こんにちは。

今回は「自由があるうちに主に立ち返る」と題して書き進めたいと思います。

ワクチン未接種で人として正常な判断力を持ち合わせている方なら理解されていると思いますが、この世は聖書に書かれた艱難期と呼ばれる困難な時代に突入しており、世界の人口が急激に減少し、日々刻々と世の中と人の心の荒廃が進んでいることは誰の目にも明らかです。「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。」(創世記 八章二十一節参照)と書かれている通り、すべての人間は生まれながらにして悪に染まり易い存在であり、物事を性善説で考えてはいけません。聖書を読まない世に属する人々は、世の中を悪くしている支配層の中枢に誰がいるのかを追求したり、国民の悲痛な訴えに耳を貸す気配すらない政治家たちにインターネット上で罵声を浴びせて憂さ晴らしをしたり、米国のドナルド・トランプ氏や露西亜のプーチン大統領が救世主となりDS(ディープ・ステート、闇の政府)を討伐してくれると期待したり、自民党の国会議員たちが大量逮捕されるなどと甘い夢を見てはしゃいでいますが、生物兵器ワクチン接種事業や、憲法改正に対する大規模な抗議活動が起こる気配は微塵もなく、このままヨハネの黙示録 十三章に書かれた「獣の刻印がなければ売買が出来ない時代」に突入するのだと思われます。主イエスは約二千年前に受肉されて三十歳を過ぎてから洗礼を受けられ三年半に渡り宣教(福音伝道)活動をされました。「我が平和をもたらすために地上に来たのであろうと考えてはならない。我は平和ではなく剣をもたらすために来た。我は人をその父に対して、娘をその母に対して、義理の娘をその義理の母に対して不和をもたらすために来たからである。それゆえに、その家族はその者の敵となる。我よりも父もしくは母を愛する者は我がものに値しない。我よりも息子もしくは娘を愛する者は我がものに値しない。自分の十字架を受け入れない者や我が後に従わない者は我がものに値しない。」(マタイによる福音書十章三十四節から三十九節、結士氏訳「主イエスを模範とした終末時代の生き方」より引用)とある通り、イエスが初臨された目的は、この世に平和をためではなく、主イエスに従順に従う人間と、そうでない人間を分かつため来られた事と、神の律法を脳裏に刻み込み、自分がこれまで犯してきた罪(神の律法に違反する行為)を悔いて心の底から反省し、同じ過ちを繰り返さないように改めることが真のキリスト者には必要であると主イエスは教えられました。この世を生きる人間には二種類の人間しかおりません。万物を創造された神の御子であられる主イエスの教えに立ち返って従う人間と、世に属する人間の二種類です。読者のあなたが聖書未読であるなら、こちらの記事(洞窟のおもちゃ箱)に書かれているような悩みを抱えられているのではないかと想像いたします。すなわち(一)人間関係の悩み(二)お金や財産の悩み(三)健康(身体的・精神的)の悩み(四)夢(将来、近未来)の悩みの四種類です。日本では、かなりの割合の人々が生物兵器ワクチンを接種してしまい、認知機能障害を患った人たちばかりなため、未接種の方は伝播(シェディング)の危険を鑑み、可能な限り早期に人間関係を断ち切り、人が密集する可能性の高い都市部を離れて田舎に移住するのが賢明です。そうすれば家賃や生活費が安く済むため(二)の金銭に関する悩みも解消できると思います。(三)の心身の健康に関してもケムトレイルによる毒物の散布が重点的に行われ、5G等の電磁波が飛び交う都市部を避けることにもつながりますし、旬の農作物を安価に入手する事が可能です。そして(四)の夢に関する悩みですが、「夢や妄想が多いと口数が増す。神を畏敬せよ。」(コヘレトの言葉 五章六節(TR底本では七節、拙訳)参照)や「同じように夢想家たちは身を汚し、権威を拒み、輝かしい者たちを罵るのです。」(ユダの手紙 八節(拙訳)参照)とある通り、この世で自分の夢を叶えようとする行為は虚しいことを聖書を読み込めば理解できると思います。また、将来に対する不安は聖書の預言を理解することによって、様々な種類の恐怖を与えて支配しようとする悪魔崇拝者である支配層の邪悪極まりない計画、新世界秩序に対する恐れは霧散し、勇気が湧いてくると手前は確信しています。本記事の読者のあなたは聖書の通読がどこまで進んでいる状態でしょうか。通読とは旧約聖書の創世記から、新約聖書のヨハネの黙示録までを読み通す事です。聖書は非常に難解な書物で、一度通読しただけではその意味を正しく理解することは決して出来ません。それ故、複数回読み込むことが必要不可欠です。わかり難いと感じる点に関しては聖書研究の第一人者でいらっしゃるミカエル氏のブログ「真の聖書福音と預言」を日付の古いものから順に併読することを強くお勧めいたします。「あんた方は聖書の中に永遠の命があると考えとるさかい、あんた方は聖書を調べとる。そして、聖書は我について証言しとる。せやけど、あんた方は命を得るために我のところに来ようとせえへん。」(ヨハネによる福音書 五章三十九節〜四十節、ミカエル氏訳「RAPTとRAPT信者はキリスト者ではない」より引用)この聖句にある通り、聖書は神の御身分であられながら受肉されて人として生きられた、イエス・キリストが実在されたことを証する書物です。日本国憲法は第二十条で「信教の自由」を保障しているため、読者のあなたが何を信仰するかは自由です。しかしながら、聖書には「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている。」(ヘブライ人への手紙 九章二十七節参照)、「臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、婚外性交する者、魔術を使う者、偶像を拝む者、あらゆる嘘つき、この様な者たちの運命は火と硫黄の燃える池、第二の死である。」(ヨハネの黙示録 二十一章八節参照)と書かれており、支配層の人々が与える様々な恐怖に屈する臆病者や、主イエスの教えに従わない不信仰な者や、神の律法を知らず、罪を犯し続ける人々は第二の死(魂が滅ぼされる永遠の地獄)に向かうことは避けられません。ここまでの内容については、ミカエル氏が作成された動画「【第七回】何故聖書を信じるか」(bitchute)をご視聴、ご確認いただければと思います。

