人はメシを食うために働くのではない。
働くことは生きること。
僕らは、自らの生を充実させるために働くんだ…って。。
確かに、単にメシを食うために生活するためだけに働くのであれば、24時間365日の大半を、、
そのために仕事に時間を労力を費やし、生きがいに感じられることでもなんでもないことを続け、、
我慢に我慢を重ね続けることほど、バカらしくてそれ以上にこの世が地獄に思えることはないだろうと思う。
5年前、僕は大学生のころ、そんな生活だけはしたくないと思い、たとえ毎日1食だけでもパン1個だけでも、、
やりたいことさえできれば、生きてさえいればそれでいいなんて思ってた。
でも今思えば、、それはちょっと違った。
やりたいことがあったのは元々だけど、どちらかといえば僕は、働くことから逃げだしたかっただけだった。
そして今は、それこそバカらしいことだったと思い、働くことがとても楽しく感じられる。
特に、接客業など人と関わり合う仕事は大好きだ。
あらゆる人との交流、挨拶から始まり、ちょっとしたやりとりや会話から、少しずつ人間関係の幅が広がり、、
自分の世界が広がり、喜びや幸福感が広がり、人生観が広がって人生そのものが充実していく。
一緒に働く人たちは、そんな喜びを分かち合う仲間たちだと思う。
ある人は、こうも言っていた、、
仲間とは、孤独や寂しさを埋め合わせ、傷を舐め合うために存在するのではない。
互いの能力を補完し、
ひとりでは実現できない夢を、みんなでかなえる。
そんな他者のことを仲間と呼ぶんだ…って。
恋愛でも同じことが言えると思った。
孤独や寂しさを埋め合わせるための薄っぺらい関係なんて、長続きもしなければ、、
今はその人がその対象だけど、代わりに埋め合わせてくれるより深く癒してくれる異性と出会えば、次はそっちにいく。
過去にそんな恋愛を繰り返していて僕に相談してきたクライアントは何人もいたけど、、
もちろん恋人とうまくいってなければ、発展する要素もなく、結局別れていった。
なぜなら相手は、恋人のことを見ているようで、見ていないから。
もっといえば、自分のこともよく見えてなくて、心を埋め合わせることで一杯一杯だから。
…お腹を死ぬほどペコペコに空かせている猛獣のように。。
それでも、、別れてしばらくして、自分の心も相手の心もどこか拘束していた自分自身から解放されたそのクライアントは、とてもイキイキとしていた。
自由になり、マイナスな後ろめたい気持ちのないゼロからのスタートを切り出したその人の目は、どことぞなくキラキラしていた。
仲間とか大切な人とは、自分の欲求を満たすための道具なんかじゃなく、もっともっとかけがえのない存在なんだと、改めて感じた。
その体験も含め著書を通してたくさんのことを感じさせ学ばせてくれたある人は、一緒に働く仲間たちを本気で大事に思い、、
そのある人の夢は、みんなとつながり、みんなと笑顔を分かち合うこと。
そのために少しでもほんの1センチでも社会を前に進め、この矛盾だらけの世界を、不合理だらけの世界を、、
少しでも明るく楽しい場所にしていくこと。。
そんな素敵な夢を、たくさんの思いを、たくさんの学びを、著書を通して伝えてくださりありがとうございます…
幾度となくゼロの状態になっても、、小さなイチを足し続けて、その大切さを伝え続けてくださった、堀江貴文さん☆