Winter Central Park & Saxophone player
2月29日!朝から東京は雪!
マイナス10℃の気温が続くNew Yorkの寒さに飽きて、
冬のセントラルパークを友人と散歩した事を思い出した
思い切って”冬の散歩!”と
はりきって出かけたのはよかったが、あまりの寒さに後悔をはじめたとき、
どこからか響き渡るサックスの音色
New Yorkっくぽ~い!と嬉しくなり、ルンルンでお散歩を再開
セントラルパークはすべてが落葉樹なので、よけいに寒々しいのですが
それでも散歩している人!ジョギングしている人!
ニューヨーカーは寒さに強い何時もエンジョイしてるを実感
East SideからWest Sideのダゴタハウスが冬は見えます!
幸せな気分でお散歩していたのですがやはり寒い!暖かいRed Wineを求めて
映画"SEX AND THE CITY"で有名にな"Central Parkのレストラン
”BOATHOUSE"に向かってダッシュ!
バーテンダーとの素敵な会話やRed Wineに酔ってほろ酔い気分
今でもほのぼのと心が暖かくなる想い出、素敵な冬のお散歩でした
私を幸せにしてくれたサックスミュージシャンは、今年もセントラルパークで
演奏しているのかな~
素敵な音楽、美味しいワインやお料理は、幸せな気分にしてくれますね
そして、もうすぐ春ですね~!私の心にも
マイナス10℃の気温が続くNew Yorkの寒さに飽きて、
冬のセントラルパークを友人と散歩した事を思い出した
思い切って”冬の散歩!”と
はりきって出かけたのはよかったが、あまりの寒さに後悔をはじめたとき、
どこからか響き渡るサックスの音色
New Yorkっくぽ~い!と嬉しくなり、ルンルンでお散歩を再開
セントラルパークはすべてが落葉樹なので、よけいに寒々しいのですが
それでも散歩している人!ジョギングしている人!
ニューヨーカーは寒さに強い何時もエンジョイしてるを実感
East SideからWest Sideのダゴタハウスが冬は見えます!
幸せな気分でお散歩していたのですがやはり寒い!暖かいRed Wineを求めて
映画"SEX AND THE CITY"で有名にな"Central Parkのレストラン
”BOATHOUSE"に向かってダッシュ!
バーテンダーとの素敵な会話やRed Wineに酔ってほろ酔い気分
今でもほのぼのと心が暖かくなる想い出、素敵な冬のお散歩でした
私を幸せにしてくれたサックスミュージシャンは、今年もセントラルパークで
演奏しているのかな~
素敵な音楽、美味しいワインやお料理は、幸せな気分にしてくれますね
そして、もうすぐ春ですね~!私の心にも
♡ Memoris ♡ 天国に召されたPinky!
天国に召されたPinky
クリスマス前にPinky Familyからカードが届きました
New York7月!Pinky宅で撮った私達の最後の写真!
Pinky&DianneライセンスのJapan sideのDesigner&DirectorとしてPinkyと出会った
最初の頃のPinkyは、英語をしゃべれない私が担当ということが不満で
契約会議ではいつも会社や商社の担当者に文句を言っていた
私は”わがままでセンスがないデザイナー!”と敵対関係2年!(笑)
当初は通訳をつけた事もあったが面倒なので、通訳なしで戦うことにした。
結果的にそれが良かった!
『Yes!』 『No!』をはっきりと伝える私!との信頼関係が生まれた
その当時、本音と建前カルチャーの日本の会社では、『Yes!』 『No!』の
はっきりしている私の性格は”わがまま”としてよく叱られていたな~(笑)
しかし、Pinkyや世界中のクリエーター達と仕事を重ねるうちに、
『な~んだ、私の性格は、日本以外では普通なんだ~』っと、
子供の頃から日本のカルチャーに違和感を感じていた私は
本来の自分を発見!日本を離れる事を決定!
英語の下手な私がNew Yorkに会社を作ったりBig Pratyしたり
色々なことに挑戦している私にPinkyはよく言っていた。
”貴女は勇気があり尊敬する!”と。
夏はよく一緒にビーチに行ったが、面白いエピソードがある!
90年代後半だったかな?危険な雰囲気の大好きな私は興味津々で
ブロンクスのオーチャードビーチに誘った。
近くにある70年代は白人のリゾート地として有名だった『City Islandに
フレッシュオイスターを食べに行こう』というエサをつけて。
オーチャードビーチは黒人ばかりで白人は3~4人でアジア人は私1人。
ビーチにはPOLICEがパトロールしていた。(現在は安全です)
黒人ばかりの中にいるのは、Pinkyにとっては苦痛でしかなかったはずなのに、
ビーチでエンジョイしている私に、彼女は我慢して2~3時間を過ごしてくれた(笑)
City Islandのレストランで私に向かって”貴女はまた、ここに来る?”
”Sure"と即答!
私はPinkyに”How about you??"
”Never come back
Paris-London-Milano-Miami-Rio de Janeiro-Madrid-Como-Loa Angeles
撮影等で彼女と一緒に旅した各地で出会った素敵な人たちとの仕事、
美味しいレストラン楽しい想い出は彼女がくれた私の財産です。
Second Lifeのきっかけを作ってくれたPinkyに感謝
Thanks! Pinky
We offer our affectionate sympathy and many beautiful memories!
