金沢城 落雷で失われた幻の天守閣はなぜ再建されなかったのか | 金沢徒然日記

金沢徒然日記

日々金沢中を徘徊している暇人ぱんだが、つれづれなるままに加賀百万石の文化都市、金沢のことを書き綴ったブログ。金沢の観光スポット、神社仏閣、文化施設を深く深く掘り下げて紹介していきます。

金沢城は加賀百万石を治めた前田家の居城であり、金沢市の中でも主要な観光地の一つとなっている。

この金沢城、規模は東西約700メートル、南北約700メートルに及び、明治時代初期までは壮大な二の丸御殿をはじめ多くの櫓や長屋が立ち並んで、百万石の威容を誇っていた。
ところが、明治維新後に兵部省に接収された金沢城は、陸軍の司令部や兵舎に転用され、明治十四年(1881)に火災で石川門・三十間長屋などのごく一部を除いて、ほとんどの建物が焼失してしまった。
そこで、平成十一年(1999)から石川県による櫓・長屋・門の段階的な復元工事が進められており、これまでに河北門などが復元されている。
ただ、通常お城のシンボルとして扱われる天守閣は復元工事予定の中に入っていない。これは、江戸時代を通して金沢城には天守閣がなかったためである。
前述のように、加賀藩は百万石を有する大藩である。では、なぜこの大藩の城に天守閣がないのであろうか。

実は、江戸幕府が開かれる前年の慶長七年(1602)まで、金沢城には初代藩主・前田利家が建てた天守閣がそびえていた。
しかし、この天守閣は慶長七年(1602)の落雷で焼け落ちてしまい、以降再建されることはなかった。
二代藩主の前田利長は、天守閣を再建する代わりに、天守閣よりもかなり小さめの三階櫓を建てた。それ以来、この櫓が地味ではあるが、金沢城のシンボルとなったのである。
ところが、この三階櫓も宝暦九年(1759)の火災で焼失し、こちらもその後再建されることはなかった。
現在の金沢城では、早くに焼失した天守閣や三階櫓に代わり、石川櫓や菱櫓がシンボル的な存在となっている。

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石川櫓。
菱櫓と並び、天守閣のない金沢城のシンボルとなっている。白亜の美しい建物だ。

それでは、なぜ百万石の経済力をもっていたはずの加賀藩は天守閣を再建しなかったのであろうか。
この理由としては、江戸幕府の徳川将軍家からたびたび謀反を疑われた利長が、徳川将軍家を刺激しないために自重したというのが定説となっている。
城の新築や修復は、元和元年(1615)に一国一城令が出されるまでは、大名の自由裁量に任されていた。
しかし、大名の実力を誇示する狙いがあった天守閣の大きさに江戸幕府は神経を尖らせており、目立って立派な天守閣を建てれば危険視される可能性があった。実際、広島城主であった福島正則は城郭を増築して五十万石を没収されている。
加賀藩は天守閣再建を自重することで、加賀百万石を無事に守りきったのである。

ただ、金沢に実際に住んでいると、実は前田家が天守閣再建を自重したのは落雷を恐れたためではないかと思ってしまう。
もちろん、江戸幕府に危険視されるのを避けるためだったという説に筆者も異論はない。異論はないのであるが、落雷恐怖説を考えてしまうほど金沢の雷はすさまじいのだ。

すでに当ブログで何度も述べているように、筆者は静岡の人間である。
ぽかぽかした気候の静岡は冬も晴れ続きで、雪も降らない。この穏やかな気候の中で生まれ育った筆者は最初金沢の雷に度肝を抜かれた。
正直、金沢の雷は静岡県の雷とはレベルが違う。それはもう、大魔王ゾーマとスライムくらい違う。すさまじい地響きを伴う金沢の雷に、はじめ筆者はついにラグナロクが来たかと思い、絶望した。
ところが、この世界の終末レベルの雷は金沢ではよくあることなのだ。冬になると常に恐ろしい雷がくる。非常に怖いが、地元の方々は割と慣れっこである。人間の順応力は素晴らしい。

さて、金沢城の天守閣を築いた前田利家と天守閣再建を断念した利長親子は、実は加賀国ではなく尾張国の出身である。この尾張国というのは現在の愛知県、筆者の出身地・静岡県のお隣だ。
想像をたくましくすれば、東海地方からやって来た彼ら親子も金沢の気候、特に雷には仰天したのではないだろうか。
それでも、前田利家は金沢城に天守閣を築いた。ところが、この天守閣は案の定落雷にやられてしまう。高い建物がない当時のこと、天守閣は雷の格好の的だったのではないかと思う。飛んで火に入る夏の虫、建って雷に当たる天守閣だ。

案の定落雷で焼け落ちた天守閣を見て、利長は考えたのではないだろうか。
「よし、天守閣は諦めよう。徳川がうるさいし、どうせ雷で燃えちゃうし(/ _ ; )」
まあ、あくまでも筆者の妄想である。ただ、徳川に睨まれる危険を侵して再建しても、また落雷で燃えた可能性は高そうだ。前田家は色々な意味で賢明な判断をしたと言えそうである。

参考:石川県のホームページ
http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/
能登印刷出版部『伝統と革新の町・金沢を歩き解く!金沢謎解き街歩き』実業之日本社、2015