ウッディ・アレンのデビュー作「何かいいことないか子猫ちゃん」という映画で
彼は「他人の目を気にしないようにするためには、他人をジャガイモだと思えばいい」と言います。
しかし、そううまく行くものだろうか
人から「他人の目は気にするな」と言われても気になるものは気になるものです。
そこで彼らをカボチャではなく、小さい子供だと考えたらどうだろう。
相手に恐れを抱くのは相手を良く知らないことにある。
知らないことが何事も恐怖につながるのだ。
しかし誰にでも幼少期はあり、父親も母親もいる。
赤ん坊だったその人は笑いもしたろう。おしめも変えてもらったのです。
人間は誰でもそのように成長する。地球とはそのような場です。誰も気取ってはいられない。誰しも間抜けなのです。
あなたが気にする、「他人の目」も実に”間抜け”なのだ。
しかしキリストが「この子供のようにならなければ、あなたは神の王国に入ることは出来ない」と語ったように、純粋な子供の心を持つことはむしろ偉大なことなのです。
もしあなたが清廉潔白なのにあなたを傷つける者、攻撃する他人がいたら、それは子供心を失っている人であり、神の王国に入れないのだから、当然、一からやり直しということになります。
つまり、そのような人はまた赤ん坊になるというわけだ。
他人を理不尽に攻撃する人間は赤ん坊なのです。
そしてあなた自身も他人の粗さがしをする人間にならないことです。
三歳の子供だったら、失望している人をどう扱うだろう。厳しく非難するだろうか?
あなた自身子供の純真さを持ち、それを持たない人間はまたやり直しの転生をして結局子供になるのだ。
そのように考えるのです。
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