クリスマス前にPinky Familyからカードが届きました
New York7月!Pinky宅で撮った私達の最後の写真!
Pinky&DianneライセンスのJapan sideのDesigner&DirectorとしてPinkyと出会った
最初の頃のPinkyは、英語をしゃべれない私が担当ということが不満で
契約会議ではいつも会社や商社の担当者に文句を言っていた
私は”わがままでセンスがないデザイナー!”と敵対関係2年!(笑)
当初は通訳をつけた事もあったが面倒なので、通訳なしで戦うことにした。
結果的にそれが良かった!
『Yes!』 『No!』をはっきりと伝える私!との信頼関係が生まれた
その当時、本音と建前カルチャーの日本の会社では、『Yes!』 『No!』の
はっきりしている私の性格は”わがまま”としてよく叱られていたな~(笑)
しかし、Pinkyや世界中のクリエーター達と仕事を重ねるうちに、
『な~んだ、私の性格は、日本以外では普通なんだ~』っと、
子供の頃から日本のカルチャーに違和感を感じていた私は
本来の自分を発見!日本を離れる事を決定!
英語の下手な私がNew Yorkに会社を作ったりBig Pratyしたり
色々なことに挑戦している私にPinkyはよく言っていた。
”貴女は勇気があり尊敬する!”と。
夏はよく一緒にビーチに行ったが、面白いエピソードがある!
90年代後半だったかな?危険な雰囲気の大好きな私は興味津々で
ブロンクスのオーチャードビーチに誘った。
近くにある70年代は白人のリゾート地として有名だった『City Islandに
フレッシュオイスターを食べに行こう』というエサをつけて。
オーチャードビーチは黒人ばかりで白人は3~4人でアジア人は私1人。
ビーチにはPOLICEがパトロールしていた。(現在は安全です)
黒人ばかりの中にいるのは、Pinkyにとっては苦痛でしかなかったはずなのに、
ビーチでエンジョイしている私に、彼女は我慢して2~3時間を過ごしてくれた(笑)
City Islandのレストランで私に向かって”貴女はまた、ここに来る?”
”Sure"と即答!
私はPinkyに”How about you??"
”Never come back
Paris-London-Milano-Miami-Rio de Janeiro-Madrid-Como-Loa Angeles
撮影等で彼女と一緒に旅した各地で出会った素敵な人たちとの仕事、
美味しいレストラン楽しい想い出は彼女がくれた私の財産です。
Second Lifeのきっかけを作ってくれたPinkyに感謝
Thanks! Pinky
We offer our affectionate sympathy and many beautiful memories!
”フレンチ・シャビーのインテリア” シャビーシック
私がParisに住んでいた時からの友人、Paris 在住20年の鈴木ひろこさんが
素敵なインテリアの本を出しました。
彼女はParisをはじめ、ヨーロッパの取材、執筆を行うジャーナリスト
Prologneから:
『人と同じではなく、自分だけのスタイルを持つのがパリ流のおしゃれこだわり。
そして、古い家具や雑貨をリスペクトし大切に使い続けていくこと。
ところどころペンキが剥げてしまったテーブルや椅子、少しだけ錆びたアイアン
アイアンのベッドやふぞろいな気泡の残ったガラスの花器
ずっとずっと昔から、どこかで誰かの暮らしを支えて来た道具達が
時代を超えて、今、目の前に並んでいる姿を見るたび、どんな人の生活に
寄り添って来たのだろう。と想像するだけでわくわくしてきます。』
現在の流行のなかで、古い物達がちゃんと”今”を生きている
彼女の”わくわく”が伝わってくる、素敵な一冊!
『フレンチシャビーのインテリア』の写真達は、私のParis Historyを懐かしく
Parisの友人、アパート、街並の映像が頭の中に鮮明に広がり、
久々にParis Styleに浸りました~☆★★★
下記の写真は、Parisで出会えたフレンチ50’Sのダイニングテーブル
New YorkからParisに引っ越したとき、さしあたって生活出来る程度の家具は
新しい物で揃えたり、友人からもらったりして生活しながら、毎週末は
バンブーやクーニャンクール”蚤の市”に通って出会いを待ちました
そして一年近く経った頃、バンブーで、いつもがらくたばかり売っている
親父の店に似合わない、素敵なテーブルが置いてあったのです
”素敵な掘り出し物!見つけた~”
早速、親父に値段を聞くと500ffr当時1ffr=¥20だから¥10000
安い!聞き間違い??その頃まだフランス語が????
英語の話せるフランス人を捜して確認、即決
その後、ParisからNew Yorkに引っ越したときは大西洋を渡り、New York から
太平洋を渡って、現在は東京のマンションの主役になっています
¥10000のテーブルをどうしても手放せなくて、ず=っと、私と一緒。
国際間の引越の度、と=っても送料が高くて、現在は高級品!
このテーブルをバンブーで買った事も忘れている、今日この頃ですが、
Parisの蚤の市で買ったテーブルや食器や小物達はNew York Styleにも
Tokyo Styleにも素敵にマッチしていて、本当に心地いいのです
唯一このテーブルや食器達が、私がParisに住んでいた事がある証し
私と出会ってからでも20年!
私の前はどんなフレンチ家族と暮らしてたのかな?
がらくたの中で見つけたテーブルは、いつも輝いて、私を見守ってくれているような
両親の介護が終わったら、また国際間の引越???
その未来も一緒です多分一生