こんばんは。
私が定時制高校(夜間高校)に通っていた頃に行った修学旅行の思い出を書き綴っています。
10年以上前の思い出ですので記憶も断片的になっておりますが、なんとか思い出せる範囲で頑張っていきます。
今回は修学旅行の2日目に行った、ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館と沖縄戦のシェルター跡「ガマ」の見学についてお話します。
資料館とガマ内部は撮影が禁止されていたため、写真はありません(仮に禁止されてなくても写真を撮る気にはなれませんが…)
観光バスに乗って、沖縄のひめゆり平和祈念資料館へと到着。
駐車場から資料館へ続く道にお土産屋があり、そこでは資料館前の記念碑に供える花束が販売されていました。値段は200円。
資料館では沖縄戦に関する資料や当時の状況を記した文書、当時の物品などが展示されていました。
館内の資料を読んでいて驚いたのが、戦時中の過酷で凄惨な状況の説明文がオブラートに包むことなくありのままに書かれていたことです。
平和な現代に生まれた自分がいかに幸せであるかを実感しました。
ただ…この平和祈念資料館の展示物をすべて読み、理解しようとすると、確実に丸一日分の時間が必要となることにも気がつきました。
それぐらい多くの資料が展示されています。
修学旅行の生徒である私達に与えられた時間は1時間ほどでしたので、正直、1時間では館内のいくつかあるエリアのうち、どんなに頑張っても3エリア分ほどしか十分に見ることができません。
こればかりは仕方ないとはいえ、学校の集合時間に遅れるわけにはいかないので、後半エリアはほぼ流すように見るしかありませんでした。
残念です。
でも1時間ほどとはいえ、大変勉強になる体験でした。
平和祈念資料館をあとにした私達は、沖縄戦のシェルター跡である「ガマ」を見学することになりました。
見た目は洞窟のようでした。
現地のガイドさんが解説しながら案内してくれました(学校が用意した観光バスのガイドさんではありません)
ガマ内部は見学用に舗装されているとはいえ、薄暗くて足元がやや不安定でしたので、気をつけて歩く必要がありました。
ガイドさんの解説によると、当時のシェルター内は換気が全くされていない状態で蒸し暑く、衛生状態が極めて悪い状態だったそうです。
怪我人が次から次へと運ばれ、看護に追われる女性達もまた病気にかかったりして命を落としたりと、まさに地獄のような状況だったと話してくれました。
現代を生きる私達には想像もできない世界です。
最後は記念碑に生徒全員で手を合わせました。
今のこの当たり前の日々がどれだけ幸せなのか、それをあらためて知る良い機会だったと思いました。
なお、これは私が定時制高校を卒業してから数年後の話なのですが…
ある日、私は自宅のテレビで沖縄のガマ内部からまた新たな白骨遺体が発見されたとのニュースを目にしました。
私が当時、見学していたまさにその場所にまだ遺体が存在していたのだと考えると、なんとも痛ましい気持ちになりましたね。
何度も繰り返すようになってしまいますが、本当に今のこの平和な毎日に感謝するばかりです。
今回のブログ内容は、これで終わりとなります。
短い内容となっていますが、この資料館に関する思い出は、他の楽しく愉快な思い出とは切り離して書きたかったので、ここでいったん区切る形にしたいと思います。
いつか沖縄へプライベートで旅行に行くことがあったら、この平和祈念資料館にはまた絶対に足を運ぼうと思っております。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
次回は、ナゴパイナップルパークに行った思い出を書いていこうと思います。
では、また!