人として強いって、、何?
たとえば、いくら肉体的に強くても、力で勝つだけじゃ、権力や武力だけで人の上に立つだけじゃ、、
何かが足りない。
日常では、人と関わっていくうえで、関係を築くうえで、自分のコントロール、感情のコントロールが必要となってくることは多々ある。
僕は個人的に思うことは、いかに権力や能力の長けてる人といえど、目上の人といえど、自分の感情をコントロールできない人は、、
もっといえば、自分に負けてしまう心の弱い人は、どこか尊敬しきれない。
たとえば、大変だから忙しいから心に余裕がないからといって、部下やお客様に対する姿勢や態度や口調が乱暴な人だったり、、
自分にも非があるのにもかかわらず、恋人や家族に一方的な罵声を発したり、一方的な暴力で脅かしたりする人など。。
大前提、大多数の人はそういう人間についていこうとか、一緒にいたいとは思わないと思う。
その人が他にどんな優れた魅力を持っていたとしても、、
裸の王様同然にしかならない。。
ほとんどの人は一見その存在が魅力的にみえても、、子供は一目みただけで「王様は裸だぞーっ」と非難する。
子供たちが裸の王様のように思う人ほど、かっこ悪い大人はいないのかもしれない。
僕は、今もこれからも、反面教師や子供たちの見本にふさわしくない大人になるつもりはないのと、、
自分にだけは決して負けたくない、負けない。。
僕はよく、なんで介護士をやってるのか人から聞かれるけど、、
その答えは昨年まであやふやだったけど、、
ほんとうの理由は、どんなに重労働で苦しいときでも、、
利用者さんたちや仕事仲間、大前提たくさんの人たちの役に立てる人になるため。
そのために仕事を通して、心と体の強さを磨いて、自分にだけは絶対負けない人になるため。
未来ある子供たちの、、良き見本になる大人になるため。。
そしてメンタリストになったのは、そうなるためのメンタリズムという知識を武器に、あらゆる経験を糧に強く生きるため。
大切な人たちと支え合い、理解し合い、成長し合っていくため。。
ある人は言っていた、、
「仲間がいたから、俺はここまでこれたんだ」って。
確かに最初は分かり合えなくても、価値観が違っていても、、
それでも理解しようとする強い気持ちがあれば、相手はその気持ちに応えようとする。
そしてそこからまた新鮮な人間関係が、人として強くなり成長するきっかけが始まる。
メンタリズムという心理術は、とても良い意味でそのための、人として成長し合う武器なんだと思う。
きっとそうですよね、、
先駆者としてメンタリズムを初めて日本に伝えてくださった、、ロミオロドリゲスJrさん☆