 

前回記事でも書きましたが、主イエスはその公生涯において、モーセの律法を更新されて神の律法を完成され、それを自ら完璧に遵守することが可能であることを体現されました。「我等が神を愛し、その掟を守るなら、このことによって神の子供たちを愛することを知る。これは神の掟を守ることが神の慈愛であるからであり、神の掟は難儀やないで。」(ヨハネの手紙一 五章二節〜三節、ミカエル氏訳「偽使徒パウロの反キリスト教義 六」より引用)とある通り、神の律法を遵守する生き方をする事は、努力すれば誰にでも可能です。しかし、多くの人がミカエル氏が見出された「キリスト道」を歩もうとしない理由は、楽して生きたい、苦労したくない、叱られたくないという自己愛の強さが故だと手前は認識しています。現代社会は権力者の言うことに従って生きていれば、楽に生きられる仕組みが構築された世界となっております。しかし、永遠の地獄に向かうか、その対局にある永遠の命を得るかを天秤にかけたら、努力してみようという気にはなりませんか。「勤勉な手は統治し 怠惰な者は奴隷(強制労働者)となる。」(箴言 十二章二十四節(拙訳)参照)、「あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです。」(ヘブライ人への手紙 六章十二節参照)、など聖書には怠惰さを戒める聖句が数多く記述されています。

さて、霊は終わりの時には、惑わす霊どもと悪魔どもの教えに熱中し、信仰から脱落する者が居るだろうと明確に言わはります。偽りを語る偽善によるもので、自分の良心に焼き印を押されており、結婚することを禁じ、食物を控えさせます。これは、信仰者と真理を知る人たちに感謝をもって受けるようにと神が造りはったものや。神の創造物はすべてええものであり、感謝をもって受けるなら、捨てる物は何も無いさかい。神の言葉と祈りによって清められとるからや。」(テモテへの手紙一 四章一〜五節、ミカエル氏訳「聖霊を受ける条件と悪霊の働き」より引用)上記の画像と聖句が示しているとおり、現代の学校教育は改竄された歴史を教え、母国語である日本語よりも国際化に対応することが大事だと偽って英語に幼いうちから親しませ、デジタル化や情報化社会に対応することが正しいと教え込み、子ども家畜の様に飼い慣らす、悪魔的な洗脳教育となっているのが現実です。それに加え太陽暦の二千十五年に支配層の管理下にある連合国(UN、通称国連)の推進してるSDGsが教育にも取り込まれ、気候正義(英語:Climate Justice)や炭素中立(英語:carbon neutrality)などという荒唐無稽な言葉を作り出して大衆に信奉させ、いつ迄も無駄な製品を量産し続けているのが現代です。先日、日本を代表する電気電子機器製造会社の一つ東芝が上場廃止を発表しましたが(Yahooニュース)、人口が急減してるのに供給過剰状態となって需要と供給の関係がボロボロになっているいると想定され、個人的には当然の帰結だと思います。こちら(バフェット・コード)の頁で企業名を入力して、「大株主」のボタンを押したら理解出来ますが、有名企業の大株主は日本マスタートラスト信託、日本カストディ銀行、日本トラスティ・サービス信託といった信託銀行や外資系の銀行、支配層(超富裕層)に握られており、今後も企業の倒産や上場廃止は益々多くなる事が容易に想像できます。支配層の代表格で各国の中央銀行の通貨発行権を掌握しているロスチャイルド(独逸語読みでロートシルト)家は、最も強力な反キリストで悪魔崇拝者であるローマ教皇が頂点に君臨するカトリック教会と癒着しています。

