静岡県 元城町東照宮(引間城跡) | 金沢徒然日記

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日々金沢中を徘徊している暇人ぱんだが、つれづれなるままに加賀百万石の文化都市、金沢のことを書き綴ったブログ。金沢の観光スポット、神社仏閣、文化施設を深く深く掘り下げて紹介していきます。

徳川家康(´Д` )

江戸時代を築いた偉大なる武将です。

大河ドラマ「どうする家康」でさらに注目を集めているお方でもありますね。

これを機に徳川家康ゆかりの地巡りをする方も多いのではないでしょうか。

今回はそんな徳川家康と、なんと豊臣秀吉にもゆかりある城跡に行って参りました。



​元城町東照宮(引間城跡)

こちらが引間城跡。

現在は徳川家康を御祭神とする元城町東照宮という神社になっております。

この地は引間城の本丸跡でして、浜松城の道を挟んだ反対側にあります。

浜松城を訪れるのであれば、ぜひ一緒に訪れたいスポットです。


では引間城の歴史を述べます。

鎌倉時代の浜松は「ひくま(ひきま)」と呼ばれる町でした。

現在の馬込川が天竜川の本流にあたり、西岸に町屋が発達しました。

船越や早馬はこの頃の地名です。

戦国時代、この町を見下ろす丘の上に引間城が築かれました。

歴代城主には、尾張の斯波氏方の巨海氏・大河内氏、駿河の今川氏方の飯尾氏などがおり、斯波氏と今川氏の抗争の中で戦略上の拠点となっていきました。

この時代の浜松には、今川方で、少年時代の豊臣秀吉が初めて仕えた松下加兵衛(頭陀寺城城主)がいました。

松下氏に連れられて、若き日の豊臣秀吉も引間城を訪れているそうです。

後に徳川家康が引間城を居城とし、元亀三年(1572)の武田信玄との三方ヶ原の戦いでは「浜松から撤退するくらいなら武士をやめる」という強い覚悟で挑みました。

この時は引間城の北口にあたる「玄黙(元目)口」へ撤退したと言われ、この頃まで引間城が重要な拠点であったことがわかります。

その後城主となった豊臣系の堀尾吉晴以降、浜松城の増改築が進むにつれて、引間城は城の主要部から外れ、古城と呼ばれて米蔵などに使われていました。

明治十九年、旧幕臣の井上延陵が本丸跡に徳川家康を御祭神とする元城町東照宮を勧請し、その境内となりました。


​元城町東照宮(引間城跡)
徳川家康公・豊臣秀吉公の二公像

なんとなんと(´Д` )

境内には三英傑のうち、徳川家康と豊臣秀吉のブロンズ像がありました。

前述のように、ここ元城町東照宮は浜松城の前身である引間城の本丸跡であり、後に天下人となる豊臣秀吉・徳川家康の二人が相次いで訪れているのです。


天文二十年(1551)に尾張の農村を出た少年時代の豊臣秀吉は、今川家臣の居城であった引間城を訪れ、頭陀寺の松下氏に仕えるきっかけを得たとされています。

元亀元年(1570)には今川氏から独立を果たした徳川家康が遠江を平定、この城に住み、浜松という地名も定めました。


この城は期せずして二人の天下人が戦国武将としての一歩を踏み出した運命の地となったのであり、この元城町東照宮と二公像は「出世の街浜松」を代表するまさに聖地であると言える、と案内板に書かれておりました。


この元城町東照宮と二公像、今ではパワースポットとして知られています(´Д` )

なにしろ、天下人となった徳川家康と豊臣秀吉の運気は天下無敵。

二公像とともに写真を撮ると出世運がうなぎのぼりになるんだとか(´Д` )

二公像の真ん中に立って写真撮れるようになっていました。

ぱんだは撮りませんでした(´Д` )

出世すると気苦労増えるからね(´Д` )


​元城町東照宮(引間城跡) 権現道

権現道と彫られた石碑がありました。

ここで言う「権現」は東照大権現すなわち徳川家康のことでしょう。

家康が通った道かな(´Д` )?


​元城町東照宮(引間城跡) 祠の台座

社殿裏に台座がありました。

お賽銭が乗ってますね(´Д` )

実は昭和二十年の浜松大空襲で、元城町東照宮の社殿と森林は全焼してしまったのだそうです。

しかし、終戦当時の元城町民の皆様が小さな祠を設けて、その後も氏神様として奉斎を続けていたのだそうです。

これにより、昭和二十五年から始まった浜松土地区画整理事業でも東照宮の境内は換地として破壊されることは無く、現在まで引間城跡として残っているのだそうです。


元城町東照宮(引間城跡) 境内

緑豊かな境内。

戦後に街の人々が植え、育ててきた樹木なのだそうです。

マツ・クス・ユーカリ・イチョウ・シイなどがあり、保存樹林に指定されています。


​元城町東照宮(引間城跡) 境内

賑やかな市街地の中にあるとは思えないほど静寂を保っています。


​元城町東照宮(引間城跡) 手水舎

手水舎です。

なんと上の方に猫ちゃんがいました(´Д` )

かわいい(´Д` )

ぱんだ、猫ちゃんが彫られた手水舎を見たのは初めてです。


​元城町東照宮(引間城跡) 手水舎

手水舎を覗いてみました。

なんだか迫力あるお顔がありますね(´Д` )


​元城町東照宮(引間城跡) 手水舎

手水舎の屋根には、鳥さんや龍さんが彫り込まれておりました。

朱雀と青龍かな(´Д` )?

あるいは鳳凰(´Д` )?


​元城町東照宮(引間城跡) 曳馬城跡石碑

鳥居は人が多くて撮影しませんでしたが、鳥居手前に「曳馬城跡」と彫られた石碑がありました。

引間城は曳馬城とも書いたそうです。


​元城町東照宮(引間城跡) 石垣

元城町東照宮の側面に回ると、小高い丘になっていることがよく分かりました。

確かにお城置きたくなる地形(´Д` )

そして「家康の散歩道」なる案内板が出ておりました。

この近くに椿姫観音があります。

もちろんそちらも行きました(´Д` )


以上、徳川家康ゆかりの地「元城町東照宮(引間城跡)」を紹介しました。

城好きとしても神社好きとしてもたまらないスポットですね(´Д` )

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


参考:

引間城本丸跡案内板

若き日の家康・秀吉二公と引間城案内板

保存樹林案内板

終戦直後建てられた祠の台座案内板