見守るだけが優しさじゃない、時には突き放す優しさもあるって。…
確かに見守られてばかりいても、重荷に感じることもある。
時には自分一人で考えて、自分の意思を確認したいこともある。
たとえば、勉強にしても仕事にしても、指導者や教育する人間は必要だけど、それに取り組む理由や目的は、自分自身が決めること。。
過去には、何故ここにいるのか、自分は何をするべきなのか、自分は何者なのか、誰かにその答えを教えてほしい時もあった。
それらしい答えを教えてくれた人もいたけど、結局は自分の目的も、生き方も、やることも、あるべき姿も、なりたい自分も決めるのはその人でも他の誰でもなく、、自分なんだってことに気づいた。。
僕はそれを考えたとき、それを決めたとき、目的を定めたときというのは決まって、誰かが突き放してくれたときだった。
親しかったはずの友人であったり、元恋人であったり、尊敬していた人であったり、大好きだった人であったり。
突き放されることは、悲しいことかもしれないけど、逆にいえば少し自由になって、自分を俯瞰して客観的に見つめ直せるチャンスでもある。
自分の目的を、存在価値を確認できるチャンスでもある。
その人たちにその意思があったかなかったかなんて別として、そのチャンスをくれたことに、自由を見出せてくれたことに、自分のほんとうの目的に気づかせてくれたことに、感謝している。
2年ほど前まで、僕はずっと見守ることばかりが優しさだと思っていた。
でも、ちょっと違った。
人は見守られる必要もあれば、時には突き放されて一人で考える時間も機会も必要になる。
人として大切なことに気づくためにも。。
だから今の僕は、道徳を知らない友人を、あえて突き放す。
平気で約束を破る友人を、あえて突き放す。
独りよがりで平気で周りの人を傷つける友人を、あえて突き放す。
ある友人へ…ごめんね、君のこと嫌いじゃないけど、嫌いになりたくないから、あえて突き放す。
だから、自分の中の迷路に迷ってる自分の希望、、見つけて。
そしてまたいつの日か、きたるべき機会のとき、、また会おうね。
少し突き放してみると、自分の可能性と共に、広がって見えてくるだろうね。
この大空の下のどこかでまた会える日を、、楽しみにしてるね^ ^