ここからは、ミカエル氏の記事「動画四回目投稿 現代語訳聖書の翻訳は間違いが多い 後編」に書かれていることを引用しつつ、個人的な感想を挿入する形で書かせていただきます。

独逸のマイアー・アムシェル・ロートシルト(ロスチャイルド家が五つに分家する前の祖)は、ヴァイスハウプトに接触して更に他に貴族や資産家等を集めて会議をし、千七百七十三年に偽ユダヤ人による二十五箇条の世界革命行動計画を発表した。世界革命行動計画は参考までにこちら(YouTube)。いかに今の世界がそれに則って支配されてるか分かるであろう。彼らは血統的にはユダヤ人ではなく、タルムードを信奉する白人のユダヤ人ではないのにユダヤ人と名乗る宗教信者に過ぎひん偽ユダヤ人であり、彼らの血族や仲間以外をゴイムと呼んで蔑んで家畜扱いするカルト宗教集団の悪魔崇拝者や。彼らは恐怖で大衆を支配する。今のコロナ茶番も感染症という名目で、大衆に恐怖を与え、それに乗じて意味の無い対策を強行させ、悪法を作って罰則を付けたり警察や軍隊を使て無理にでも従わせ、ワクチンを作って大衆に打たせ殺したり、支配しようとしてるのが分からんのやったら、脳内お花畑の愚か者や。

俗に言う「死の商人」と呼ばれる、軍事産業に関わる支配層の人々は、麻薬や生物兵器ワクチンを製造する製薬業、電磁兵器となるレーザー発信機等の工業にも扱う範囲を広げています。また、こちら(メモ・独り言のブログ)の記事に書かれているように最新型の自動車には運転者を監視し、性行為や私事(プライバシー)に関する情報を盗み出す機能まで搭載されている様です。支配層である偽ユダヤ人たちには、性的不品行を好み、神の知恵ではなく人間が創り出した知恵に頼り、自ら滅びに向かっています。

オカルトとは神秘的なこと、超自然的なことを意味する英語やが、オカルトと聞いて多くの人々は非科学的だのと莫迦にするであろうが、そないな者こそ思慮が足りひん。この世は宗教で動いてる。世界各国が悪事を働くのもすべて宗教が動機である。(中略)オカルトというとアホな大衆はそんなものがある訳ない等と言うて貶す。世には胡散臭いオカルトをわざとネタにして嘘の話をしたり金銭を儲けようとする輩も大勢居るさかい、奴らは拙者が語る真相論から人々から遠ざける役目を担い、悪魔崇拝者である支配層を間接的に補助する役割を果たしてる。しかし、世の支配層や秘密結社の者たちは大真面目にそういうのに傾倒し、悪魔崇拝の儀式を隠れて行い、公に言えぬおぞましい犯罪を犯し続け、悪魔を拝んで権力や富を手中にしている。(中略)科学こそ宗教になってる。科学なんていうのは不当にも知識と呼ばれてるものや。「冒瀆的な無駄話と偽って知識と呼ばれてる反対論を避けて、委ねられたものを守りなはれ。」(テモテ一 六章二十節拙訳)のとおりや。ここにある「知識」は、古代ギリシア語ではγνῶσις(実際の発音はノーシス)であり、これを一般にグノーシス(gnosis)と呼ばれてる。グノーシス主義者どもが、聖書を曲解したり、聖書からかけ離れてでっち上げた教義を偽って「知識」と呼んでたことに通じる。グノーシス主義者は女神崇拝をしていて、カトリックや正教会で見られるようにマリアを崇拝するのもそれに繋がってるし、過去に正典から外された書物の中にマリアを神聖視するような偽典も幾らかある。実際、聖書には女を神とする記述は一切無く、父なる神であって、主イエスも男性であり、女は神では有り得へん。

