大晦日。
午前7時前には、朝のすべてのルーティンを終え、心安らかに書斎出勤。
昨日、仕上げた年明けの岡山大学の集中講義向けのパワーポイントデーターを、フレッシュな頭で見返すのが今日のミッションだが、その前に、昨日、読了した「ただ、そこにいる人たち」のことをお勧めがてら書き留めておきたい。
書名のサブタイトルが、 小松理虔さん「表現未満、」の旅」とあるように、これは小松理虔 さんと、クリエイティブサポートレッツ との出会いによるもの。
小松さんの書かれたものは、「新復興論」にも、ずいぶんといろいろなことを考えさせてもらったが、この本も読了後、そこにいるわが家族たちに「置いておくから、ぜひ読んでください」とお勧めすることになった。
私なりに、忘備録を書き留めると、このようになる。
東日本大地震の被災者、特に福島の原発事故関係者と、いわゆる(と書くのもどうかと思うが)障碍者が、社会の中で置かれている立場が似通っているという認識をベースに、いくつかの主題が互いに関りあいながら綴られている。
まず「当事者」
ともすれば、ある事案に関して、その直接の当事者と専門の研究者の発言力が高まる風潮が、昨今の日本では強い。
「知らぬものは黙っていろ」という当事者からの強圧的な排除を生むこともあるだろうが、それ以上に課題となるのが、逆に、その事案に関わる問題のすべてを当事者や専門家が背負わせられること。
そこで出てくる提案が「共事者」。
言葉は悪いが、よくわからなくても、いい加減な立ち位置でも、その事案に関わる人「共事者」のあることは、その事案を広く社会に開くために、そして当事者の負担を軽減するためにも重要。ということに強く納得。
それから「自己決定」。
知的障害や発話などに障害がある人は、自分の意思をうまくアウトプットできない。
そうなるうと、「こうしたい!」という意思は決定していてもそれが伝達できないのか、そもそも、意思決定そのものがないのかわからない。
でも、たいていは、そうしたことをあまり考えられず、「自分で決められないから」 ということになりがち。
あるいは、そうは思っていなくても、当事者に近い親などが、代わって決定をすることもままありがち。
そうなると、どこまでが「自己」で、どこからが「自己決定」なのか。
という問いが生まれてくる。
そのことととも関わるのが「自立」。
本の中では、二人の専門家の意見が紹介されているが、これを読むだけで、私の視野はだいぶ変わったので、そのままご紹介。
小児科医 熊谷普一郎
「自立」とは、依存しなくなることだと思われがちです。
でも、そうではありません。「依存先を増やしてゆくこと」こそが自立なのです。
これは障害の有無にかかわらず、すべての人に通じる普遍的なことだと私は思っています。
精神科医 東畑開人
自立した人は、依存の価値を見失いやすい。
誰かに依存していることを忘れるほどに依存できている状態が自立であるからだ。
良き世話は感謝されない。いちいち感謝されないほどに、うまく依存をさせているのが良いケアだ。
それから、最後になったが、タイトルにも取り上げられている「表現未満」 。
このことについては、私の日ごろの関心とも絡まり合ってくるので、何か腑に落ちるというよりも、また、あれこれ考え始めることとなった。
私が思っているのは、「表現」の語を使うと、上手に絵を描いたり、楽器を演奏したり、という相応のスキルを伴った「芸術表現」の方へ引っ張られる感じがする。
それに、そういう表現は、誰かそれを向けるべき他者が想定されがち。
それゆえ、私は「表現」の語を使わず、「発表」の言葉を使うようにしている。
それは、ふと鼻歌をうたったり、あるいはボ~と空を見上げるような自身の身体だけで完結し、特殊なスキルや、誰かに伝えることを想定せぬ身振りのレベルから、もちろん道具や素材も伴いながらのまさに「芸術表現」のレベルまで広がる。
ただ、小さな身振りだからといって、時に、たまたまそれに出くわした相手に、何かを伝達したり、あるいは何かのきっかけを与えることも当然ある。
もしかしたら、そうした見知らね誰かの小さな身振りによる発表が、偶然それに出会ってしまった相手に、人生観を変えるような大きな影響を与えてしまうことだってあるかもしれない。
そうした伝達のありようを、小松さんが「誤配」の可能性として記しているが、それゆえに、特に誰かに何かを引き起こすという点では、なにげない小さな身振りも、「芸術表現」も、発表としては、やはり地続きなものだと思っている。
一方で、「表現」「未満」の語については、本の中でも触れられているが、「未満」があるなら「以上」もあるのか、となると、やはりどこかで「表現」という断絶面があるのか・・・と考えが動き始めると、やはりこの「表現未満」の語の危うさも感じる。
でも、そうやって、問いを立てさせ、思考を継続させる喚起力の強さも必要か。
と言う具合に、年末をとっても充実させてくだった一書です。
なにより、こうした一冊の本を生み出したクリエイティブサポートレッツの存在には、やはりいつかは浜松に行って体験せねばと思わせる強度?があります。
その点、こうした体験の機会を持てた小松さんが羨ましい。