静岡県 浜松八幡宮① 浜松城鬼門鎮護の神 | 金沢徒然日記

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ぱんだの全国お宮さん巡り(´Д` )

本日ご紹介するのは、静岡県浜松市に鎮座する浜松八幡宮です。

写真が多いので、2回に分けてご紹介していきたいと思います。



​浜松八幡宮

こちらが浜松八幡宮です。

実は鳥居前に長い参道があるのですが、民家やアパートを写してしまうので撮影を断念しました。


​◯御祭神:玉依比売命・品陀和気命(応神天皇)・息長足姫命(神功皇后)・伊奘諾尊・伊奘冉尊
◯鎮座地:静岡県浜松市中区八幡町

当社の創立は、仁徳天皇の御代に遠津淡海の鎮静のため、海運の神として知られる玉依比売命をお祀りしたことであると伝えられています。

平安時代の神社を所載した延喜式には「許部神社」と記され、当初は許部の里(現在の南区小沢渡町付近)に鎮座していました。

天慶元年(938)になって神託により現在地に遷座しましたが、この時白狐が老翁の姿で松の小木を携えてこの宮地に導き、松を移し植えたため、浜松という地名になったと伝えられています。

永承六年(1051)には源義家によって八幡二神が勧請され、多くの武家庶民の崇敬を集めました。

元亀元年(1570)に徳川家康が浜松を居城にすると、八幡宮が源義家勧請の武家の守護神であり、また浜松城の鬼門の方位にあったことから、鬼門鎮守の氏神として信仰し、武運長久を祈って度々参拝したと言います。

元亀三年(1572)に三方原の戦いで敗走した徳川家康は、八幡宮に逃れて社前の楠の洞穴に潜み、武田勢の捜索から逃れました。

この後、徳川家康は八幡宮を徳川家代々の祈願所と定め、旗・弓・神馬を奉納、江戸にいた頃には名代を遣わして参拝したと伝えられています。

慶長八年(1603)には、征夷大将軍となった徳川家康から社領五十石の朱印を与えられ、江戸幕府から歴世朱印を与えられたと言います。


​浜松八幡宮 境内

広々としてますね(´Д` )

かなり大きな神社で、浜松市の市街地にありながら緑も豊かでした。


​浜松八幡宮 境内

ちょうど夏越大祓で茅の輪がありました。

無病息災を祈ってくぐりました(´Д` )


​浜松八幡宮 境内

徳川家康ゆかりの神社らしく、境内には家康を描いたらしき看板がありました。


​浜松八幡宮 狛犬

狛犬さんです。

お行儀良いですね(´Д` )


​浜松八幡宮 狛犬

もう一体の狛犬さん。

歯並び良いですね(´Д` )

狛犬さんも歯が命(´Д` )


​浜松八幡宮 拝殿

拝殿です。

堂々とした立派な社殿(´Д` )

当社創立時からの御祭神である玉依比売命は海の神様で、安産や子育ての神様としても信仰されています。

品陀和気命及び息長足姫命は、八幡三神のうちの二柱です。

八幡神は古来より、弓矢の神様・武運の神様として多くの武家から崇敬されて来ました。

伊奘諾尊・伊奘冉尊は国産み・神産みを行った神様で、結びの神として信仰されています。


以上、静岡県浜松市に鎮座する浜松八幡宮の歴史などについて紹介しました。

仁徳天皇の御代に創始されたと伝えられ、かの徳川家康も篤く信仰し、浜松城の鬼門鎮守を担った歴史ある神社でした。

次回はこの浜松八幡宮境内にある雲立の楠や境内社について紹介していきたいと思います。

またご覧いただければ幸いです。


参考:浜松八幡宮由緒書き

浜松八幡宮ホームページ