不動産屋のひとりごと -154ページ目

エコ

 「エコ」については、自分のこととして真剣に考えていかなければと思う。

 最近友人の会社 株式会社エコノスが 「エコナコト」と言うWEBサイトの事業を始めました。

エコノスは、エコロジー(環境)とエコノミー(経済)の共生をテーマにREをキーワードとした循環型ビジネスの実現を目指す会社で主体としてハードオフ、ブックオフ等のリサイクル事業を展開している。先日、彼らの事業の話を聞いて、感動し「考えているだけではだめだ。行動に移さなければ」と反省しました。

 マンションに関わる自分たちには、何ができるのだろう?まず、大きいところではエネルギーであるが、熱源としての「電気」「ガス」を主として、何が一番CО2の排出を少なくするのか?京都議定書の内容に沿っているのか?

 今ある建物を壊してスクラップアンドビルドを繰り返していて良いのか?建物を壊さずに利用するコンバージョン、リユース、リフォーム等をどのように進めていくのか?それとも、今ある建物は耐用年数が短いので未来に向かって長期間利用可能な建物の建設を進めることで環境対策を進めていくのか?すぐには答えが出ません。

 学生時代「超電導」と言う言葉がもてはやされました。20年ぐらい前には、摩擦のない電線が開発され、電気のロスがなくなるので一度流した電気がずっと流れ続ける時代が予測されていました。あれはどうなったのだろうか?昔からごみの減量化の議論はありました。産業廃棄物の問題もあまり変わっていません。

 まずは、環境についてもう一度考える事から始めます。紙コップの利用を控えたり、割り箸を使わないようにしたり、ペットボトルを減らすにはどうしたら良いか考えたり。簡易包装も含めごみを出さないようにします。無駄な電気を使わないようにします。

 「エコ」って便利ばかり求めず、不便をいとわない事でもあると思います。便利だけど環境に悪い事をやめる。便利と環境が天秤にかかったら迷わず環境を優先する。できもしない大きな目標を建てても実現できないので、まずは、できることから。そしてマンション造りの中でもじっくりと考えて実現していきたいと思います。まずは、といったからにはダラダラとせず1年後までには、きっちりと形にしていきます。


持てる能力を発揮する

 5歳の我が家の次男は、最近、「つぼ八」の看板を見るたび、「つぼい」を見つけたと教えてくれ、このお店は、色々なところにあってすごいねとチェーン店であること、どんなところにあるかの傾向まで理解しているようだ。次男は、漸く、ひらがなを覚えたばかりで、漢字はもちろんカタカナも分かりません。親バカ、屁理屈かもしれませんが、彼は、自分の持てる知識、能力を最大限生かして、日々、世の中を理解し、世の中との接点を持っている。逆に言えば、彼は、知らないがために、疑い、迷い、ためらいもなく、自信を持って自分の持てる力だけで堂々と生きているんだな~と褒めてあげることはあっても、その間違いを指摘する事もしていません。(彼を見ていると間違いであるとも思えません。)

 強引な、理屈かもしれませんが、自分たち大人を見ていても反省させられる事があります。

 「一定のレベルまで達するまでを言い訳に逃げていないか?」

 「能力、知識がないからではなく、持っている力の出し方を知らないから、自信がないから力を発揮できないのではないか?」

 まず、持っている力を最大限発揮する練習をして、その出し方を覚え、その後、知識、能力を付けていく考え方に変えたほうが結果が出るのではないか?もちろん、最低限の知識、能力は絶対に必要ではありますが。

 トリプルアクセル、4回転ジャンプできなくても、自分の持っている力を出す方法を知っている事のほうが、結果を出す事ができるのではないか?

 中途半端に変化球を投げられるより、直球だけ使いこなす方が力出す事になるのではないか?

 今後、次男は、カタカナを覚え、漢字を覚えていけば自分の間違いに気付いて恥ずかしがるであろう。でも、今ここでひらがなだけで世の中を感じ、考え使いこなす事を覚える事それが大切なのではないかと思います。親バカの青臭い教育論です。


 「できる限りでできる限りのことをやって結果を出す。」それも必要なのではないでしょうか?と考えさせられました。


 ちなみに、私の義理の父(次男のおじいちゃん)は、「ツルハ」をずっと、「ツル八」(つるはち)だと思って生きてきていました。



生活必需品と生活充実品

 「衣 食 住」 人間が生きていくための必要3要素のうちの一つに当社は関わっている。これらは必要不可欠であるがために「生活必需品」との捉え方が主流です。

 もともと、人間は生きていくために、狩猟、漁、農業をして、雨風と外敵から身を守る家を造り、寒さを防ぐ服を着てきました。

 現代は、文明が進化して、安全が確保されて少しずつ、生きるための「衣 食 住」の意味合いが薄れてきています。

 しかしながら、「衣 食」については、「生活を充実させるための」と意識が広がり、商品もあふれていますが、「住」については、まだまだ立ち遅れている気がします。

 「生活必需品」と言う考え方だと食事は3食(昔は2食でしたが)、服は最低限で良く(夏物、冬物 週7着)と言う考えになりますが、「生活充実品」と言う考え方だとおやつ、フルーツもあればお祝いのご飯、おもてなしの食事、ダイエットフード、イタリアン、フレンチ、中華、和食と無限に広がります。服も用途、出かける場所で色々なものが広がります。

 それなのに家だけはなぜ1つ、生活のためのものと言う考えが変わらないのでしょうか?

