望ましいということなのです。

 

 

過去記事

 

愛の預言・宇宙の法則

(人生とは何か、人はなぜ生きているのかが分かる)

 

姓名判断(あなたの惑星転生、運勢、カルマなどを導き出します)

カウンセリング 

タロット占い