まいど、コテヤンです。
ネタ帳代わりにこのブログを使おうと決めて一週間弱、昨日はなんと3週間ぶり?のお休みを頂いておりまして、非常にゆっくりとまんが喫茶でネットに一切触らずに過ごしておりました。
というか寝ていましたw
私、漫画で一番好きなジャンルは歴史物や歴史ファンタジー的なものなんですね。
軍靴のバルツァーも面白いですし、孔明のヨメや黒執事等々、あげればきりがありません。
もともと歴史が好きで色々勉強してるみると軍事が必要になりクラウゼヴィッツやランチェスターを読んで、政治が必要になってニュースを気にするようになって、そうしたら経済も必要になってきて三橋ブログに出会って…
と、まぁなんというかつまみ食いしまくりの遍歴なわけです。
基本的には興味の赴くまま、と言う感じでしょうか。浅く広くに多分なっておりますねorz
んで一つ気がついたのは歴史も政治も経済もぜーんぶ循環的に考えられるんじゃないか?
ということです。
まだ具体的にど~のこ~のと考えてるわけでもないんですけど、なんとなく直感的にそう感じる最近です。
例えばですが歴史の中に名君と呼ばれた人物はたくさんいるわけです。
そういう人間は自分の領地に対して、領民に対してかならず善政を施して国を豊かにした人物だと思うのですが、現在の世界や日本にそのような人物はどうも見当たらない気がします。
それもそのはずでなんかよくわからん「新自由主義」とかいう宗教を為政者が信じこんで、国を豊かにするという大目的そのものを置き去りにしてるんじゃないかと。
安倍総理なんかももう「何をしたいのか」がわからない状態で、迷走中ですし。
本人自身ももうわかってないんじゃないですかね?わかってやってるとしたら相当に悪質ですが。
とか考えてると「あ、歴史と政治と経済って循環的に考えなあかんのちゃう?」とか思ったりするわけです。
いやはや、なんだかとりとめもない話で申し訳がない。
そういえば第一次グローバリズムの時の経済学者、イギリスは覇権確立のために基本的にアダム・スミスやらリカードみたいな人が多かったようですが、ドイツですとかアメリカという当時の後進国ではフリードリッヒ・リストやアレクサンダー・ハミルトン等が保護主義を唱えていたようで。
彼らは経済にも国家の干渉が必要だと、つまりいわゆるケインズ的な感じだったようです。
また非常に国民国家というものを重視したものだったようです。
wikiによると歴史学派とも呼ばれていて、実践的な経済学がこの頃はまだ生きていたのだな、と強く実感させられます。
それに比べると現在の世界は…エリートの知的水準がここまで落ちたのかorz
となるような状況ですね。
さて本日はこれにて終了。
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