個人的な話で恐縮ですが、手前は信仰生活に入る少し前に「シュタイナー教育」について興味を持っていた時期がありました。子どもたちを束縛して個性のない、つまらない人間にしてしまう日本の洗脳教育と比べ、子どもたちに自由を与え伸びやかに育てるシュタイナーの哲学に基づく教育は良いものに見えました。一般には哲学が最強の学問だと言われていますが、「人間の言い伝えに過ぎない哲学、空虚な騙し事によって人のとりこにされない様に注意しなさい。それは世の教義に従っており、キリストに従うものではありません。」(コロサイの信徒への手紙 二章八節(拙訳)参照)とある通り、哲学なんてものはただの言葉遊びにすぎません。現代の大企業の多くは会社の創業者の理念や経営哲学に基づき、社員たちを奴隷として低い賃金で囲い込んで働かせています。手前は会社勤めをしていた頃に、経営層と役職を持たない一般職の社員間で、余りにも待遇に関する格差が大きすぎるため、労働組合に掛け合い問題解決に向けて動いた事がありました。しかし、労組に専従する人も自己愛が強く「会社の方針に逆らうことは出来ない。」の一点張りで、「まぁ、穏便に行きましょう。」などと言い、何も改善することは出来ずに終わりました。今にして思えば、あの出来事も神のお導きのひとつであったように思います。支配層の人々は金銭や地位を得るために悪魔に魂を売った心ない人間、強欲で、暴虐な人たちです。

聖書では、主なる神がノアの時代に大洪水で世界を滅ぼすことを決意しはったのは、当時「地もまた神の御前で堕落し、暴虐で満ちていたからや。」(創世記六章十一節拙訳)とあるとおり、見るも無残な状態に世界が陥ったからや。神の御前で堕落とあるとおり、現代も非常に堕落してる。主イエスの終末預言は、「ノアの時代に起こったのと同じように、人の子の時もまたそのようであろう。」(ルカ十七章二十六節拙訳)とあるとおり、ノアの時代と同程度の堕落具合で、この地に住む人間たちが神の律法を無視して不法がはびこり、暴虐に満ちてることになる。今はその兆しがあるであろう。おもに、ならず者の欧州の白人たちが造った米国を中心として世界中の人々が調子に乗って神に逆らい、嘘をついて悪行を繰り返し、コロナワクチンによって人間の遺伝子組み換えまでも手を出すようになり、創世記六章にある時代と似たような過ちを繰り返してる。英米だけでなく、世界中で多くの人々が聖書を無視し、主イエス・キリストを無視し、神の律法、掟、戒めを無視し、罪を犯し続けて何とも思わへん状態にある。

創世記九章には、正しい人であったノアが大洪水の後で農夫となり、ぶどう酒を飲んで酔い潰れて裸のまま寝ていた際、黒色人種の祖となったノアの息子ハムは、父ノアの裸を見て、二人の兄弟セムとヤフェトに告げたと書かれています。酔いから覚めたノアは「(ハムの息子)カナンは呪われよ 奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」と言いました。呪いとは、人または霊が、物理的手段によらず精神的あるいは霊的な手段で、悪意をもって他の人や社会全般に対し災厄や不幸をもたらさしめんとする行為のことです(引用元、Wikipedia「呪い」)。黒色人種の人々が奴隷扱いされ続けてきたことは歴史的事実で、野蛮な白色人種の人々は新約時代になっても聖書から目を背け黒色人種の人々を奴隷扱いし続けて来たのでしょう。また、カナン( כִּנַעַן )というヘブライ語には人名や地名の他に(取引/貿易)商人という意味もあります。主は旧約時代も新約時代も一貫し、金銭のためなら手段を選ばない拝金主義者たちを激しく嫌悪されているのだと思います。冷静になって客観的に周囲の人々の様子を見てみてください。「今だけ、金だけ、自分(身内)だけ」の悪人ばかりの世の中になっていることに気づきませんか。

知恵ある者は恐れをもって悪を避けるが、愚か者は自分の信じる道を行く。」(箴言 十四章十六節(拙訳)参照)「わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」(マタイによる福音書十二章三十節参照)繰り返しになりますが、自由に自分の生き方を選択できる時間はあと少ししか残されておらず、腐敗し切ったこの世の中に希望なんてありません。ミカエル氏が常々述べられている通り「賢者は歴史から学び、愚者は自分の経験から学ぶ。」ことと、「あったことはこれからもあり、かつて起こったことはこれからも起こる。太陽の下、新しいことは何もない。」(コヘレトの言葉 一章九節参照)にある通り歴史は繰り返すことを意識し、聖書を深く研究し続け、何事も愛をもって行い、主イエスの教えに立ち返って神の品性形成を目指し努力し続けて参りましょう。今回の記事をきっかけに、読者のあなたがミカエル氏の「キリスト道」の門を叩く後押しとなれば幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。