テツになる勇気。 -13ページ目

テツになる勇気。

テツってのはね、乗ってりゃいいってモンじゃない。撮ってりゃイイってもんでもない。スジって一人でニヤけていたら通報寸前w。
そう、テツってのは、語ってナンボなのよ(マジかっ

こんにちは、ヤッパくんです。
今日も元気に鉄道の話をしていきます。

先日、鉄道ニュースを眺めていて、こんな記事に目が留まりました。

JR西日本が「踏切ゲート-Lite+」を開発。
小型特殊自動車にも対応する改良版で、2025年度には50か所設置予定――と。

JR西、「押して開ける踏切」の改良版を開発 2025年度には約50か所へ設置予定 - 鉄道コム

ふむふむ、と思って読み進めるうちに、なんとも言えない気持ちがこみ上げてきました。

いや、誤解のないように言いますよ。
これは素晴らしい取り組みです。
本気で拍手を送りたいくらい。

だけど同時に、こんな問いが浮かんできたんです。

「安全のために進化したこの設備、本当に“安全”を生んでいるだろうか?」


技術が進化するほど、人は考えなくなる?

かつて日本中に張り巡らされた線路の上には、「第4種踏切」というちょっとした落とし穴があります。
警報機も遮断機もなく、ただ“ここを渡っていいですよ”と線路が道を横切っている場所。

当然、事故も多い。
その対策として登場したのが「踏切ゲート」。
自分で押して開けないと渡れない仕組みにすることで、「立ち止まって安全を確認する」ことを促す構造です。

そしてこのたび登場したのが、その改良版。
特殊車両も通れるようにするって、なかなかのアップデートじゃありませんか。

でもね、ここで僕はふと思ったんです。

本来、“自分で立ち止まって安全確認をする”というのは、人間が当たり前にやるべきことじゃなかったのか?


あの頃、園児は知っていた。

思い出してください。
黄色い帽子の園児たちが、手を上げながら横断歩道に立つ姿。

「右見て、左見て、もう一度右!」

誰に教えられるまでもなく、小さな命は自分を守る術を身につけようとしていた。
なのに、私たち大人になるにつれ、それを“デバイスに任せるようになった”気がしませんか?

警報機が鳴ったら進まない。
遮断機が下りたら立ち止まる。

それってつまり、「機械が言わなきゃ止まらない」ってことですよね?


“見なくてもいい環境”が“見ない言い訳”になってないか?

ぼくらの暮らしはどんどん便利になっています。
踏切だけじゃありません。自動ブレーキの車、スマホのナビ、家電のAI…。

でも便利さに囲まれた結果、ぼくらは「判断すること」「考えること」から、少しずつ離れていってる。

特に交通安全において、それは命に直結する話です。

「だって警報鳴ってなかったから…」
「遮断機が下りてなかったし…」

それ、装置に責任を押し付けてませんか?
あなたの命を、いつから機械に預けたんですか?


踏切ゲートは、“装置”というより“問いかけ”だ。

今回の「踏切ゲート-Lite+」は、僕にとって単なる設備じゃありません。
「あなた、本当に今、渡って大丈夫?」という問いを投げかける存在なんです。

技術が進化することで、
逆に人の意識が退化してしまうことがある。
その危うさに、うっすら警鐘を鳴らしているようにも感じます。

だって本当に、何も考えずにゲートを押して渡っていいはずがない。
装置は“安全”じゃない。安全は、「その装置をどう使うか」という意識の中にあるのです。


「命を守る装置」じゃない、「命を守るきっかけ」に。

JR西の取り組みを僕は心から称賛します。
事故を減らすために、どんなに細かい場所にも手を入れていこうとする姿勢には、本当に頭が下がります。

でも、装置を増やすことで、
「安全の意識」が置き去りにされることがないように

たとえばゲートの横に、こう書いてあったらどうだろう。

「左右左、見た? 聞こえた? 生きて帰りたいなら、それが最初の一歩。」

ちょっと怖い?
でも、命の話だからこそ、これくらいのリアリティは必要かもしれません。


終わりに:便利の先にあるものを、忘れないように

鉄道の安全は、設備だけで守れるものじゃない。
それを使う人の「意識」と「判断力」によって完成するものです。

どれだけ技術が進歩しても、
どれだけ設備がスマートになっても、
人が考えることをやめたら、そこに安全はありません。

だから次に踏切を渡るときは、
こう思ってみてください。

「このゲートは、通るためにあるんじゃない。生きて帰るためにあるんだ。」

安全は、機械任せじゃない。
あなたの意識が、その第一歩です。


以上、今日も線路の端っこから人生を見つめるヤッパくんでした。

今日はいつにもまして説教くさい、胡散臭い笑
次回は「なぜローカル線の駅名はやたら情緒的なのか?」を考察します。
それでは皆さん、ご安全に!

 

「はくたか」と聞いて、ピンとくるあなた。そう、あなたはわかってる人です。
けれど最近では「はくたか=北陸新幹線」などという言葉を耳にして、思わず立ち上がってテレビを消してしまったこと、ありませんか?(僕はあります)

もう一度言わせてください。
「はくたか」と言えば、スノーラビットである。
「はくたか」と言えば、ほくほく線である。
「はくたか」と言えば、北陸本線である。

そして、これは僕の中で国家予算級に譲れない。

あの頃の出張、それはもう「祭り」だった

まだ北陸新幹線が開通していなかった頃、僕は仕事で魚津に通ってました。
普通なら「出張か…面倒だな」って思うでしょ? ところがどっこい。

ホテルは駅前。
部屋はもちろんトレインビュー指定(予約時のコメント欄に「できれば電車見える部屋で…」と全力の圧を添えて)。
目の前に広がる留置線の群れ。
夜になれば、あのギィィィィィって音を響かせながら通過していく長大貨物列車。
それをベッドの上から眺めながら缶ビールとコンビニ焼き鳥。

これ、天国です。

そして朝になると、やってくるんですよ、あの9両編成の白ウサギ(スノーラビット)が。
通常列車3両編成の横に並んだときの、あの「おまえ本当に特急か!?」ってくらいの
存在感ドーン!

