普通は王道、愚者は奇道、天才は新たな理を見つける、詐欺師は新たな理をでっち上げる | 反新自由主義・反グローバリズム コテヤン基地

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反新自由主義・反グローバリズムの立場での政経論、時事ニュースなどを解説。
ヤン・ウェンリー命は2ちゃんねるのコテハンです。

反新自由主義・反グローバリズムコミュニティ【ブルーオーシャン】の管理人もやっています。

はいコテヤンです。

BLOGOSで先日、新自由主義をご存知の方たち(新自由主義者ではないかも)と規制緩和について議論していたのですが、やはり新自由主義というイデオロギーというか学問は大変おかしいと再認識したわけです。

議論を要約するとこうです。
コテヤン:規制緩和はデフレ促進政策だ。げんに新自由主義者の大好きな市場が、政府に投資してくれと言ってるじゃないか
反論1:新自由主義的な解釈だと、個々のプレイヤーが極限まで自由であることが正しい。市場が好きなわけではなく、自由な市場が好きなのだという解釈
コテヤン:ほな逆に言うと政府に投資を求める市場は、新自由主義的には悪で退場しろという…?
反論2(他の人):規制緩和で新たな市場や価値ができ、投資がはかどるのでデフレから脱却できるんでは?
コテヤン:学問的にはそうかもしれんが、現実的には自営業やっててもそんな簡単に行かない。それに日本の雇用の6割を占める中小企業は、新たな市場とやらに投資はできない。人的資源、金どちらもないのだから。従って大企業の寡占化が進むだけ。


まぁこんな感じの議論だったのですが、新自由主義ってやつはつくづく机上の空論なのだなぁと。


さてここから本題。

1)奇道
事業を立ち上げるとか言うと必ず誰かが「こんな奇抜なアディアはどうだ!」と言います。
今までに誰も見たことのない商売、誰もやったことのない商売だから必ず儲かる!とねw
これが「奇道」で愚者の道だと思うのですね。大体失敗します。

2)王道
逆に事業を立ち上げる時に、堅実にリスクを少なく小さく立ち上げる。
もしくは確固たるデータで「これだけは儲かるんじゃないか?」と立ち上げる。
これが「王道」で普通の道だと思うわけです。当たり前に儲かることを当たり前にやるのは意外と難しいw

3)天才
んでコテヤンは天才じゃないのでわからないのだが、一部の天才と呼ばれる人たちは理外の理が見えているんじゃないかなと。
もしくは新たに生まれた理と利をいち早く察知し、使いこなす人たちなのかもしれんと思うわけです。

4)詐欺師
で、最後に詐欺師。彼らはもっともらしい論を吐いて、あたかもそこに理と利があるように見せかける人たちです。
だいたい持って彼らが吐くのは革新的で、理想的で誰もが幸せになれる!と言うわけですね。

5)批評家
彼らは傍観者であり、何故傍観者かというと当事者になって責任を果たしたくない人たちです。
彼らは誰にでも批判をし、なおかつ自分の望む方向へ持っていくために責任を回避しつつ偉そうに振る舞います。マスゴミとかですねw


さて、商売に喩えましたが経済も政治も同じ事かもしれません。
経済で言いますとミルトン・フリードマンの唱えた新自由主義は本当に上記分類で「天才」に当たるのでしょうか?
コテヤンにはそうは思えません。奇道、詐欺師の類にしか思えないのですね。

現実を見てみれば新自由主義とグローバリズムの優等生の韓国がどうなっているか。
ミルトン・フリードマンの教え子達が乗り込んで構造改革とやらをやったチリはどうか。
2008年のリーマン・ショックとは何だったのか。トリクルダウン仮説はもはや過去のものだし、仮説は仮説でしか無かったとアメリカで実証されているのでは?


民主党はどうだったのか。これは多くの例を引くまでもなく「詐欺師」なのだと多くの方が納得するので割愛。

私達日本国民は国が豊かになり、私達もそれを享受する。そんなあたり前のことしか求めておりません。
それには奇道も詐欺師も新たな理も必要ありません。ただ普通に王道を目指すべきなのだと思います。

歴史を見てもはるか昔から名君と呼ばれる人間は、国土を切り開き、道を作り、国民を豊かにすることで国力をあげてきた人ばかりかと思います。
(まぁ昔だと「戦争に強い」も名君の要件ですがw)

民主主義の日本においては私達が私達を統治しているわけです。政治というものを何か別次元のものと見るのではなく、私達一人ひとりが王道を歩まねばならないのでは?と強く思う次第です。



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