テツになる勇気。 -14ページ目

テツになる勇気。

テツってのはね、乗ってりゃいいってモンじゃない。撮ってりゃイイってもんでもない。スジって一人でニヤけていたら通報寸前w。
そう、テツってのは、語ってナンボなのよ(マジかっ

2025年3月。春の風がそよぐ中、私の心には一つの空洞ができた。そう、E217系がひっそりと引退したのである。

「ひっそり」なんて言わないでくれ。君は湘南新宿ラインの裏で、横須賀・総武快速線をしっかり支え続けてきた。地味だけど、いぶし銀の働きっぷりだったじゃないか。

その顔、クセが強いんじゃ!

E217系といえば、まず顔面インパクト。なんだあの…こう、妙に愛着が湧く、でも初見では「うーん?」ってなる、あの前面デザイン。

ええ、ええ、わかってます。あの“なんちゃって貫通扉”。貫通できないのにあるフリするやつ。鉄道ファン界隈では「黒歴史」として扱われてきたけど、私はあえて言いたい。

 

「その偽りの扉に、男のロマンを見た!」

 

実際、何度その“開かずの扉”に未来への旅路を妄想したことか。あれが本当に開いて、次の車両に行けたら…とか、ね。いやポエムすぎるw

鉄仮面バージョン、あったなぁ

忘れちゃいけないのが、例の“鉄仮面”仕様。あれはもう、完全にロボット系アニメの敵キャラ。最初見たとき「この車両、変形するんじゃないか?」と心のどこかで思った人、正直に手を挙げてください。

でもあの仮面、なぜかE217系のアイデンティティとして刻まれてる。あれがあったからこそ、E217系が“顔で語る”存在になったのは間違いない。

ボックス席、あれは旅の味方だった

E217系のボックス席。アレがあるだけで「ただの通勤列車」から「ちょっとした旅行感」にグレードアップするから不思議だ。

特に学生時代、千葉から横須賀線で青春18きっぷ片手に旅をした思い出。あのボックスでコンビニおにぎりと麦茶を広げた瞬間、「旅行感、爆誕」である。

しかもこのボックス、全然観光列車じゃないのに、意外と快適。家族連れやカップル、時には酔っ払いのおじさんまで、さまざまな人間ドラマが展開されていた。車内はまさに「動く人間交差点」。

最後に一言、ありがとう。

E217系、君は決して派手じゃなかった。でも、その「ちょっと惜しい感じ」が、私たちにはたまらなかった。

どこか間の抜けた前面、微妙にグラつくボックス席、でも頑張ってきた年月…そのすべてが、君の魅力だ。

引退のニュースに「え、もうそんな歳だったの?」と驚いた人、多いと思う。だけど、君は立派に働ききった。お疲れ様。そしてありがとう。

 

次にE235系に乗るとき、どこか物足りなさを感じるのは、きっとE217系のせいだろう。

それだけ、君は私たちの心の中に、深く刻まれているんだ。

 

こんにちは、鉄道を愛しすぎてレールの上で寝たことがある系のヤッパくんです。(ウソ)

 

本日は、ちょっとびっくりなニュースが飛び込んできました。

インドで建設中の高速鉄道に、JR東日本が開発中の新型新幹線「E10系」が採用されるかもしれないってよ!!

え、ちょっと待って。
あのE10系? まだ生まれてもない赤ちゃん新幹線が、海を越えてインドデビュー??

◆ 日本の新幹線、実は「世界で売れない」って知ってた?

「新幹線は世界に誇る日本の技術!」なんて言ってたら、鉄道業界ではちょっと浮いてしまう今日このごろ。
なぜなら、日本の新幹線、海外ではめちゃくちゃ売れてないのです…。

理由はシンプル。
・分散動力システム(つまり、車両一両一両にモーターがある)→メンテ大変。
・車両が軽量化に命かけてる→海外では「もっと頑丈なのがいい」
・そもそも軟弱地盤向け設計→海外「うち、そこまでフワフワしてないよ?」

極めつけは、日本独特のガラパゴス仕様
使えば使うほど「あれ?これ、俺たちの鉄道網と相性悪くね?」ってなっちゃう。

◆ でも、インドは買うかも? その理由を深堀り

じゃあなんでそんな“売れない新幹線”にインドが興味持ってるのか?

インド政府の本音を想像してみた。

 

・「高温にも強いE5系が実績あるなら、その後継E10系もアツアツなインドにぴったりなのでは?」
・「なんかE10って名前がかっこいい。うちの鉄道もイケてるって思われたい」

うん、これは高速鉄道界の婚活ですね。
「結婚歴はないけど、家柄良くて育ちもよくて、実家(日本)が資金も技術も出してくれる」みたいな。

あれ、今日本ってそんなに金ある?

 

◆ アーメダバード〜ムンバイが2時間!?