 最大の理由は、他の2つに比べて格段にお金がかかり、せいぜい自宅とリゾートマンション、別荘ぐらいです。これは、解決のしようのないことかもしれません。

 もう1つの大きな理由は、今まで家はハードの部分にばかり論点があって、「衣」「食」に比べてソフト面の生活提案、具体的に「家」を使ってこんな風に生活が充実すると言うイメージ作りがなされていなかった事が原因だと思います。こちらは変えていくことができる理由です。

 「家は、自分の人生、時間を充実させ、楽しむために活用するもの」と言う視点で捉えれば、かなり可能性が広がり、面白いものになると思います。

 もちろん、単に寝るためのものであってもいい、人と集まる場所、絵を書く場所、音楽を聞く場所、身体を動かす場所、映画を見る場所、楽器を引く場所、お酒をもむ場所、本を読む場所、発想が貧困で的確に浮かびませんが、色んな可能性を広げられると思います。

 お金の問題はありますが、「家」は1つじゃなくていい、都会にあったり、田舎にあったり、広かったり、狭かったり、家具があったり、なかったり、防音設備があったり、なかったり、60階だったり、1階に庭付きだったり、ライフスタイルとTPОに応じて選んで使うもの。「生活充実品」という視点で捉えた方が面白い。当社は、この視点に立って住宅を人々が生活を充実させるための道具として提案していきたいと思います。

 


詰め将棋(出口から考える、答えから始める)

 負けず嫌いの自分は、がつがつはしたくありませんが、どうしても勝ちにはこだわってしまいます。「勝ち」にもいろんな意味がありますが、自分の目標、このようにしたいと思う事を成し遂げることだと思います。

 大学を出て住友不動産に就職して、始めにやらされた仕事は、バブル崩壊で売れ残ったマンション(自称億ション)の販売でした。来る日も来る日もお客さんの来ないモデルルームに行って色々な事を考えました。でも、何も知らない素人だったのが良かったのか、結構購入してもらいました。そのときひたすら考えたのが、出口(どのようなマンションを造ってはいけないのか?どのようなマンションが売れ残るのか?)でした。売りやすいマンションとはどのようなものなのか?を実感しました。

 それから、出口(答え)から考える、日々の仕事を詰め将棋のようにゴールからさかのぼって組み立てていく癖が付きました。その年に取得した宅建の勉強も、どうせよく理解できないんだから問題集の答えから覚えてその後理屈、内容を理解しようというやり方をして成功しました。

 ものを売るためには、「セールストークは、シンプルな方がいい」とゴールを決めれば、シンプルなセールストークにするためにはどのような商品を作ればよいか?を考えればいい。住友不動産時代 このマンションが一番駅に近いと言う事にこだわって、駅の出口の脇の土地を何とか購入していくつもマンションを建設しました。駅から一番近いと言う事以上にシンプルなセールストークはありませんから。

 今のマンション作りでも「このような人に住んでもらう、このようなマンションを造る」と言うゴールを決めて、それを造るために一番あった場所を探し、そのための方法を考えていくと言う手順で進めています。どのような「王手」を決めて勝つと決めたら、そこまでどのように到達するかを考えれば簡単です。

 迷路は入り口からああでもない、こうでもないと迷いますが、上から見てゴールの位置が分かれば、ゴールからさかのぼって簡単にいくべき方向が分かりますよね?勝てない、うまくいかないと嘆いてばかりいる人は、自分自身のゴール、到達しようとしている場所が良く分かっていないからなのではないでしょうか?

晴れと卦

 最近、晴れと卦のメリハリが世の中全体に無くなったなあ~とつくづく思う。子供の洋服にも

普段着とよそいきの区別はないし。自分が子供の頃、着ていく洋服で何も言われなくても今日はかしこまらなければと分かったものでした。普段着は、ジーンズかジャージ。よそいきの服は決まってコーディュロイかタータンチェックの半ズボン(もちろん当時はコール天でした。タートルネックは徳利)、当時は今ほど外食する事は無く、外食そのものがよそいきでした。日本の高度成長期そのもので日曜日に(もちろん当時お父さんは土曜日は仕事でした。)電車でデパートに行き、買い物をして、屋上で遊び、ペットショップを見て最上階のレストランでお子様ランチを食べて、場合によってはクリームソーダも飲めると言うのが最高の「晴れ」でした。

 普段の生活は、本当に「卦」でかざりっけの無い普通の食事、普段着で(よく子供の学校のジャージをお古にして家で着ているお母さんもいました。)、当たり前にテレビ見て、風呂入って寝ると言う生活。「卦」で節約して本当にたまに「晴れ」でお金と特別な時間を過ごすというメリハリのあるものだった気がします。

 こうした「晴れ」と「卦」のメリハリって必要な気がします。だらだらとこぎれいな普段着の生活していつもちょっと贅沢な食事するより、「晴れ」と「卦」のメリハリをつけることで感動したり、心に響く事が増えるのではないか?と思います。

 きっと「晴れ」と言う意味では、新商品の登場(発明)も(私は当時の事を知りませんが)、昔はものすごい「驚き」をもって体験したのではないかと思います。初めてテレビが来た感動(テレビがカラーに、プラズマに衛星放送にという変化の比ではない)、冷蔵庫、洗濯機、みんなみんな驚きをもって受け入れられた事だろうと思います。本当に嬉しくてびっくりしたんだろうなと想像つきます。

ホテルが非日常(晴れ)、持ち家の分譲マンション(戸建)が日常(卦)だとすれば、ずっと住まなくてもいい賃貸マンションは、その中間にある工夫次第で一番面白いものを創る事ができるかもしれません。

 マンションに住まれる方にとって「晴れ」とは何か、日常をよそいきと感じてくれる家とはどのようなものか?

 その実現に向かって日々精進し、答えをマンション供給の中で出して行きたいと思います。みんなが驚きを持って心を動かされるマンション エスクローの供給するマンションは「晴れ」「よそいき」だと思ってもらえるように頑張ります。