もうかっこいいとかじゃない。眩しいんですよ。

トンネルを突き抜ける“狂気の160km/h”

特急「はくたか」は、ほくほく線内で160km/h運転を行っていた、れっきとした"元・国内最速特急"。
しかもその舞台がまたすごい。

直江津→犀潟→十日町→六日町→越後湯沢のこの区間、
もうね、トンネルと田園と雪のコンボ。
そのなかを681系や683系が、ややくたびれた面構えで突き抜ける姿…もうね、**詩(うた)**なんですよ。

窓の外には日本海、反対側には立山連峰
贅沢の極み。だけど車内はちょっとくたびれてて、肘掛けがガタガタ言う感じも愛おしい。
最近の新幹線は、ツルツルでピカピカで、座ると「デジタルパパが乗ってそう」な感じだけど、
はくたか(旧)はアナログおじさんの夢とロマンの塊だったわけです。

今だからこそ言いたい。「新幹線じゃないんだ」

今の「はくたか」が悪いんじゃない。
でもね、名前だけ持っていかれた感じ、しません?

例えるなら、「あの頃好きだったローカルバンドが、突然アイドルの曲名にされてメジャーデビューしてた」みたいな。
「え…あの“はくたか”が…?」って二度見しちゃうやつ。

最後に

僕にとって「はくたか」は、新幹線じゃない。
トンネルをぶっちぎる681系。
雪に包まれながら魚津のホームに滑り込むその姿。
そのすべてが、僕の青春であり、出張という名の旅の相棒でした。

だから次に「はくたか」って聞いたときは、ぜひスノーラビットの顔を思い出してください。
ピカピカの新幹線じゃなくて、ちょっとくすんだボディと、愛嬌のあるフォルム。
それが「本物の、はくたか」です。

では、次回の鉄道愛もお楽しみに。
トンネルの先で、また会いましょう。

 

2025年4月1日、新京成電鉄が京成電鉄に吸収合併されました。

「ふーん、そうなんだ」と思ったあなた。
いやいや、これはただの企業統合ではなく、“魂の分岐点”の消失なんです。

だって、新京成って名前、まず名前からして3クセ。


「新」って言ったな?あれは嘘だ。

新京成、誕生は1946年。もうすぐ80歳。
もはや「新」じゃなくて「老京成」でしょ。
しかも、名前に「新」とつく鉄道って、だいたい派手に新しいことやってるけど、新京成は終始、控えめで地味。優等車両なしで運賃安い。駅間も短い。
それが良かった。地味なピンク色の車両、ふにゃっと曲がる線路、そして松戸と津田沼をひたすら結ぶ、そのブレなさ。


「京」とついても、東京には行かぬ。

新京成線、東京行きません。完全千葉ローカル。
千葉の誇る「関東のリトルインディーズ鉄道」と言ってもいい。
京がついても都心に媚びず、ひたすら松戸と津田沼。
まるで、「俺は俺の道を行くんだ」と言い続けてきた、
ちょっと尖った中堅ロックバンドのようだった。


「成」って言ったら…まさか成田空港?行かねえよ!

京成と言えば成田。でも新京成は?
空港?何それおいしいの?ってくらい行かない。
成田どころか、津田沼止まり。
「京成」と冠しておきながら、成田感ゼロの硬派さ。


そして、消えた“緩衝地帯”の悲劇

でも、新京成の真の役割は、その名前じゃなかった
彼らは、千葉の京成帝国と、埼玉・北関東の東武連邦の間に存在する、**鉄道版“中立スイス”**だった。

鉄道業界のディープな事情を知らない方に説明しよう。
東武と京成。これはもう、古代から続く一触即発の関係。
まるで「関ヶ原」が鉄道になったような、ガチンコ。

その間を取り持っていたのが、新京成。
そして、それに付随する東武バスと京成バスの“お互い様運行”。
船橋で両者が隣り合ってるのは奇跡。いや、平和の象徴だった。


船橋よ、これからどうなるのか

新京成が消えた今、船橋は無法地帯と化すのか?

東武バス vs 京成バス、駅前ロータリーでの「仁義なきバス回し」が始まるのか?
バス停一つずれただけで、「これは我がテリトリーだ!」と
運転手さんがスタンガン取り出す未来、ちょっと怖い。

ごめん、盛り上げすぎたw 実際の運転手さんはみんなやさしいから誤解しないで。


それでも、新京成は僕らの中に生きている

駅名が変わっても、車両が塗り替えられても、
あの、ぬるっとカーブして走るあの感じ、
高根公団で急にローカル臭くなるあの空気、
五香駅で「ここが五香か…(しみじみ)」ってなるあの感覚。

全部、僕らの中に残る。


ありがとう、新京成。君の“クセ”が、僕らの日常を支えてくれていた。
名前詐欺だなんて言って、ごめん。君は、まぎれもなく唯一無二だった。


さて、次回予告:「津田沼駅、京成とJRと新京成(だったもの)の三つ巴、まだ続くバトルロワイヤル」