ちなみに、今回の高速鉄道はアーメダバード〜ムンバイ間、約500kmを2時間でぶっ飛ばすという計画。

これは、東海道新幹線でいうと「東京〜新大阪」レベル。
でもこの区間、2017年に起工式してるのに、いまだに土地収用問題で足踏み中…。

これ、日本でいうと「リニア中央新幹線」といい勝負ですね!(笑)

◆ 鉄オタ的にはどう見る?E10系、海外デビューの行方

E10系は、まだ正式なデザインすら出ていない、未来の新幹線
そんな「まだ見ぬヒーロー」が、海を越えてインドで走るかもしれないなんて…ロマンしかない。

でも正直、インドのインフラ事情や気候、地盤の特性を考えると、
「それ、本当に大丈夫?」感は否めない。

ただし。
これが成功すれば、日本の“ガラパゴス新幹線”にも、ついに進化のチャンスが訪れるのでは…?!

◆ まとめ:E10系よ、海を渡れ。そして、生き延びろ。

というわけで今回は、**「E10系、インドデビューか?」**というニュースをお届けしました!

まだまだ未確定な話ではありますが、
一鉄道ファンとしては、「E10系、アーメダバードで乗ったぞ!」なんて日が来たら胸熱すぎる展開。

どうなる!?インド×日本の高速鉄道ドラマ。
次回、「E10系、砂嵐に挑む」ご期待ください!(多分ウソ)


ではまた、次のカーブでお会いしましょう。

ニュースでちらっと聞いたことがあるかもしれません。
信楽高原鉄道で、列車同士が正面からぶつかった事故。

もう30年以上前の話なので、記憶があいまいだったり、「なんか大変な事故だったらしい」という印象だけが残っていたりする人も多いかもしれません。

自分も最近ふとこの事故を思い出して調べてみたんですね。

すると、ただの操作ミスとか不運じゃなくて、「組織のかたち」が大きく関わっていたことがわかって、軽くショックでした。
そして、これって実は鉄道の話に限らず、いまの自分たちの働く環境や組織にも通じる話でもあるな…と、ふと思うわけです。

今回はそんな視点で、あの事故をもう一度、ゆるやかに振り返ってみようと思います。

 

組織という名の信号が青でも赤でもなかった

信号って、赤は止まれ、青は進めですよね。でも、信楽の事故では、「赤だったけど…まあ行けるっしょ!」という謎の“組織のノリ”が働いてしまった。しかも、それが1人の暴走ではなく、複数の組織が「まあ…いけるいける」と口をそろえて言ってた。これが恐ろしい。

関係していたのは、信楽高原鉄道、JR西日本、そして運輸省(今の国交省)。まるで、誰かが止めてくれると思ったジェットコースターがそのまま急降下していったような感じ。
「うちの信号機能してませんけど、JRさんのが止めてくれるっしょ」
「いやいや、こっちも調整中だったけど、まあ現場わかってるやろ」
「運輸省?視察中でした(テヘッ)」

結果、両方向から列車が突っ込む最悪の事態に。冗談では済まされませんが、まさに全員が“止める役”を放棄した組織の暴走列車です。

笑えないのは、この事故で、赤信号でも電車を出せと言った当事者自身が死んでしまった。その方の名誉を今更棄損するつもりはないけど、その人に一応最後まで赤信号での発車を抵抗した駅長が、生き残って罪に問われたわけです。いやいやなんともかんとも、本当に笑えない。

 

あなたの会社にも「すれ違えない組織」はありませんか?

事故の教訓は、鉄道の現場だけではないと思うんです。

  • 会議では誰も反対しない(でも全員内心モヤモヤしてる)

  • 「一応確認しといて」と言ったまま、誰も確認しない

  • 「これは〇〇部の責任でしょ?」と、見えないバトンパスが無限に続く

  • 「ウチが言ったら角が立つから、△△さんから言ってよ」…で、誰も言わない

まるで現代の会社あるある。
レールは引かれているのに、列車がどっちから来るか誰も見ていない。
このままだと、あなたの職場も「ぶつかるべくしてぶつかる」未来が待っているかもしれません。

 

「安全装置」は人ではなく、“構造”に仕込む時代へ

鉄道の世界では、事故の後、信号や自動列車停止装置(ATS)の見直しが進みました。でも、会社や組織って意外とそういう「仕組み」の改善が後回しにされがちなんですよね。

「うちの部長、勘が鋭いから」じゃないのよ。
「ベテラン社員が全部把握してるから」でもないのよ。

属人化は“赤信号を無視する列車”です。

むしろ、ミスが起きる前提で「構造的に止まれる」ようにしないと。
そういう意味では、事故が残したものは、「組織のリスクマネジメント」の原点とも言えると思います。

 

列車は正面からぶつかってしまった。でも私たちは…

信楽高原鉄道の事故。
何十年も前の話だけど、振り返ってみると、自分の身の回りや仕事の中にも、思い当たるところがあるなと感じます。

「声が大きい人に引っ張られて、モヤッとしつつも流されたこと」
「これ、変だよなと思いながらも、誰にも言えずにそのままにしたこと」
「前回たまたまうまくいったから、今回も大丈夫だろうと軽く見た判断」

…正直、自分にも覚えがあります。

あのとき、誰かひとりでも「やっぱり止めよう」と言えていたら――
そう思うと、責めるよりも、まず自分がどうあるかを見つめ直すきっかけになりました。

これからは、たとえ地味でも「正しいやり方」をちゃんと選ぶこと。
誰かの“声の大きさ”じゃなくて、“物事の筋”で動けるようになること。

それを、自分の中の小さなルールにしていこうと思います。