小松天満宮③ 拝殿・能舞台など | 金沢徒然日記

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日々金沢中を徘徊している暇人ぱんだが、つれづれなるままに加賀百万石の文化都市、金沢のことを書き綴ったブログ。金沢の観光スポット、神社仏閣、文化施設を深く深く掘り下げて紹介していきます。

ぱんだの石川県神社巡り(´Д` )

本日は石川県小松市の小松天満宮の紹介第二回です。
小松城の鬼門の位置に鎮座する前田利常公ゆかりの神社でございます。
本日は小松天満宮の拝殿や能舞台などについて紹介していきます。



​小松天満宮 拝殿

こちらが小松天満宮の拝殿です。

御祭神は菅原道真公・前田利常公・白太夫神・応神天皇です。


小松天満宮の本殿・石の間・幣殿及び拝殿は神門とともに重要文化財に指定されています。

加賀藩初期の建仁寺大工の代表者・山上善右衛門嘉広の作であることが確実な建物の一つです。

建築様式は本殿と幣殿・拝殿を石の間で接続した権現造りであり、北野天満宮を四分の一に縮小して建立されました。

社殿正面の向拝に吊り下げられている六角釣灯籠は文政二年(1819)の出開帳時に、金沢鍵町の寺子屋ゆかりの方から桃とともに奉納されたものだそうです。


​小松天満宮 拝殿

横から撮影。

立派な拝殿ですね(´Д` )


​小松天満宮 能舞台

あちらに見えるのが能舞台です。

関ヶ原の戦いの翌年、加賀藩二代藩主の前田利長公は小松城において、小松の諸橋太夫・波吉太夫に命じて市人を城中に入れての町入能を斉行されました。

利長公の異母弟である三代藩主・前田利常公も小松城にて町入能を斉行されています。

諸橋太夫と波吉太夫は共にその後、代々加賀藩能役者を勤めました。

明治維新後に金沢に残されていた波吉太夫家の能舞台は、小松の能楽愛好家の方々の募金により当社に移築されました。

その後、昭和十年代の梯川改修工事により西方広場に移築されましたが、平成の河川改修により明治時代に建てられていた故地に戻って本舞台のみが再建されました。


​小松天満宮 狛犬

小松天満宮の狛犬さんです。

本当は神門前にいるのですが、掲載し忘れていました(´Д` )

かわいいですね(´Д` )


​小松天満宮 拝殿と能舞台

再び拝殿に戻ります。

左が拝殿、右が能舞台です。


​小松天満宮 境内

少し高いところから境内を撮影。

背の高い木が結構ありますね(´Д` )


小松天満宮 境内​

川沿いから拝殿を撮影。

離れて見た方が拝殿の全体像がわかりやすいですね。

堂々たる社殿です(´Д` )


​小松天満宮 境内

小松大橋から撮影した小松天満宮。

梯川と西川排水、水に囲まれて鎮座していることがわかります。


以上、石川県小松市の小松天満宮について紹介しました。

重要文化財である社殿や神門、珍しい十五重石塔、特徴的な北斗型参道、可愛らしいあひる手水と見どころあふれる神社でした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


参考:小松天満宮各案内板

石川県神社庁のホームページ

石川県のホームページ