夕方のオセラ読者ツアー(?)に備えて、15時過ぎには職場へ。

 

 自席から窓の外を見ると、こんな光景。

 まじめに仕事をしていないと。

 

 先日の、なんでそんな大賞の審査会のおり、柴川弘子さんが「困まり感の強さ」といった言葉を使ってらっしゃた。

 

 支援者、介助者の側が、「なんでそんなん ~う~ 」となるような困った感じの強さを語ったものだが、なんでそんなんな応募事例には、そうした例が散見される。

 それは、子どもと親の場合もあれば、「ぬか」のような福祉事業所なら、そこに通ってくる方と受け入れる側のような場合もある。

 そして、その応募事例の、いずれもが、支援する側、支援される側とも、いい顔をしている。

 

 困ったな~ 大変だな~ と口では言っていても、受け止める側は、それはそれで嬉しい気持ちが内からふっくらと膨らんでいる感じ。

 子どもさんやら、通所者さんの側も、なにか確信犯的に遊んでもらっている/依存させてもらっている感じが、双方にいい顔をさせるのだろう。

 

 そこに、いい顔を見ようとする私の幻想もあるのかもしれないけれど。

 でも、きっとそれぞれ嬉しいんだよね。

 

 そんなことを考えながら、なんとも、心がちりちり動いた午後のひと時でした。